いざな)” の例文
山西はますますなれなれしく口をいた。小女こむすめは男の口から一歩進んだいざないを待っているかのように、体をしんなりとさして歩いた。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と小声にぎんじながら、かさを力に、岨路そばみちを登り詰めると、急に折れた胸突坂むなつきざかが、下から来る人を天にいざな風情ふぜいで帽にせまって立っている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
奇怪から奇怪につづく奇怪に、いぶかしみながら佇んでいる退屈男のところへ歩みよると、老神主沼田正守は言葉も鄭重にいざないました。
丫鬟走り入りて、七一おほがさのぬしまうで給ふをいざなひ奉るといへば、いづにますぞ、こち迎へませといひつつ立ち出づるは真女子なり。
一種不思議な力にいざなわれて言動作息さそくするから、われにも我が判然とは分るまい、今のお勢の眼には宇宙はあざやいで見え、万物は美しく見え
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
春章しゅんしょう写楽しゃらく豊国とよくには江戸盛時の演劇を眼前に髣髴ほうふつたらしめ、歌麿うたまろ栄之えいしは不夜城の歓楽に人をいざなひ、北斎ほくさい広重ひろしげは閑雅なる市中しちゅうの風景に遊ばしむ。
浮世絵の鑑賞 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
物おほくいはぬ人のならいとて、にわかいだししこと葉と共に、顔さとあかめしが、はや先に立ちていざなふに、われはいぶかりつつも随ひ行きぬ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
学者一度ひとたび志を立てては、軒冕けんべんいざなう能わず、鼎鑊ていかくおびやかす能わざるものがなくてはならぬ。匹夫ひっぷもその志は奪うべからず、いわんや法律家をや。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
既に馬車の車輪となる。あに半夜人をいざなつて、煙火城中に去らんとする自動車の車輪とならざらんや。おそる可く、戒む可し。(五月二十八日)
尼は、凡人ただびとの子でないものと見て、頼朝をいざなった。けれど、何も問わなかった。およそ一月余りも、頼朝は尼寺の天井裏に寝起きしていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
語を変へて之を言へば闘争、欝屈うつくつ、不平、短気、迷想、剛直、高踏、逆俗等ありて数奇不遇不幸惨憺の境界にいざなふに足る源因なかるべからず。
罪過論 (新字旧仮名) / 石橋忍月(著)
数日すじつを経て果して案内状を送り来りければ、両親および学生友人をいざないて見物せしに、なるほど一座の進歩驚くばかりなり
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
お島は四五日の逗留とうりゅうに、金を少し取寄せる必要を感じていたので、その事を、留守を頼んでおいた若い職人に頼んでから、そう言っていざなった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
車はボルゲエゼのたちの前にまりぬ。僮僕しもべは我をいざなひて館の最高層に登り、相接せる二小房を指して、我行李をおろさしめき。
われ答へて彼に曰けるは、チヤッコよ、汝の苦しみはわが心をいたましめわが涙をいざなふ、されどもし知らば、分れしまち邑人まちびとの行末 五八—六〇
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
烏は二人をいざなうかのように、時々こっちを振り返って見ては悠々翼を羽摶いた。そうして千切れるように時々啼いた。
探偵は片附けてしまったト、これで下枝さえ見附ければ、落着いてお藤が始末も附けます。と高田をいざない内にりぬ。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
浅吉は、小屋の中へ御主人をいざなって、自分はかいがいしく一方の炉に火を焚きつけて、向い合って話をはじめました
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
余談はき、かうして私は平岡夫人と、不安な足どりのまゝ、いざなふやうな音楽に連れて、曲りなりにも歩き出した。よた/\と、ひよこり/\と。
私の社交ダンス (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
みがきてにはかげも心地こゝちよげなるを籠居たれこめてのみ居給ゐたまふは御躰おからだにもどくなるものをとお八重やへさま/″\にいざなひてほとりちかき景色けしき田面たのもいほわびたるもまた
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
此方こつちへお出でなはツとくれやす。』と女は、むつかしい字の書いてある唐紙からかみを開けて、二人ふたりを次ぎの十疊へいざなふた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
ああ我が当時の恨、彼が今日こんにちの悔! 今彼女かのをんなは日夜に栄のてらひ、利のいざなふ間に立ち、守るに難き節を全うして、世のれざる愛にしたがつて奔らんと為るか。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
旅へのいざないが、次第に私の空想ロマンから消えて行った。昔はただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々やを、イメージするだけでも心がおどった。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その水車の響がまた無声にまさる寂しさをいざなうのであった。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
わたくしいまだい端艇たんていくだるとともに、吾等われら一等船客いつとうせんきやくたるの權利けんりをもつて、春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねんとをいざなつたのである。
その係恋が今の単調な日常生活を棄てて、怪しく人をいざなひ、人を迷はせる遠い所へ行かせようとする。この心持が意識に上るのを、強ひて自ら押へてゐる。
然るに婦女子の志の有形無心の文明にいざなわれてようやく活溌に移るの最中、あるいはこの想像画をして実ならしむるなきを期すべからず、恐るべきにあらずや。
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
人を一時の恍惚こうこついざなう力は有っても、自分の常の日の心細さを、まぎらすには足りなかったのである。こういう女たちが好んで男女の酒盛りの席に列したがる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
吉原冠りに懐ろ手、——何処どこいざなう風であろうと、吹かれて行こうといったような闇太郎をしりえに従えた、門倉平馬、土部三斎隠居屋敷、通用門の潜りを叩いて
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
前にも記す如く、お葉は自分にも判らぬ心理状態のうち山中やまなかいざなわれ、の窟の奥に囚われてしまった。重太郎と山𤢖やまわろとは夜の更けるまで帰って来なかった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
継母まゝはゝの兄と云ふのも、みんな有名な御用商人なんだから、賄賂わいろの代りに早速承諾したんだ、所が我が梅子嬢はどうしても承知しないんだ、到頭たうとう梅子さんをいざなひ出して
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
柾木はのろまな子供の様に赤面して、引返ひっかえす勇気さえなく、ぼんやりと二人の立話を眺めていた。紳士は待たせてある自動車を指して、しきりと彼女をいざなっていた。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
何かが抵抗すべからざる力で若い彼の心臓を湧き立たせ、真昼の端正な「伎芸天」迄が妖艶、婀娜あだな姿に変じて燃える眼で彼を内から外へいざなりたてるのであつた。
剣妖けんよう丹下左膳は、乾雲に乗って天をかけ闇黒やみに走って、自分のこの坤竜をいざない去ろうとしている——それに対し、われは白日坤竜を躍らせ、長駆ちょうくして乾雲を呼ぶのだ!
