朝餉あさげ)” の例文
老婆は後庭こうていに植ゑたる百合数株、惜気もなく堀りとりて我が朝餉あさげの膳に供し、その花をば古びたる花瓶にけて、我が前に置据ゑぬ。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
食堂には朝餉あさげのときの卓巾クーヴェールがかけたままになっていて、茶碗の底には飲み残した少量の牛乳入り珈琲に真珠母しんじゅも色の上皮うわかわが張っていた。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
どんよりとした暁靄あさもや朝餉あさげの炊煙と融け合い、停車場前の広場に立って、一年近くも見なかったあたりの山々を懐かしく眺めわたすと
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
隣から朝餉あさげの炊事の煙が舞込んでけぶい、併し市が栄えているのだから、是もよろこんでいいだろう。今は午前六時である。(一四)
朝餉あさげに向う時は、もう丈八も一学も旅装をしていた。いちど町人髷ちょうにんまげにした月代さかやきを無理に武家風に直した丈八の顔は、すこし可笑しかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人が海から帰つて来て、朝餉あさげの膳に向つた時、素戔嗚は苦い顔をして、鹿の片腿かたももかじりながら、彼と向ひ合つた葦原醜男に
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
卯平うへいひましがる勘次かんじ唐鍬たうぐはとつとき朝餉あさげあとくち五月蠅うるさらしながら火鉢ひばちまへにどつかりとすわつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
翌朝、彼が縁側でぼんやりたたずんでいると、畑のなかを、朝餉あさげの一働きに、肥桶こえおけかついでゆく兄の姿が見かけられた。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
丘の住宅地は家族のまどいを知らす朝餉あさげの煙を上げ、山腹の段々畑はよく茂った藷の上に露をかがやかせている。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
朝の市が済んで、そこらを掃上はきあげて、静かになってから、人々は朝餉あさげを取るのでしょう、出て来た人たちを相手のちょっとした食事の出来る店もあります。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
こすりながら浴室ふろに至れば門前に待ち詫びたる馬の高くいなゝくにいよ/\慌て朝餉あさげの膳に向へば昨日きのふ鯉の濃汁こくしやう
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
朝餉あさげも別間においてしたため、お前さん方が何もこわがる程の事はないのだから、大勢側に附いて看病をしておやんなさいと、暮々も申し残して後髪を引かれながら。
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
主人の蔭多き大柳樹の下にありて、あつらへし朝餉あさげの支度する間に、我等はこの烟煤えんばいの窟をのがれ、古祠ふるほこらを見に往くことゝしたり。委它いだたる細徑は荊榛けいしんの間に通ぜり。
朝餉あさげの膳にも向おうとしないで、こうしてぼんやりと、うつらうつらして机にもたれているところです。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
朝餉あさげくはぬ例なれば昼飯待たるるなり。やがて母は、歯磨粉、楊枝ようじ、温湯入れしコツプ、小きブリキの金盥かなだらいなど持ち来りて枕元に置く。少しうがひして金盥に吐く。
明治卅三年十月十五日記事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この三つの音が次第に調子を早める。高角度に写された煙突から朝餉あさげの煙がもくもくと上がり始めると、あちらこちらの窓が明いて、晴れやかな娘の顔なども見える。
翌朝よくあさはいつもよりは薄霜だつた。此の朝に限つて老母が早起して朝餉あさげの仕度をした。丸田は例につて嘉吉よりも早く眼をさました。実は昨夜はろくには眠れなかつたのだ。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
七日、朝いとはやく起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、そらいと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光いなびかりす。涼しき中にこそと、朝餉あさげ済ますやがて立出ず。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
昔なら土堤八丁どてはっちょうとか、浅草田圃あさくさたんぼなどというところで朝餉あさげ熱燗あつかんでねぎまとくると、その美味さ加減はいい知れぬものがあって、一時に元気回復の栄養効果を上げるそうである。
鮪を食う話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
お勝手で朝餉あさげの支度をしてゐる千登世に聞えぬやう聲を噛み緊めてしくり/\いてゐた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
朝なお早ければちまたはまだ往来ゆきき少なく、朝餉あさげの煙重く軒より軒へとたなびき、小川の末は狭霧さぎり立ちこめて紗絹うすぎぬのかなたより上り来る荷車にぐるまの音はさびたるちまたに重々しき反響を起こせり。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
秋が近くなつて、薄靄うすもやの掛かつてゐる松林の中の、清い砂を踏んで、主人はそこらを一廻ひとめぐりして来て、八十八やそはちという老僕のこしらへた朝餉あさげをしまつて、今自分の居間に据わつた処である。
妄想 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
朝餉あさげはこんで料理方れうりかた水兵すいへいは、大佐たいさ外出ぐわいしゆつとき言傳ことづてだとて、ごとかたつた。
早朝、土堤の上から眺めると、掛り舟が朝餉あさげの煙をあげており、美しい河川風景であったように記憶するが、その後川床が高くなるにつれて、地形も往時の面影のないまでに変容した。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのうち朝餉あさげんで、出勤しゆつきん時刻じこくやうやちかづいた。けれども御米およねねむりからめる氣色けしきもなかつた。宗助そうすけ枕邊まくらべこゞんで、ふか寐息ねいきゝながら、役所やくしよかうかやすまうかとかんがへた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つ見窄みすぼらしい商人宿があって、その二階の手摺てすりの向こうに、よく朝など出立の前の朝餉あさげを食べていたりする旅人の姿が街道から見えるのだった。
