はうむ)” の例文
どるめんといふも、いしつくゑといふ意味いみ言葉ことばであります。このてーぶるのした人間にんげんはうむつたので、これはうたがひもなくはかであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
もとより赤の他人には相違ありませんが、一と月でも半月でも、離屋に置いたお半を、此儘犬猫のやうにはうむるわけにも行きません。
ひらかれけるさて平石ひらいし次右衞門吉田三五郎の兩人より越前守へ言上いひあげ彼若君かのわかぎみ澤の井の死骸しがいはうむりし光照寺へ永代佛供料えいたいぶつくれうとして十八石の御朱印ごしゆいん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
さればジエンナロと二人の舟人とは魚腹にはうむられて、われのみ一人再び天日を見ることゝなりしなり。人々は我に當時の事を語らしめたり。
はうむりが全く終つた後、素戔嗚は急に思ひ立つて、八島士奴美に世を譲つた。さうして彼自身は須世理姫と共に、遠い海の向うにある根堅洲国ねのがたすくにへ移り住んだ。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
山頂さんてうのが主墳しゆふんで、山麓さんろくのが殉死者じゆんししやはうむつたのではるまいかといふ、うした疑問ぎもんをもしやうぜられるのである。
槃特はんどく相果あひはてゝからこれはうむると、其墓場そのはかばえたのが茗荷めうがだとふ事だ、されば「名をになふ」と書いて「めうが」とませる、だから茗荷めうがへば馬鹿ばかになる
(和)茗荷 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
九月十八日には鳶田で塩詰しほづめにした屍首を磔柱はりつけばしら、獄門台にけた。江戸で願人坊主ぐわんにんばうずになつて死んだ西村だけは、浅草遍照院にはうむつた死骸が腐つてゐたので、墓をこぼたれた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
道子みちこはふと松戸まつどてらはうむられた母親はゝおやことおもおこした。その当時たうじ小岩こいはさかはたらいてゐたゝめ、主人持しゆじんもち自由じいうがきかず、ひまもらつてやつと葬式とむらひつたばかり。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
つの呉起ごき射刺せきしするにつて、あはせて悼王たうわうつ。悼王たうわうすではうむられて、太子たいしつ。すなは(一一〇)令尹れいゐんをしてことごと呉起ごきあはせてわうてしものちうせしむ。
また菜花煙さいかえん彼方此方かなたこなた電光でんこうひらめくのがられる。このさい雷鳴らいめい噴火ふんかおとはうむられてしまふが、これはたん噴煙上ふんえんじようにて放電ほうでんするのみで、地上ちじよう落雷らくらいしたれいがないといはれてゐる。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
かく詣でつかうまつるは、一一一たのみつる君の御あとにて、いついつの日ここにはうむり奉る。
もう既にをかされてゐる多くの少女たちは、たゞ死ぬ爲めに家へ歸るのであつた。あるものは、學校で息を引きとり、病氣の性質が猶豫を許さなかつたので、靜かに手速てばやはうむられた。
至善しぜん大道たいだう遊芸いうげい小技せうぎ尊卑そんひ雲泥うんでいは論におよばざれども、孔子七十にして魯国ろこく城北しろのきた泗上にはうふり心喪こゝろのもふくする弟子でし三千人、芭蕉五十二にして粟津の義仲寺にはうむる時まねかざるに来る者三百余人
海上かいじやう規則きそく船長せんちやう以下いか澤山たくさん船員せんゐん甲板かんぱんあつまつて英國エイこくの一宣教師せんけうし引導いんだうもとその死骸しがいをば海底かいていはうむつてしまつたことと、是等これらきはめて悲慘ひざん出來事できごとであるが、ほか愉快ゆくわいことも二つ三ついでもない。
はたしてもなくんだので子は遺言ゆゐごんどほり石を墓中ぼちゆうをさめてはうむつた。
石清虚 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
くわんわづかひとはうむられた。それでも白提灯しろぢやうちん二張ふたはりかざされた。だけ格子かうしんでいゝ加減かげんおほきさにるとぐるりと四はうを一つにまとめてくゝつた花籠はなかごも二つかざされた。れも青竹あをだけけられた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
あゝやまなかはうむつた、はゝのおくつきは彼處かしこちかい。
霰ふる (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
夏の恐怖に物も言はぬ脚気かっけ患者のはうむりの列。
心の姿の研究 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
北向きにはうむりたてまつる
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひと息にこての手にはうむられ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
