“倒(さかしま)” の例文
南は山影暗く倒(さかしま)に映り北と東の平野は月光蒼茫として何(いづ)れか陸、何れか水のけじめさへつかず、小舟は西の方を指して進むのである。
少年の悲哀 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
小草(おぐさ)が数本(すほん)に、その一本を伝わって倒(さかしま)に這降(はいお)りる蟻に、去年の枯草(かれぐさ)のこれが筐(かたみ)とも見える芥(あくた)一摘(ひとつま)みほど——これが其時の眼中の小天地さ。
円形の池を大廻りに、翠(みどり)の水面に小波(ささなみ)立って、二房(ふたふさ)三房(みふさ)、ゆらゆらと藤の浪(なみ)、倒(さかしま)に汀(みぎわ)に映ると見たのが、次第に近(ちかづ)くと三人の婦人であった。
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
われは毛髮倒(さかしま)に竪(た)ちて、卓と柩との皆獨樂(こま)の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇(とこやみ)となりて、頭の内には只だ奇(く)しく妙(たへ)なる音樂の響きを聞きつ。
無智無力の小民ら、戈(ほこ)を倒(さかしま)にすることもなかるべけれども、われわれは客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
身をしゞめ倒(さかしま)になりて穴に入り、いれおきたるものをくらひつくし、出(いで)んとするに尾(を)のすこしいづる程(ほど)に作りまうけたる穴なれば、再(ふたゝ)びいづる事叶(かな)はず。
客なき卓に珈琲碗(わん)置いたるを見れば、みな倒(さかしま)に伏せて、糸底(いとぞこ)の上に砂糖、幾塊(いくかたまり)か盛れる小皿載せたるもをかし。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
園ノ西南厓(がい)ニ倚(よ)ツテコレヲ径ス。眺観豁如(かつじょ)タリ。筑波(つくば)二荒(ふたら)ノ諸峰コレヲ襟帯(きんたい)ニ攬(と)ルベシ。厓下ニ池アリ。倒(さかしま)ニ雲天ヲ涵(ひた)シ、芰荷菰葦叢然(きかこいそうぜん)トシテコレニ植ス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
どうかして餘(あま)りに後(おく)れると空(から)な草刈籠(くさかりかご)を倒(さかしま)に脊負(せお)つて、歩(ある)けばざわ/\と鳴(な)る樣(やう)に、大(おほ)きな籠(かご)の目(め)へ楢(なら)や雜木(ざふき)の枝(えだ)を揷(さ)して黄昏(たそがれ)の庭(には)に身(み)を運(はこ)んで刈積(かりつ)んだ青草(あをくさ)に近(ちか)く籠(かご)を卸(おろ)す。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
口惜さに身を恥ぢて、倒(さかしま)に池に身を投じたが、氣の付いた時は目の前に、門附の坊主がゐた。氣高い貴女を見た。貴女は浦安の宮で見た稚兒に寸分違はぬ、水を司る神であつた。
この時敵陣の中央に控えたる定遠艦首の砲台に白煙むらむらと渦まき起こり、三十サンチの両弾丸空中に鳴りをうってわが先鋒隊の左舷の海に落ちたり。黄海の水驚いて倒(さかしま)に立ちぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
上三句重く下二句軽く、瓢(ひさご)を倒(さかしま)にしたるの感あり。ことに第四句力弱し。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
どうして、どうして、決して端倪(たんげい)するわけにゆきません。海を倒(さかしま)にし、江を翻す弁才があります。丞相の著(あらわ)されたかの孟徳新書をたった一度見ただけで、経をよむごとく、暗誦(そらん)じてしまいました。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
銀河(ぎんが)を倒(さかしま)にして膝(ひざ)に及(およ)ぶ鬣(たてがみ)
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
微瀾(びらん)倒(さかしま)に浸す玉浮図(ぎょくふと)
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
宙宇に倒(さかしま)なり。
熱情的なフーガ (新字旧仮名) / 富永太郎(著)
と喚(わめ)くと、縁(ふち)を這𢌞(はひまは)り/\、時々(とき/″\)倒(さかしま)に、一寸(ちよつと)指(ゆび)の先(さき)を入(い)れては、ぶる/\と手(て)を震(ふる)はして居(ゐ)た奴(やつこ)が、パチヤリと入(はひ)つて
銭湯 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
譬へば千尋(ちひろ)の海底に波起りて、倒(さかしま)に雲霄(うんせう)を干(をか)さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑(しばら)く形あるものに喩(たと)へて言はんか。
好(よ)し一つ頭を捻向(ねじむ)けて四下(そこら)の光景(ようす)を視てやろう。それには丁度先刻(さっき)しがた眼を覚して例の小草(おぐさ)を倒(さかしま)に這降(はいおり)る蟻を視た時、起揚(おきあが)ろうとして仰向(あおむけ)に倒(こ)けて、伏臥(うつぶし)にはならなかったから、勝手が好(い)い。
 田面(たおも)に水あふれ、林影倒(さかしま)に映れり
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
目の下の崕が切立(きった)てだったら、宗吉は、お千さんのその声とともに、倒(さかしま)に落ちてその場で五体を微塵(みじん)にしたろう。
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「可(よ)からう、可(よ)からう、そりやざぶりとぢや。」と桶(をけ)を倒(さかしま)にして、小兒(こども)の肩(かた)から我(わ)が背中(せなか)へ引(ひつ)かぶせ