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
愛の神カマ、五種の芳花もて飾った矢を放って人を愛染す。その一なる瞻蔔迦ちゃむばかの花香く人心をとろかす。故に節会せちえをその花下に開き、青年男女をして誦歌相いざなわしむ。
「旅へのいざない」はボードレールの詩に付けた未知の国へ誘う夢の歌、デュパルクの傑作の一つだが、バリトンのパンゼラの歌ったレコードは傑作だ(ビクターJD一四八)。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
慾情とか淫心といふものはつねに最初のいざなひであつたが、ここでは、それらがどうして動くか、動くにつながる自分の心といふものは全く美感覺の動きだけに集中されてゐた
帆の世界 (旧字旧仮名) / 室生犀星(著)
き心の起らぬものとては一個ひとつも無し、藻西太郎の妻倉子は此上も無き衣服なり蕩楽とか聞きたりかゝる町に貧く暮してはさぞかし欲き者のみ多かる可くすれば夫等それらの慾にいざなわれ
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
とは言え、彼女と生涯の約を結んだ時、彼は酔っ払ってもいなければぼんやりしてもいなかった。また彼は情熱のいざないをも感じてはいなかった。そんなものは非常に欠けていた。
昨年の旅はまた今年の旅をいざなった。朝鮮を訪う人は多いが、私たちのような目的で足を運ぶ者は始めてかもしれぬ。古い物を求める人はあっても、新しい物を捜す者は絶えてなかった。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
絹の上衣、刺繍のしてあるチヨキ、帯革に金剛石をちりばめた靴、この総ては随分立派で、栄耀ええうに慣れた目をも満足させさうに見える。己の目の火のやうな特別な光も人をいざなふには十分だ。
復讐 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
急ぎて先ず社務所に至り宿仮らん由を乞えば、袴つけたる男我らをいざないて楼上にかいに導き、幅一間余もある長々しき廊をかぎに折れて、何番とかやいう畳十ひらも敷くべき一室ひとまに入らしめたり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
雨戸あまどづるときかへるこゑ滅切めつきりとほへだつてそれがぐつたりとつかれたみゝくすぐつて百姓ひやくしやうすべてをやすらかなねむりにいざなふのである。熟睡じゆくすゐすることによつて百姓ひやくしやうみなみじか時間じかん肉體にくたい消耗せうまう恢復くわいふくする。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
恩を以ていざない、ことごとくこれを優秀なる天孫民族に同化融合せしめて、彼らを幸福なる国民となし、自他ともにその慶に浴せしめ給うことが、万古不易の一大信条となっていたのである。
法体ほったいと装ひて諸国を渡り、有徳うとくの家をたばかつて金品をかすめ、児女をいざなひて行衛をくらます、不敵無頼の白徒しれものなる事、天地に照して明らかなり、汝空をかけり土にひそむとも今はのがるゝに道あるまじ
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それは如何いかにも、あの綺麗きれいゆきけて、つゆたまになつてとひなかまろむのにふさはしいおとである……まろんだつゆはとろ/\とひゞきいざなはれてながれ、ながれるみづはとろ/\とひゞきみちびいてく。
日の光を浴びて (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
心霊の孤独と多元的宇宙の相互の愛とが、殆んど何等の矛盾なしに彼の心に感ぜられた。空と地とに啓示せられるいざないのままに彼は身を任せて、何物をもうち忘れ、只ふらふらと歩き廻った。
恩人 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
まして、氏の実生活の上に、多くの、偏見とまでは行かなくても或る真実に聞きたい疑問を持つてゐる人にとつては氏の一般的な理窟の上の説明はどうしても物足りない感じをいざなふに充分である。
平塚明子論 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
風の音は人の思いを遠きに導き、水の流れは人の悲哀かなしみを深きにいざなう。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
子供時代に経験したようななぞの世界の感じに、再び私はいざなわれた。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)