彼方あつち)” の例文
理髮店に歸ると、源助は黒い額に青筋立てて、長火鉢の彼方あつちに怒鳴つてゐた。其前には十七許りの職人が平蜘蛛ひらくもの如くうづくまつてゐる。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
「何んやこんなもん、こんなとこへ持つて來るんやない。彼方あつちへ置いといで、阿呆あほんだら。」とめづらしくお駒を叱つて、眼にかどてた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
「先生様のお為めなら、わしい、何時いつだつて投票するだと、彼方あつちからも此方こつちからも持掛けるんで定めし先生様もお困りでがせうな。」
いやだよ。御父おとつちやんべい。おほきい御馬おむまつてれなくつちや、彼方あつちかないよ」とこたへた。こゑちひさいをとここゑであつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「直道、阿父さんのお帰来かへりだから、泣いてゐちや可けないよ、早く彼方あつちへ行つて、……よ、今日は後生だから何も言はずに……」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
彼方あつち此方こつちさがす中、やつとのことで大きな無花果いちじく樹蔭こかげこんでるのをつけし、親父おやぢ恭々うや/\しく近寄ちかよつて丁寧ていねいにお辭儀じぎをしてふのには
怠惰屋の弟子入り (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
「まあにぎやかなこつちやなあ、わしらは目鼻ほどに近うでも一年に一度も此所らにや来やせんがな……。」と老母は彼方あつちまぶしさうに眺めた。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
わしが見てねえでは歯骨はつこつなにわかるまい。金「ナニ知つてるよ、ちやんと心得こゝろえてるんだ、彼方あつちけ、かねえとなぐけるぞ、かねえか畜生ちくしやう。 ...
黄金餅 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
甚麼話どんなはなしるのでらうか、彼處かしこつても處方書しよはうがきしめさぬではいかと、彼方あつちでも、此方こつちでも、かれ近頃ちかごろなる擧動きよどう評判ひやうばん持切もちきつてゐる始末しまつ
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「うるせえ、ちと彼方あつちつててくれ」とひました。あぶのやんちやん、そんなことはみゝにもいれず、ますますはひなどまで呼集よびあつめてまはつてゐました。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
「さあ! 彼方あつちへいらつしやい。お客様が皆、探してゐるのよ。」二三人彼のモーニングコートの腕に縋つた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
「獨身主義かね。」自分は笑ひかけたがお花の樣子が餘りに氣の毒に見えたので、「もうい片付けて呉れ。其れから直ぐ彼方あつちへ蒲團を敷いて置いて呉れ。」
新帰朝者日記 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
と見ると——釣竿を忘れずにかついで来た程、其様そんなひどく酔つて居るとも思はれないが、しかし不規則な、覚束ない足許あしもとで、彼方あつちへよろ/\、是方こつちへよろ/\
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「宿屋つて、どうせ彼方あつちへ行つちやさう好い旅舎やどやなんかねえさ、泊るぐれえなことは出来るけえど」
伊良湖の旅 (新字旧仮名) / 吉江喬松(著)
御神輿おみこしはしらの、かざり珊瑚さんご𤏋ぱつき、ぎんすゞ鳴据なりすわつて、鳳凰ほうわうつばさにはとりのとさかが、さつあせばむと、彼方あつち此方こつちさま團扇うちはかぜなみに、ゆら/\とつて
祭のこと (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「ま、錢形の親分さん、——お玉は彼方あつちへ行つてお出でよ——時々變なのが來るものですから、滅多な人には逢はないことにしてをります。飛んだことを申しあげました」
義男が何を云つても自分は自分で彼方あつちを向いてる時が多くなつた。みのるを支配するものは義男ではなくなつた。みのるを支配するものは初めてみのる自身の力によつてきた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
爲樣しやうがあらうが有るまいが、それはわたしの知ツたことぢやない! といふやうな顏をして、近子ちかこはぷうとふくれてゐた。そしてやが所天をつとそばを離れて、椽側えんがは彼方あつち此方こつちと歩き始めた。
青い顔 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
祖父は歿くなる、親は追出す、もう誰一人その我儘わがまゝめるものが無くなつたので、初めの中は自分の家の財産を抵当に、彼方あつち此方こつちから金を工面して、なほその放蕩はうたうを続けて居た。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
「何だか解つたものぢやないわね。また彼方あつちで何かやり損なつたのぢやないの?」
眠い一日 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
不具になつても御厭おいとひなさらぬか、へ、自分がドンなに別嬪べつぴんだと思つて居るんだ、彼方あつちからも此方こつちからも引手ひくて数多あまたのは何の為めだ、容姿きりやうや学問やソンな詰まらぬものの為めと思ふのか
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
彼方あつちでも此方こつちでも禁を犯してゐた。
避病院 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
かねて自分を愚弄する様な気がするので、矢っ張り平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方あつちつたり此方こつちたりして、飲んでゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
このごろ欧羅巴ヨーロツパの西部戦線にゐる英軍の塹壕ざんがう内では、彼方あつちでも此方こつちでもキツチナア元帥に遭つたといふ風説がさかんに行はれてゐる。