ある崖上の感情 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
と栄三郎はすすめてみたが、お兼も箸をとろうともしなければ、息子の孫七も口を添えないので、三人はそれきり言葉がとぎれて、黒光りのする百姓家のなかに貧しい朝餉あさげの音が森閑しんかんと流れた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
畳一じょうがた日のさしこむ茶の間の六畳で二人は朝餉あさげぜんに向かった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
八重その頃はいえの妻となり朝餉あさげ夕餉ゆうげの仕度はおろか、いささかのいとまあればわが心付こころづかざるうちに机のちりを払ひすずりを清め筆を洗ひ、あるいは蘭の鉢物はちものの虫を取り、あるいは古書の綴糸とじいとの切れしをつくろふなど
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
僕らは茶碗を畳にじかに置いて、朝餉あさげをしたためました。
ボロ家の春秋 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
大将の手水ちょうず朝餉あさげかゆが宮のお居間のほうへ運ばれた。
源氏物語:40 夕霧二 (新字新仮名) / 紫式部(著)
透明な産室の 窓ぎわの朝餉あさげ
原爆詩集 (新字新仮名) / 峠三吉(著)
朝餉あさげの箸をやすませて
測量船 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
しゅうとの貞氏や清子とも、今朝は水入らずの朝餉あさげを共にし、若い夫妻は、やがて輿をつらねて、赤橋守時の邸を、訪問した。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
翌朝、例によって金椎の給仕で——この少年は支那料理のほかに、多少西洋料理の心得もあります——朝餉あさげの膳に向うと、造船小屋の方でしきりに犬の吠える声。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
朝餉あさげを済まして来たばかりだ、あとで馳走になろう」と周防は云った、「誰の獲物だ、与五か」
卯平うへいくぼんだしがめて一しゆあたゝかな表情へうじやうしめして與吉よきち後姿うしろすがたた。勘次かんじつたまき草刈籠くさかりかごれてかまどまへいて朝餉あさげぜんむかつて、一わんつた。おつぎはがついたやう
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
昨夜ゆうべやとつた腕車くるまが二だいゆきかどたゝいたので、主從しうじうは、朝餉あさげ支度したく匇々そこ/\に、ごしらへして、戸外おもてると、東雲しのゝめいろともかず黄昏たそがれそらともえず、溟々めい/\濛々もう/\として、天地てんちたゞ一白いつぱく
雪の翼 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
姉と弟とは朝餉あさげを食べながら、もうこうした身の上になっては、運命のもとにうなじかがめるよりほかはないと、けなげにも相談した。そして姉は浜辺へ、弟は山路をさして行くのである。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
道は少したひらかになりぬ。とみれば一群の牧者あり。草をきて朝餉あさげたうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。
そのうち朝餉あさげも済んで、出勤の時刻がようやく近づいた。けれども御米は眠りからめる気色けしきもなかった。宗助は枕辺まくらべこごんで、深い寝息を聞きながら、役所へ行こうか休もうかと考えた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
八日、朝餉あさげを終えて立出で、まず妙見尊の宮に詣ず。宮居は町の大通りを南へ行きて左手にあり。これぞというべきことはなけれど樹立こだち老いて広前もゆたかに、その名高きほどの尊さは見ゆ。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
だのに——せまいくりやのほうでは、もう貧しいをともして、彼女が、乳のみ児の房丸ふさまるが眠りからさめない間にと——朝餉あさげの支度をしているらしい。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それから殆んど部屋にこもりきりで、食事も満足にとらず、若尾は独りで泣いてばかりいたが、七日めの朝、妻女の豊が来て、自分といっしょに朝餉あさげべようと云った。
みずぐるま (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
田舎のはずれ、馬子まごなどの休みそうな一ぜん飯屋の隅でからくも、朝餉あさげと昼飯とを一度に済ませて、それから中泉と聞いて歩いて行きましたが、少したって中泉はと尋ねてみたら
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
朝餉あさげおわころには、藩邸での刻の大鼓たいこが鳴る。名高い津軽屋敷のやぐら大鼓である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
……朝餉あさげますと、立處たちどころとこ取直とりなほして、勿體もつたいない小春こはるのお天氣てんきに、みづ二階にかいまでかゞやかす日當ひあたりのまぶしさに、硝子戸がらすど障子しやうじをしめて、長々なが/\掻卷かいまきした、これ安湯治客やすたうぢきやく得意とくいところ
鳥影 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
語り明かしたおもてはみな疲れていた。朝餉あさげをすますと人々は少し眠りをとった。そしてふたたびめてからの話である。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい、新原も今日をたのしみにしておりまして、朝餉あさげのあとまではふだんと変りがなかったのですけれど」こずえは小さく切った絹の布をたたんだきれで、そっと鼻を押えながら云った
燕(つばくろ) (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
昨晩、ああいう珍劇を演じたにもかかわらず、今朝は至って閑静なもので、神尾主膳はおひる近い時分になって起き出でて、朝餉あさげの前の仕事が、昨日買って来た拓本を開いて見ることでした。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)