かな)” の例文
そして凝視ぎょうししているすずしいには深いかなしみの色がやどっていた。その眼で若者はさっきから一対いっついのおしどりをあかずながめていた。
おしどり (新字新仮名) / 新美南吉(著)
かれは、このつめたいかぜが、かえって、かなしい自分じぶんむねにしみるように、いつまでもここにいて、かぜかれていたい気持きもちがしました。
花の咲く前 (新字新仮名) / 小川未明(著)
すべての悩みも悲しみも、苦しみももだえも、胸に秘めて、ただ鬱々うつうつと一人かなしきもの思いに沈むというような可憐な表情を持つ花です。
季節の植物帳 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
欺瞞ぎまんと強欲と狡猾こうかつのために、いつも抑えつけられ、踏みにじられている、無知や愚鈍のかなしさは、飽きるほど見もし聞きもしている。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
突如としてまたいいようのないさびしさ、かなしさ、くやしさが暴風のように襲って来た。また来たと思ってもそれはもうおそかった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼は生きたしかばねにも等しい人を抱いてしまった。罪で罪を洗い、あやまちで過ちを洗おうとするようなかなしい心が、そこから芽ぐんで来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まがりなりにも城主であったものが、仮小屋のなかにひとりで起居している姿はかなしかった。もとの家臣にとっては気持の負担であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
ちんの行く末は案じぬが、世の末を思うと、夜も安からず思う。……かなしい哉、朕はそも、いかなれば、不徳に生れついたのであろう」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるに今日は御心重きこと鉛のごとく、とうとき額にはかなしみの雲深くただよい、いかにも疲れつくして席に着き給いました。
過ぎ去つた時代の、人を動かす埃がその上に浮かんでゐる。昔の人のした奢侈の、上品な、うらかなしい心がそこから啓示けいしせられるのである。
クサンチス (新字旧仮名) / アルベール・サマン(著)
「いや僕も、君の言うことがよく解ったよ。それでは僕も明日は出席しないからね……」私は少しかなしくなって、こう言った。
遁走 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
今まで知らぬ自由と楽しさのこのさきに待つとし思えば、父に別るるかなしさもいささか慰めらるる心地ここちして、いそいそとして行きたるなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
尽日じんじつ北の風が吹いて、時々つめたいほそい雨がほと/\落ちて、見ゆる限りの青葉が白いうらをかえして南になびき、さびしいうらかなしい日であった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「鬼がわたしの車に乗り込んで琵琶を弾きました。鬼の琵琶というものを初めて聴きましたが、ひどくかなしいものですよ」
が、やがて、その彼の、いや私達のかなしい恋情は、月日が経って、私達の顔に次第に面皰にきびえてくるに従って、何処かへ消えて行って了った。
虎狩 (新字新仮名) / 中島敦(著)
あひだそらわたこがらしにはかかなしい音信おどづれもたらした。けやきこずゑは、どうでもうれまでだといふやうにあわたゞしくあかつた枯葉かれは地上ちじやうげつけた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
正面に両手と両足を縛られた男の大きな塑像がこれすゝと塵とに汚れてかなさうに痩せこけた顔を垂れながら天井からぶらさがる。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
ことにも、男は、つらくて、かなしいものだ。とにかく、何でもたたかって、そうして、勝たなければならぬのですから。
美男子と煙草 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「今晩は、どうも——」と挨拶あいさつをすると「いやいや」と周章あわてて、ぼくの顔をみてかなしい薄笑いをして、「ぼくは単なる見物人ですよ」と言いました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
ふ、かなしいこゑに、おどろいてかほげると、かげごとく、くろが、ひし背後抱うしろだきに、左右さいううでつかひしぐ。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
青年わかものは恋をおもい、人の世を想い、治子を想い、沙漠を想い、ウォーシスを想い、想いは想いをつらねてまわり、深きかなしみより深き悲しみへと沈み入りぬ。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そこでその皇后は紐のついた小刀をもつて天皇のおくびをお刺ししようとして、三度振りましたけれども、かなしい情に堪えないでお頸をお刺し申さないで
里人のかたるを聞けば、汝一旦ひとたび愛慾あいよく心神こころみだれしより、たちまち鬼畜に一二五堕罪だざいしたるは、あさましともかなしとも、一二六ためしさへまれなる悪因あくいんなり。
そうした、ある朝、彼は寝床で、隣室にいる妻がふとかなしげなせきをつづけているのを聞いた。何か絶え入るばかりの心細さが、彼を寝床から跳ね起させた。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
復一は変態的に真佐子をいじめつけた幼年時代のかなしい甘い追憶にばかりだんだん自分をかたよらせて行った。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
