)” の例文
のたまわくだ。なにしてやがるかと思って、やぶけた窓の障子からのぞくとね、ポンポチ米を徳久利とっくりきながら勉強してやがるんだ。
殘念ざんねんでならぬので、自分じぶん持場もちばを一生懸命しやうけんめいつたけれど、なにない。幻子げんし大成功だいせいかう引替ひきかへて大失敗だいしつぱいくわつぼう茫然ばうぜんとしてしまつた。
かく蛇を霊怪ふしぎ視したなるミヅチを、十二支のに当て略してミと呼んだは同じく十二支のをネズミの略ネ、ぼうを兎の略ウで呼ぶに等し。
尤も居留木ゐるぎ角左衞門といふ、恐しく頑丈な浪人者は一人住んでゐるが、これは近處の子供を集めて手習ひからのたまはくを教へて居る結構人で
それに乗り込んだ私たち一行——私と隆太郎と同伴の素峰子そほうし、その義弟のT少年、それにその地の「山峡」の歌人たち七、八——である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
よもや、新参しんざん民蔵たみぞうが、その人の一民部みんぶであろうとは、ゆめにも知らない梅雪入道ばいせつにゅうどう、おもわず驚嘆きょうたんの声をもらしてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いはく、『三ぐんしやうとして士卒しそつをしてたのしましめ、敵國てきこくをしてあへはからざらしむるは、いづれぞ』と。ぶんいはく、『かず』と。
わたしかい。私は有名な魔術師ニヤンプウだ。」と、七色の虹猫は、いかめしい、もつたいらしい、作り声で答へました。
虹猫の話 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
おそろしく鐵拐てつか怒鳴どなつて、フトわたし向合むきあつて、……かほて……雙方さうはう莞爾につこりした。同好どうかうよ、と前方さきおもへば、知己ちきなるかな、とひたかつた。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
子賤しせんう。君子なるかな、かくのごときの人。魯に君子者無くんば、いずくんぞこれを取らんと。——公冶長篇——
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
わずかうなずく、いまだ全く解せざるものの如し。更に語を転じて曰く、われいまのために古池の句の歴史的関係を説くべし。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
漢学者のやうにのたまわくで何か事あれば直ぐに七去しちきょおしえたてに取るやうな野暮な心ならば初めから芸者引かせて女房にするなぞは大きな間違ならんと。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「十万億土の夢を見て、豁然かつぜんとして大悟一番したんだ。一出家しゅっけ功徳くどくによって九族きゅうぞくてんしょうずというんだから素晴らしい。僕は甘んじて犠牲になる」
合縁奇縁 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
荘子いわく「儵魚じょうぎょいで遊びて従容しょうようたり。これ魚の楽しむなり。」と。その友彼に答えていわく「は魚にあらず。いずくんぞ魚の楽しきを知らん。」
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
波静かなる、風穏かなる、夢にも似たる青き遠山を見るにつけ、黄色なる入江の沙上さじょうの舟や、灰色の市街を見るにつけ、の文章を思い起すのである。
一私しども兩人儀は先主せんしゆ嘉川平助以來いらいより勤仕きんし罷在まかりあり候處當主たうしゆ主税之助養子やうしに參られ候後平助儀藤五郎藤三郎の二
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
千乗の国の盟をも信ぜずして、ただ一人の言を信じようという。男児の本懐ほんかいこれに過ぎたるはあるまいに、なにゆえこれを恥とするのかと。子路が答えた。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
と冷笑し、又公暇こうか王維おうい孟浩然もうこうぜん韋応物いおうぶつ柳子厚りゅうしこうの詩を読みて、四を賛する詩をせる如き、其の好む所の主とするところありて泛濫へんらんならざるを示せり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ラシャメンをするような腐れ女に、金を出したい毛唐は出せ、ラシャメンになってまで金が欲しい女はなれ、おりゃ、かれこれとのたまわくは言わねえ——だが
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
千金の堂陲どうすいに坐せずとのことわざもある事なれば、好んで超邁ちょうまいそうとして、いたずらに吾身の危険を求むるのは単に自己のわざわいなるのみならず、また大いに天意にそむく訳である。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
子不語の名は『は怪力乱神を語らず』から出ていること勿論でありますが、後にそれと同名の書のあることを発見したというので、さらに『新斉諧しんせいかい』と改題しましたが
昨日さくじつ火事見舞ながら講釈師の放牛舎桃林ほうぎゅうしゃとうりんの宅へ参りました処同子どうしの宅は焼残やけのこりまして誠に僥倖しあわせだと云って悦んで居りましたが、桃林のうちに町奉行の調べの本が有りまして
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
老人たちに何かお説教をされると「のたまわくか」と言って逃げたものである。いわんやこのごろの青年諸君のなかには、論語などと聞いても、名前も知らない人が多いであろう。
孔子とアメリカ (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
逆回転だったのでカン(頭にかけて赤ちゃんをひき出す道具)をつかって仮死で出た由。
