“徴”のいろいろな読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
しるし38.0%
ちょう28.9%
8.3%
ちよう5.8%
しる3.3%
はた2.5%
ちやう1.7%
あきらかに0.8%
あら0.8%
あらは0.8%
(他:11)9.1%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“徴”を含む作品のジャンル比率
芸術・美術 > 工芸 > 工芸33.3%
文学 > イタリア文学 > 詩28.6%
哲学 > 倫理学・道徳 > 人生訓・教訓25.0%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
……炭火毒にあたって死んだしるしはね、身体中が薄桃色になって、これが死んだとは思えないようになっているものなんですぜ。
顎十郎捕物帳:06 三人目 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
結局翼なくても飛ぶと讃えてこれを省いたと、蛇や蜥蜴に似ながら飛行自在なるしるしに翼を添えたと趣は異にして、その意は一なりだ。
とあるのにちょうして明かで、その頃の京都の市中から馬を走らせて行く分には、左程さほどの道のりではなかったであろう。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これは我々が社会を見ても、あるいは各自の友人の履歴りれきちょうしても、必ずその例にとぼしからざるを感ずる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「宰相の楊公が江陵に府を開いて、才能のある者をしたいといっています。今が出世の時節です。早くおいでなさい」
伊沢氏よりは既に棠軒が入つて阿部家の医官となつてゐる。然るに今又柏軒をすに至つたのは、正弘が治療の老手を得むと欲したものか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
おほくの實例じつれいちようするも其最大そのさいだいなる場合ばあひでも十分じゆうぶんいち以下いかである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
清川安策そんは豊後国岡の城主中川氏の医官清川玄道がいの次男であつた。玄道は蘭門の一人で、其長男がちよう、次男が孫である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
なぜならそこには、生のただ一つのしるしである生そのものへの疑問記号フラーゲツアイヘンを失っているからである。
絵画の不安 (新字新仮名) / 中井正一(著)
村に入って見ると、祭なるがためにかえって静かで、ただ遠く高柱たかはしらしるしののぼりが、定まった場所に白くひるがえるを望むのみである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ここにその大神に語りて、つぶさにその兄の失せにし鉤をはたれる状の如語りたまひき。
それゆえ、この歌にこたえた、「檀越だむをちかもな言ひそ里長さとをさらが課役えつきはたらばなれなからかむ」(巻十六・三八四七)という歌の例と、万葉にただ二例あるのみである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
現に写真にちやうすると、目の大きい、鼻のとがつた、如何いかにも一癖ありげな美人である。
続澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
之をアイヌ間に存する口碑にちやうするに、コロボックルは土を堀り窪めて低所ていしよを作り、木のみきえだを以て屋根の骨とし、之を草木さうもくの葉にて覆ひて住居とせしものの如し。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
足らば則ち吾能く之をあきらかにせん。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ところがこの形勢が最近に至りまして意外の変化をあらわしはじめたのであります。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
この已来このかた秋稼しうかに至り風雨ついでしたがひて五穀豊かにみのれり。此れすなはち誠をあらはし願をひらくこと、霊貺りやうきやう答ふるが如し。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
お照は本箱の上に載せた蝋色の箱の中から青い切手のはつた封筒の手紙を出した。手に取つて宛名を見ると、鏡子は思ひも及ばなかつたかすかな妬みの胸に湧くのを覚えたのであつた。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
若し其のかたちを求むれば、男子に於ては不明であるが、女子に於ては明らかに潮信同樣の作用が月々に行はれてゐる。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
しかしその結果に對するきざしは彼には見えず、しかも彼の顏色が曇つて來るのを見て、私ははつとして私が全然あやまりをしたので、若しかしたら愚か者の役を知らずにやつてゐたのかも知れないといふことに思ひ附いた。
而して其の調子は、呵は商、吹呼すゐこは羽、嘘は、𡁱は宮、𡀗は角であると傳へられて居る。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
幸三郎さんといふのは、四条のお雪伯母の養子にしてあつた、大阪の新町の芸妓屋の息子で、その頃兵隊にられて伏見の聯隊に行つて居た。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
瘠我慢やせがまんせつは、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳かつやすよし榎本武揚えのもとたけあきの二氏に寄せてその意見をもとめられしものなり。
瘠我慢の説:01 序 (新字新仮名) / 石河幹明(著)
「天ゆく月を綱にさし」も、月の蓋の外に、巫女の月ごもりなるものを、此新室の葛根もてする如くして、おのが者として、かづき臥し給ふといふので、床入り際の歌である。
其は、山人が突いて来た杖の先のさゝけたものが、花のシルシになつたものであらう。
花の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其はとにかく、此ははねかづらを着ける事かどうか判明しないが、尠くとも、純粋の処女の時代であつて、手の触れられない事を意味する物忌みのシルシのものであるらしい。
花の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
——センイワク、両軍相当アイアタルトキ、大流星アリテ軍上ヲ走リ、軍中ニツルニ及ベバ、其軍ソノグン破敗ハハイチョウナリ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
思ふに、家持の趣味から、出た出来心ではなく、かう言ふ防人歌は、常にされたのであらう。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)