死病しびょうの勢で初めて思うことが言える。わしはあれの今までが可哀そうでなりません。鳥のまさに死なんとするその鳴くやかなし。人の死なんとするその言や善し」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
現実の充たされない世界に於て自我の欲情する観念イデヤ(理念)を掲げ、それへのみがたい思慕からして、訴え、なげき、かなしみ、怒り、叫ぶところの芸術である。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
糸子はそれに早くも気づき、かなしい追憶に胸もはりさけるようであったのだ。帆村はいろいろと彼女を慰めることにひと苦労もふた苦労もしなければならなかった。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
春日はるひすらつかきみかなしも若草わかくさつまきみつかる 〔巻七・一二八五〕 柿本人麿歌集
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
念仏衆の打ちならす小、中、大のかねの音が静かに、かなしげに、そして、いかにも退屈さうに響いた。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
「山路君……わしはもう駄目じゃ。極度の疲労で、はやく死にたい」老博士は、こうかなしく叫んだ。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
そして、話が終つて、彼女が少しせはしく呼吸いきをつぎ、短いせきをするのを聞くと、私は、漠然と彼女のことが心配になつて、しばらく自分のかなしみを忘れてしまつた。
それがあの当時の人心を風靡ふうびしたのも、要するに以前の笑いの文学には全然見られなかったしんみりとした常人の感情、殊に笑いとは対立する憂いとかかなしみとかが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
荒村行をするに恰好かっこうな題目であったが、まだしも白衣の道者も来れば、御師おしも数軒は残っていたが、今度来て聞くとかなしいかな、村山では御師の家も退転してしまい
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
鉄道のみに限らず、あらゆる部門でかかるかなしむべき事実が数多く行われていることであろう。
(新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
くされた野菜と胡蘿葡のごれたどぶどろのそばに、粗末な蓆の小屋をかけて、柔かな羽蟲のもつれをかなしみながら、ただひとり金紙に緋縅の鎧をつけ、鍬形のついた甲を戴き
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
お父さまは鉄砲でッ殺されたって、何とハア魂消た訳でがんすな、お便り少ねえ嬢さまゆえ、さぞかなしかんべえと勇助どんと話しいして居やしたが、実にお気の毒なわけで
私は小さいときからものの嬉しさかなしさも早くわかり、涙もろかった。一度も友達と争ったことなどはなかった。戦闘的態度のエゴイズムなどとても私の本性の柄に合わないのだ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
娘時代を、こんな男の自由になつてゐた事がかなしくさへあつた。自分のまはりの男は、どうして、こんなに落ちぶれて卑しくなつてしまつてゐるのかと、不思議な気持ちだつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
狂乱の場面になると、愛と死とのあのかなしい歌のところになると、女優の声は人を感動せしめないではおかないような抑揚よくようになり得たので、彼はまったく心転倒してしまった。
一族——息子たちや、孫たちやそれから曾孫ひこたち——は、みな深いかなしみに沈んでいた。
ただ、それを囲む群集の喧々囂々けんけんごうごう、紛々乱々だけは如何いかんともなす由がない。手のつけようも、足のつけようも知らない代り、わめき叫び、かなしみ求むる声だけはいたずらに盛んである。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
カピ長 婚儀こんぎためにと準備よういした一さい役目やくめへて葬儀さうぎよういはひのがくかなしいかね、めでたい盛宴ちさう法事ほふじ饗應もてなしたのしい頌歌しょうかあはれな挽歌ばんか新床にひどこはなはふむ死骸なきがらようつ。
福子は、そのような隠居を見ていると、何がなしかなしくなってくるのだった。みんなの心遣いを喜んで受けている隠居が、何か、その心遣いを無理強むりじいされているように見えてならない。
万年青 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
見せかけはいかにも悲しそうによそおう泣き男はひとりもおらず、そのかわりに、ほんとうにかなしみいたむ人がひとり、力弱く遺骸いがいのあとをよろめきながらついてきた。それは故人の老母だった。
日出雄少年ひでをせうねんゆめほかは、またとなつかしき母君はゝぎみかほこと出來できぬであらう、かんがへると、わたくし無限むげんかなしくなつて、はふりつるなみだ日出雄少年ひでをせうねんかほにかゝると、少年せうねんおどろいてさました。
返ラヌ道ト成ヌルコソかなシケレ、セメテこれニテ腹切テ四手しでノ山トヤランノ御供スベシ、急ギ介錯セヨト有シカバ、後見ノ男申様まうすやうハ、合戦ノ御負おんまけハ疑ナシ、敗軍ノ兵ドモ昨日今日引モ切ラズ馳セ参候
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いまだかつて西成にのぞんで歳功の終はるをかなしむものを聞かず。
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
継子ままこのように、葉子はそれが何よりかなしげであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
なうハビアン、思へばそなたはかなしい男ぢや。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)