こんなに太っておりますから、もうお愧しいほど暑いのでございます、今時は毎日二度も三度も来てはこうやって汗を
自分の意志の力と云うものは、恐ろしく弱いことを愧しく思う。私の理智は明るいのだ。が、只、その理智を発動させて外にあらわす意志が弱いのだ。
いかにも愧しいキマリの悪い事に違いなかった。
母に後を向け、小さな盆に湯呑をのせていた伸子は、自分達二人が愧しいような、大きな家の隅っこにいじけてかたまっているような、いやな心持がした。
“愧”の解説
愧(き)(sa: apatrāpya、अपत्राप्य)は、仏教が教える善のひとつ。「自己の罪に対する畏怖」、もしくは「他を観察することによっておのれの過失を恥じること」。他人に対して恥じること。しばしば「慚愧」として扱われる。
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
(出典:Wikipedia)
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
(出典:Wikipedia)