うむ、彼方あつちに支度がしてあるから、来たら言ひに来る? それは善い、西洋室の寄鍋なんかは風流でない、あれは長火鉢ながひばち相対さしむかひに限るんさ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「まあ! お兄様! 何を遊ばすのです。さあ! 彼方あつちへ行らつしやい。」優しく制してゐる女の声が聞えた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
明後日あさつて帰つて来てそれからまた彼方あつちつてしまふんだらう。え。おいとちやんはもうれなりむかうの人になつちまふんだらう。もうぼくとは会へないんだらう。」
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
『あら、変だわ。声のするのは彼方あつちぢやありませんか?』と、稍あつて松子は川下の方を指した。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
おい……ハヽヽ彼方あつちげてきやアがつた、馬鹿ばかやつだなア……先刻さつきむぐ/\つてゐた粟饅頭あはまんぢう……ムンこゝにけむ饅頭まんぢうがある、くひかけてのこしてきやアがつたな。
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
れかゝると彼方あつちひとならび、此方こつちひとならび縦横じうわうになつて、うめとび々にくらくなる。
化鳥 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「よし/\、解つてゐる。お前は彼方あつちへ行け、女が來ると話がこんがらかる」
彼方あつちへ行き。……」と睨んだ。自分の親しい味方で、父とはまた別な懷かし味を有つてゐる平七も、何うしたものか、難かしい顏をして、話を途切れさせつゝ横を向いて、タバコの煙を吐いた。
父の婚礼 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
何しろ六月から七月へかけて、螢の出る季節ときになると、自分の村は螢の光で明るい……だから、日が暮れて、新樹の木立こだちの上に、宵の明星があざやかな光できらめき出すのを合圖で、彼方あつちでも、此方こつちでも盛に
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
「おだてちやいけませんよ、先生! 尤も了見は私に似て呉れゝば、少くとも愚図にはなるまいが——生活は真似られたくありません、あゝして彼方あつちへ離れてゐるのもその分では好いあんばいだとは思つてゐるんです。」
夏ちかきころ (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
彼方あつち此方こつちから声が懸る。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
駅長は前よりは一層丁寧にお辞儀をして、小走りに彼方あつちへ往つたと思ふと、暫くすると、貨車はまたごとごとと音を立てて、後退あとじさりを始めた。
「もうしませう。彼方あつちつて、御飯ごはんでもたべませう。叔父おぢさんもゐらつしやい」と云ひながら立つた。部屋のなかはもう薄暗うすぐらくなつてゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
嗚呼ああ、私はどうしたら可からう! 若し私が彼方あつちつたら、貫一さんはどうするの、それを聞かして下さいな」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「主人公が、こんな所に、逃げ込んでゐては困りますね。さあ、彼方あつちへ行きませう。先刻も我党の総裁が、貴方あなたを探してゐた。まだ挨拶をしてゐないと云つて。」
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
さあ、それからは、宛然さながら人魂ひとだまつきものがしたやうに、かつあかつて、くさなか彼方あつちへ、此方こつちへ、たゞ、伊達卷だてまきについたばかりのしどけないなまめかしい寢着ねまきをんな追𢌞おひまはす。
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
何方どれだツて二人並んでるだらう。梅「へえ……。首を動かし見て、「成程なるほど此方こつちで首をるやうに向うでもり、したを出せば彼方あつちでも出しますな。近「しねえ、みつともねえから。 ...
心眼 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
彼方あつちへ行け、彼方へ。』と、健は烈しい調子で、隣室にも聞える樣に叱つた。
足跡 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
彼方あつち此方こつちから声が懸る。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
彼方あつちの水はにがいな
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
「さあ、御前達おまへたち此所こゝさわぐんぢやない。彼方あつちつて御出おいで御客おきやくさまだから」とせいした。其時そのときだれだかすぐに
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
オウクネエ島附近で溺死した元帥が今頃蘇生いきかへつてゐる筈もないが、それでも彼方あつちでも見た、此方こつちでも見た。
ればそのころは、町々まち/\辻々つじ/\を、彼方あつちからも、いなだ一まい此方こつちからも、いなだ一まい
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
エヘ、御免ごめんなさい、かく頂戴ちやうだいしませう、一たいくろくなりやしたな、うも、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ々々/\々々/\々々/\成程なるほど此木このきはしたけはしうするんですな、おまいさん彼方あつちつてゝおんなさい。
黄金餅 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
彼方あつちには男生徒が沢山行つてるから、お前達には取れませんよ。』
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
けれども、大体に於て、舞台にはもうあきてゐた。まく途中とちうでも、双眼鏡で、彼方あつちを見たり、此方こつちを見たりしてゐた。双眼鏡のむかふ所には芸者が沢山ゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)