)” の例文
玄妙観げんみょうかん法師はもとの開府の王真人おうしんじんの弟子で、おまじないでは当今第一と称せられているから、お前も早くいって頼むがよかろう」
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
後漢ごかんのむかし、曹操そうそうが、西涼軍せいりょうぐん北夷えびすの兵が自分らの行装に、おどろきの眼をみはって、指さし囁きあうのを見て、馬の上から
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
李克りこくいはく、『たんにしていろこのむ。しかれどもへいもちふるは、司馬穰苴しばじやうしよぐるあたはざるなり』と。ここおい文矦ぶんこうもつしやうす。
身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらはかんはおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
のとき、尋陽じんよう県の北の山中に怪しい蛮人が棲んでいた。かれは一種の奇術を知っていて、人を変じて虎とするのである。
又曰、(五雑組おなじつゞき)恵王けいわうわたりいつすんたま前後車をてらすこと十二じようの物はむかしの事、今天府みかどのくらにも夜光珠やくわうのたまはなしと明人みんひと謝肇淛しやてうせつ五雑組ござつそにいへり。
われく、明帝めいてい洛水らくすゐあそべることあり。なみあをくして白獺はくだつあり。妖婦えうふよくするがごとにしてあいし。ひといたるをるや、こゝろあるごとくしてたゞちにかくる。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そして、国民党宣伝部の氏が一九四五年即ち一昨年の立春に、重慶じゅうけいでUP特派員ランドル記者の面前で、二ダースの卵をわけなく立てて見せたのである。
立春の卵 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
古昔むかしそう文帝ぶんていころの中書學生に盧度世ろとせいと云者あり崔浩さいかうの事に坐し亡命にげ高陽かうやうの鄲羆の家に竄る官吏やくにんの子をとらへて之を掠治たゞす其子をいましめて曰君子は身を殺てじん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
足利あしかが時代は総たるみにて俳句の天保時代と相似たり。漢詩にてはかん六朝りくちょうは万葉時代と同じくたるみても善し。唐時代はたるみも少くまたたるみても悪しからず。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また周の石鼓の籀文ちうぶん、秦の小篆せうてん、前漢の古隷これい、後漢の八分はつぷん六朝りくてう今隷きんれい等、それぞれ多かれ少なかれ、例のユニフォーミティを示してゐるが、前後三千年を通じ
秋艸道人の書について (新字旧仮名) / 吉野秀雄(著)
一二八公叔座こうしゆくざ病のゆかにふしたるに、魏王みづからまうでて手をとりつも告ぐるは、一二九むべからずのことあらば、誰をして一三〇社稷くにを守らしめんや。
ここにあるの時代の仏像がいかにも推古仏の源流らしい印象を与えること、そうしてそれが塑像であることと何らか密接な関連を持っているらしく見えることである。
麦積山塑像の示唆するもの (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
孟公綽もうこうしゃくは、たといしんちょう家や家のような大家であっても、その家老になったらりっぱなものだろう。しかし、とうせつのような小国でも、その大夫にはなれない人物だ。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
北はちょうえんしんから、西は※岐ぶんきまで足を延ばした。商於しょうおて洛陽に至った。南は淮泗わいしから会稽かいけいに入り、時に魯中ろちゅうに家を持ったりした。斉や魯の間を往来した。梁宋には永く滞在した。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
真正なる孔孟の教を知らんとするにはまず宋儒の説を排斥し唐以前かんの古文について研究すべきである。この研究にはまず古文を読むべき階梯かいていとして古文辞を修めなければならない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この傾向は、もう早くからあらわれて、あのの頃の竹林の名士なども、この礼の思想の堕落にたえかねて竹林に逃げ込んで、やけ酒を飲んでいたのです。彼等は頗る行儀が悪かった。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もう一人、さんといふ山東さんとう出身の留学生がゐて、これは医科だつた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
小僧「本当でございますとも。曹宗そうそうという人が……。」
発明小僧 (新字新仮名) / 海野十三佐野昌一(著)
呉の国都には、これと同時に、べつな方面から、の曹操が、三十万の大軍をもって、南下しつつあるという飛報が入っていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その漢がまた衰えて、となり、しんとなったことも知らない。黄が一々それを説明して聞かせると、いずれもその変遷に驚いているらしかった。
(四八)せいぐんをしてり十まんかまどつくらしめ、明日みやうにちは五まんかまどつくらしめ、また明日みやうにちは三まんかまどつくらしむ。
又曰、(五雑組おなじつゞき)恵王けいわうわたりいつすんたま前後車をてらすこと十二じようの物はむかしの事、今天府みかどのくらにも夜光珠やくわうのたまはなしと明人みんひと謝肇淛しやてうせつ五雑組ござつそにいへり。
ええ、何んでも此処ここは、けら鉤闌こうらんの下に月に鳴く、文帝ぶんていちょうせられた甄夫人けんふじんが、のちにおとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄あけんをとざす。とあって、それから
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
の宰相公叔座こうしゅくざが重病の床に臥したとき、魏王がしたしく見舞って、公叔座の手をとりながら