それから南禅寺に行った時にも、山門の上でにすすめられて坐禅をしたという話でした。
我が宗教観 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
そこで農事に委しい人を頼まうといふことになつて相馬さうま藩から二みやきんらう尊徳そんとく翁の、其頃五十餘の大兵だいへうな人)をび、伊豆の代官江川えがは氏の手附てづき河野鐵平かうのてつへいといふ人をもめした。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
案に相違した根岸氏は、今度は豆腐を白耳義ベルジユームに送り出さうと言ひ出した。ブラツセルには先日こなひだ亡くなつた本野一郎が公使として駐在してゐたから、そこへ進物にしようといふのだ。
人間のジャーナリスティックな本能に基くのであって、の所謂遠くより来る友や、ヘラルド(之は間諜でもある)、話し手、物語作家、其の他はこの本能の要求に対応して発生した。
思想と風俗 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
んぞ此に在るか? 此れあに久しく留るけんや。すみやかに我に従つて出でよ。」
鴉片 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
孔子は恐らく貧相な不男ぶおとこであったろうし、孫子は薩摩さつま芋侍いもざむらいのような骨太な強情きごわものであったであろう——のたまわくや、矢声掛声やごえかけごえは、そなたのかわいい唇から決してれてはならぬものじゃ
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
ナニサあれは篠原と。ことに例のがひいきして引っ張り廻すからサ。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
雲は白く綿々めんめんとして去来し、巒気らんきはふりしきるせみの声々にひとしおに澄みわたる、その峡中に白いボートを漕ぐ白シャツの三、五がいる。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
いはく、『百くわんをさめ、萬民ばんみんしたしましめ、(九一)府庫ふこたすは、いづれぞ』と。ぶんいはく、『かず』と。
其以後そのいごたれけぬ。やうや此前このまへ素通すどほりするくらゐであつたが、四十ねんぐわつ十二にちに、は、織田おだ高木たかぎ松見まつみ表面採集へうめんさいしふ此邊このへんた。
浅井氏いわく場所広くして遠近さだかならずもしこの画を画とせんとならば更に一週の日子にっしを費して再び渋川に往けと。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
来たのは三組だけだったが、一組は近衛が買い、残る一組は、さる高貴の方がお買上げになったと聞いている。
曰く、犂牛りぎゅうあかくして且つ角よくば、用うることからんと欲すといえども、山川其れこれてんやと。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
よ、犠牲になる牛を見ずや。首に錦鈴きんれいを飾り、美食を飼わしているが、曳いて大廟たいびょうの祭壇に供えられるときは、血をしぼられ、骨を解かれるではないか)
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕なんぞはおんなじように、のたまわくなんてやって、なんの事だかチンプンカンプンだったのだ。
燕王信のまことあるを見、席を下りて信を拝して曰く、我が一家を生かすものはなりと。信つぶさに朝廷の燕を図るの状を告ぐ。形勢は急転直下せり。事態は既に決裂せり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
折々二を伴つて散歩に出で、わたくしに代つて架上の書を見てもらふ便を得た。
来訪者 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
信玄のまえで寛闊一休かんかついっきゅうを踊ってみせるというのが大体の筋で、本よみが済んでから諸君の御意見をきたいということであったが、末松を除いては別に何らの意見をのべる者もなかった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
孝助が主人の敵を討ったかどもって飯島平左衞門の遺言に任せ、孝助の一孝太郎を以て飯島の家を立てまして、孝助は後見となり、芽出度く本領安堵ほんりょうあんどいたしますと、其の翌日伴藏がお仕置になり
日本海の風に吹かれて、滄浪そうろうの寄せ来る、空の霞める、雲も見えず、うららかなる一日を海辺にさまよい、終日ひねもす空想に耽っていたことがあるが、その時の文章と閲歴とを思い出さずにはいられなかった。
ところもの其人そのひとほねみなすでちたり、ひと其言そのげんのみ君子くんしは、其時そのときればすなは(二)し、其時そのときざればすなは(三)蓬累ほうるゐしてる。
かつの胸中より一切記憶に存する所の俳句を取り去り、虚心虚懐以て我言を聴け。古池の句もこれを忘るべし。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
同月どうげつ二十三にちにはげんぼうほか玄川子げんせんしくはへて四にんつた。今度こんどは、小徑こみち左方さはう緩斜面くわんしやめん芋畑いもばたけである。
「真田源次郎どのとおおせあると、上田うえだ城主じょうしゅ真田昌幸さなだまさゆきどののご一、秀吉公の手もとでやしなわれているとうわさにききましたが、その源次郎どのでござるか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近代の指揮法のたんを開いた人として極めて重要な指揮者であるニキシュについては、近衛秀麿の『シェーネベルク日記』などになかなか面白いいろいろなことが書かれてある。
又其章の、門人が子思子に問われた言葉に、「昔はの先君子出母を喪せる
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)