銭湯 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
手に手に、すくすくと槍(やり)を立つ。穂先白く晃々(きらきら)として、氷柱(つらら)倒(さかしま)に黒髪を縫う。あるものは燈籠を槍に結ぶ、灯(ともしび)の高きはこれなり。あるものは手にし、あるものは腰にす。
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ほぼ一町もあるという、森の彼方(かなた)にどうどうと響く滝の音は、大河を倒(さかしま)に懸けたように聞えて、その毛穴はここに居る身にもぞッと立った。島野は逡巡して立っている。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こゝは英雄(えいゆう)の心事(しんじ)料(はか)るべからずであるが、打(ぶち)まけられる湯(ゆ)の方(はう)では、何(なん)の斟酌(しんしやく)もあるのでないから、倒(さかしま)に湯瀧(ゆだき)三千丈(さんぜんぢやう)で、流場(ながしば)一面(いちめん)の土砂降(どしやぶり)、板(いた)から、ばちや/\と溌(はね)が飛(と)ぶ。
銭湯 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
が、猶(なお)の事だ。今更ながら、一同の呆(あき)れた処(ところ)を、廂(ひさし)を跨(また)いで倒(さかしま)に覗(のぞ)いて狙(ねら)つた愚僧だ。つむじ風を哄(どっ)と吹かせ、白洲(しらす)の砂利(じゃり)をから/\と掻廻(かきまわ)いて、パツと一斉に灯を消した。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
裏庭(うらには)とおもふあたり、遙(はる)か奧(おく)の方(かた)には、葉(は)のやゝ枯(か)れかゝつた葡萄棚(ぶだうだな)が、影(かげ)を倒(さかしま)にうつして、此處(こゝ)もおなじ溜池(ためいけ)で、門(もん)のあたりから間近(まぢか)な橋(はし)へかけて、透間(すきま)もなく亂杭(らんぐひ)を打(う)つて
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
驚いて法師が、笠に手を掛け、振返ると、亀甲形(きっこうがた)に空を劃(くぎ)った都会(みやこ)を装う、鎧(よろい)のごとき屋根を貫いて、檜物町の空に𤏋(ぱっ)と立つ、偉大なる彗星(ほうきぼし)のごとき火の柱が上って、倒(さかしま)に迸(ほとばし)る。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
高く竜燈の露(あらわ)れたよう二上屋の棟に蒼(あお)き光の流るるあたり、よし原の電燈の幽(かすか)に映ずる空を籠(こ)めて、きれぎれに冴(さ)ゆる三絃の糸につれて、高笑(たかわらい)をする女の声の、倒(さかしま)に田町へ崩るるのも
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「動!」と喚(わめ)くと、一子時丸の襟首を、長袖のまま引掴(ひッつか)み、壇を倒(さかしま)に引落し、ずるずると広前を、石の大鉢の許(もと)に掴(つか)み去って、いきなり衣帯を剥(は)いで裸にすると、天窓(あたま)から柄杓(ひしゃく)で浴びせた。
茸の舞姫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
引断(ひっちぎ)れたやうに残つて、袷(あわせ)はのけざまにずる/\と畳(たたみ)の上を引摺(ひきず)らるゝ、腋(わき)あけのあたり、ちら/\と、残(のこ)ンの雪も消え、目も消えて、裾(すそ)の端が飜(ひるが)へつたと思ふと、倒(さかしま)に裏庭へ引落(ひきおと)された。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
それも可い、無い子だねなら断念(あきら)めべいが、提灯(ちょうちん)で火傷(やけど)をするのを、何で、黙って見てござった。私(わし)が手(てん)ぼうでせえなくば、おなじ車に結(ゆわ)えるちゅうて、こう、けんどんに、倒(さかしま)にゃ縛らねえだ。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
岩の下を掻(か)いくぐって、下の根のうつろを打って、絶えず、丁々(トントン)と鼓の音の響いたのが、潮や満ち来る、どッと烈(はげ)しく、ざぶり砕けた波がしら、白滝(しらたき)を倒(さかしま)に、颯(さっ)とばかり雪を崩して、浦子の肩から
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
浪は水晶の柱のごとく、倒(さかしま)にほとばしって、今つッ立った廉平の頭上を飛んで、空ざまに攀(よ)ずること十丈、親仁の手許の磨ぎ汁を一洗滌(ひとあらい)、白き牡丹(ぼたん)の散るごとく、巌角(いわかど)に飜って、海面(うなづら)へざっと引く。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
遥か奥の方(かた)には、葉のやや枯れかかった葡萄棚(ぶどうだな)が、影を倒(さかしま)にうつして、此処(ここ)もおなじ溜池(ためいけ)で、門のあたりから間近な橋へかけて、透間(すきま)もなく乱杭(らんぐい)を打って、数限(かずかぎり)もない材木を水のままに浸(ひた)してあるが
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
言下に、床板を跳ね、その穴より黒潮騎士(こくちょうきし)、大錨(おおいかり)をかついで顕(あらわ)る。騎士二三、続いて飛出づ。美女を引立て、一の騎士が倒(さかしま)に押立てたる錨に縛(いまし)む。錨の刃越(はごし)に、黒髪の乱るるを掻掴(かいつか)んで、押仰向(おしあおむ)かす。
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
(細く丈長き鉄(くろがね)の錨(いかり)を倒(さかしま)にして携えたる杖(つえ)を、軽(かろ)く突直す。)
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)