君は神の前では愧かしくないか。ホントの牧師であったら慚死するのが正当ならん。私ア庄司利喜太郎が隠しとるものを悉皆出さんことには承知しませんぞ。
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧かしそうに、恐る恐る言った。
“愧”の解説
愧(き)(sa: apatrāpya、अपत्राप्य)は、仏教が教える善のひとつ。「自己の罪に対する畏怖」、もしくは「他を観察することによっておのれの過失を恥じること」。他人に対して恥じること。しばしば「慚愧」として扱われる。
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
(出典:Wikipedia)
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
(出典:Wikipedia)