火となって燃える大変な水だあの赤壁の戦で、の曹操の水軍を焼討ちにしたのも、此機械だ! さあ切るなら切るがいい。切られた途端に捩を捻る。一瞬の間に大火事だ! 結構なお城も灰燼だ。
天主閣の音 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「荊州進攻は、断じてご無用です。それはの思うつぼで、わが呉の兵馬を、曹操のために用いられるも同様ではありませんか」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しやうき、(八九)田文でんぶんしやうとせり。呉起ごきよろこばず。田文でんぶんつていは(九〇)こうろんぜん、ならんか』と。田文でんぶんいはく、『なり』と。
黄初こうしょ年中に或る人が馬に乗って頓邱とんきゅうのさかいを通ると、暗夜の路ばたに一つの怪しい物がころがっていた。
司馬相如しばさうじよつま卓文君たくぶんくんは、まゆゑがきてみどりなることあたか遠山とほやまかすめるごとし、づけて遠山ゑんざんまゆふ。武帝ぶてい宮人きうじんまゆ調とゝのふるに青黛せいたいつてす、いづれもよそほふに不可ふかとせず。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
有名な曹植そうしょくの「七歩詩」である。山僧のわざでもあろうか、書体にも写経風があった。が、壁の墨痕すみあともいつか春秋の雨や風にうすれてゆく。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
廬江ろこう箏笛浦そうてきほには大きい船がくつがえって水底に沈んでいる。これは曹操そうそうの船であると伝えられている。
洛陽伽藍記らくやうがらんきふ。帝業ていげふくるや、四海しかいこゝに靜謐せいひつにして、王侯わうこう公主こうしゆ外戚ぐわいせきとみすで山河さんがつくしてたがひ華奢くわしや驕榮けうえいあらそひ、ゑんをさたくつくる。豐室ほうしつ洞門どうもん連房れんばう飛閣ひかく
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
老子らうし隱君子いんくんしなり。老子らうしそうそうしやうり、段干だんかんほうぜらる。そうちうちうきうきう玄孫げんそんかん孝文帝かうぶんていつかふ。しかうしてかい膠西王卬かうせいわうかう(一六)太傅たいふる。
しかし、つらつら思うに、自分がに来た心の底には、蜀はとうてい、いまの暗愚な劉璋りゅうしょうでは治まらない。いずれ漢中に侵略される運命にある。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われく。——正始せいしとき中山ちうざん周南しうなんは、襄邑じやういふちやうたりき。一日あるひづるに、もん石垣いしがき隙間すきまから、大鼠おほねずみがちよろりとて、周南しうなんむかつてつた。此奴こいつ角巾つのづきん帛衣くろごろもしてたとふ。
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
孝昭帝こうしょうていのときに、令してひろく天下の才俊をすということになった。
の本国から急援として派した七軍を粉砕し、一方、樊城城下に迫ってその余命を全く制しながら、あともう一押しという間際へきて、何となく
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふとひとしく、ひつくりかへつて、ねずみがころつとんだ。同時どうじに、づきんきものえてつた。襄邑じやういふちやう、そのとき思入おもいれがあつて、じつとると、つね貧弱ひんじやくねずみのみ。周南壽しうなんいのちながし。とふのである。
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
黄初こうしょ年中のことである。
の大軍が、三路にわかれ、一道は曹休軍が洞口に進出し、曹真は南郡の境に迫り、曹仁ははや濡須じゅしゅへ向って、雲霞うんかの如く南下しつつあります」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の都へ向って、早馬を飛ばした細作さいさく(諜報員)は、丞相府じょうしょうふへ右の新事実を報告かたがた、つけ加えてこうのべた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹植そうしょくの詩、七歩ノ詩さながらに、釜の中の豆と豆とは煮られていた。毎日毎日が苛烈かれつな激戦の連続だった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つとに御存知と拝察しますが、このさい御一考として、かの異朝いちょうの詩人、曹植そうしょくが作ったと称される“七歩の詩”を思いあわせていただければ倖せです。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さてさて、の国の人は嘘で固めているとみえる。わが蜀には、そんな媚言びげんやへつらいをいう佞人ねいじんはいない」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操さうさうが、地名は忘れたが、夏の日、苦戰あげくの兵を率ゐて、山を越える。ところが山中に水が無い。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
然らずして、あなたが、天下に呼号し、・呉を向うにまわして、鼎立ていりつを計る意義がどこにありまするか
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さ、ここで陣をくのだ。さしずめ、敵の武蔵は、曹操そうそう、わしは諸葛孔明しょかつこうめいというところかな」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそうのことだが。——かつて曹操が麦畝ばくほを行軍中、百姓を憐れんで、麦を害すものは斬らんと、法令を出した。ところが曹操自身の馬が飛んで麦田ばくでんを荒らしたのだ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
横道から米倉山の一端へ出て、の損害をさらに大にしたものは、蜀の劉封りゅうほう孟達もうたつであった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)