うて其上に山田と計て死骸をば泣々なき/\寺へはうむりけり不題こゝにまた其頃の北町奉行は大岡越前守忠相たゞすけというて英敏えいびん活斷くわつだん他人ひとまさり善惡邪正じやせい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
事件は何も彼も闇から闇にはうむられて、それから三日目、永井平馬の一子平太郎が、永井和泉守相續人として、明日は將軍御目見得といふ時
また松島まつしまでは、老母ろうぼ少女しようじよとがあはせてはうむつてありましたが、これはさだめし祖母そぼ孫娘まごむすめとが同時どうじ病死びようししたものをはうむつたものとおもはれます。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
道子みちこはうむられたものむすめで、東京とうきやう生活せいくわつをしてゐるのだとこたへ、「おはかいのなら、ちやんとしたいしてたいんですが、さうするにはどこへたのんだら、いゝのでせう。」
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
西村の死骸をはうむつた浅草遍照院へんせうゐん所化しよけ尭周げうしう等が呼び出されて、七月十六日から取調とりしらべが始まつた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
姫の長き髮はこれをり、その身には生きながら凶衣を被らしめ、輓歌ばんかを歌ひ鯨音かねを鳴し、かたの如く假にはうむりて、さて天に許嫁いひなづけせる人となりて蘇生せしむ。是れ式のあらましなり。
あの女の病氣に必要なだけの世話をしてやるやうにしろ。それでお前は神と人道がお前に要求するだけのものはしたことになるのだ、彼女の正體、彼女のお前との關係は闇の裡にはうむれ。
四四ふところのたまをうばはれ、挿頭かざしの花を四五嵐にさそはれしおもひ、泣くに涙なく、叫ぶに声なく、あまりに嘆かせたまふままに、火にき、土にはうむる事をもせで、四六かほに臉をもたせ
至善しぜん大道たいだう遊芸いうげい小技せうぎ尊卑そんひ雲泥うんでいは論におよばざれども、孔子七十にして魯国ろこく城北しろのきた泗上にはうふり心喪こゝろのもふくする弟子でし三千人、芭蕉五十二にして粟津の義仲寺にはうむる時まねかざるに来る者三百余人
ちちしてはうむらず、ここ(二九)干戈かんくわおよぶ、かうけんや。
夏の恐怖に物言はぬ脚気かつけ患者のはうむりの列。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
鳴海屋の事件は全くうやむやにはうむられてしまひました。娘お町を殺した下手人も、番頭の藤六を殺した下手人も、永久に擧らなかつたのです。
其方てらはうむりし趣きなるが右は當時たうじ無縁むえんなるか又はしるし石塔せきたふにてもたてありやと尋けるに此祐然もとより頓智とんち才辨さいべんの者故參候若君わかぎみ澤の井の石塔せきたふは御座候も香花かうげ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
たとへば河内かはちにある聖徳太子しようとくたいし御墓おはかには、太子たいし母后ぼこうと、太子たいしきさき三人さんにん御棺おかんれてあるとのことです。またなかには死者ししや石棺せきかんでなく木棺もくかんにいれてはうむつた石室せきしつおほくあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
かれをはうむりて、すでにふた月を経たれど。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「あの女が、死骸になつて、百本ぐひに浮いてゐたんで、それも間違ひもなく殺されたんですぜ——身許がわからなきや、はうむることも出來ない」
向柳原の名物娘が一人、絞め殺されて死んだのを、うやむやにはうむるといふのは、あまりと言へばわけが解らなさ過ぎます。
人知れずはうむる工夫はないものかと、卑怯ひけふなやうだが折を狙つてゐるうちに、氣の早いのが、あの女を殺してしまつたのぢや
その事件の多くは、平次のやうな犯罪解剖技術にすぐれた者が現はれなかつたら、闇から闇にはうむられて行つたことでせう。
「一寸お關の方へ疑ひを向けて、その間に婆やをはうむらせるつもりさ。自分の方へ疑ひの來ないやうにする計略だよ」
二人まで變死人をはうむる騷ぎを他所よそに、錢形の平次ともあらう者が觀音樣へお詣りは少し信心氣があり過ぎます。
その代り左母次郎さもじらうに腹を切らせたために、平次の手柄もフイになり、内々笹野新三郎からお褒めの言葉があつただけで事件は闇から闇へはうむられてしまひました。
銭形平次捕物控:126 辻斬 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
「吾妻屋の内儀さんが、この死骸を引取つてはうむつてやりたいと言つてゐるが、どうしたものでせうね」
「すると、この墓は早くて一昨日をとゝひはうむつたんだが、昨日の大夕立の後で、又掘り返して居ますぜ」
「お神さんが行つてくれ、あのまゝはうむられちや、お父さんが浮ばれないつて言ふんです」
平次もつい、この貧しい純情な處女の、山の中にはうむられるのがいぢらしかつたのです。
許婚の菊次郎の死骸が、まだはうむりもせずに隣りの部屋にあるのに、弟の徳三郎と、泣いたり笑つたりして居るのは、確りものらしいお夏の態度としては、いかにもに落ちないものがあるのです。
事件は其儘うやむやにはうむられさうでした。