殊更ことさら)” の例文
『朝日新聞』にて『そらだき』をお書きなすってから、作風も筆つきも殊更ことさらに調ってきて、『空だき』の続稿の出るのがまたれました。
大塚楠緒子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
脚を重ねて椅子いすに座す。ポケットより新聞と老眼鏡とを取り出し殊更ことさらに顔をしかめつつこれを読む。しきりにゲップす。やがてねむる。
饑餓陣営:一幕 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
こういう所に女に軽蔑された根拠もあったのだし、それを避けようとして殊更ことさらに泣き言めいて悩み悩みと言い慣わした理由もある。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
また或女は無情と酷薄とを極めた旧道徳に対する反感から殊更ことさらに貞操を眼中に置かないという風な矯激の思想を持っているかも知れぬ。
鏡心灯語 抄 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
お屋敷に仕える青侍あおさぶらいの数も少いことではございませんが、殊更ことさらわたくしにお申含めになったについては、少々訳がらもございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
殊更ことさら強く聞きかえした。向きあうと、かならずこういうかたちになる夫婦なのである。主水は狐拳きつねけんでもしているようだと思うことがある。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
世間には往々読まざる書物をれいれいと殊更ことさら人の見る処に飾立かざりたてて置く人さえあるのに、これはまた何という一風変った癇癖かんぺきであろう。
それから、一カ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴する身分になった事を、面白半分、殊更ことさらに真面目な句調で吹聴ふいちょうして来た。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
……かはあたり大溝おほどぶで、どろたかく、みづほそい。あまつさへ、棒切ぼうぎれたけかはなどが、ぐしや/\とつかへて、空屋あきやまへ殊更ことさらながれよどむ。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
人形芝居は下から見るに限ると云う意見の老人は「ここがいいね」と殊更ことさら土間へ席を取ったので、若葉のえる頃ではあるが
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
今夜こよひは満願とてかの橋にもいたり殊更ことさらにつとめて回向ゑかうをなし鉦うちならして念仏ねんぶつしけるに、皎々けう/\たる月遽然にはかくもりて朦朧まうろうたり。
殺したる事大膽不敵の擧動ふるまひなり伊勢屋方よりうつたへたる旅僧も同夜の事なれば是はなんぢ同類どうるゐなるべし殊更ことさら其方そのほうは金屋にて盜みし櫛を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「何分、わたくしは、御当地に始めての旅の者、殊更ことさら、取り急ぎます日暮れ時、何事もお心ひろうお許し下されますよう——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
間接には幾分か関係のある面白い話も沢山ありますけれども、直接の関係はないからここに殊更ことさらお話する必要はありません。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
けれど私はその原因が、佐川二等兵の慣れない運転にあるのを知っているので、殊更ことさら不満として口にするのを差し控えた。
其夜そのよとこりしかども、さりとは肝癪かんしやくのやるなく、よしや如何いかなる用事ようじありとても、れなき留守るす無斷むだん外出ぐわいしつ殊更ことさら家内かないあけはなしにして
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
殊更ことさら少將殿の御事、不肖弱年の時頼、如何いかでか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つや/\合點がてん參らず
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
かれはさうでなくてもかつてはき/\とくちいたこともなく、殊更ことさら勘次かんじたいしてはしなびたかほ筋肉きんにくさらしがめてるので
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
いったん部屋の中に入って、障子しょうじもしめてしまおうかと思った程だったのが、殊更ことさら縁側へ出て、自分の方から声をかけないでは済まされなくなった。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
又何故、この告白を、殊更ことさら奥様に聞いて頂かねばならぬのか、それらのことが、ことごとく明白になるでございましょう。
人間椅子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
水を差すべくその愛は傍目はためにも余り純情で、殊更ことさららしい誠実を要せず、献身を要せず、しかいさゝかの動揺もなかつた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
この通り多くの例は、いずれも殊更ことさらにツクの音を濁っている。これは自分にとっては無意味な訛謬かびゅうとは思われぬ。
急いで歩いて来たものと見え、暫らく土塀どべいの傍に立って息を吐きましたが、能く見れば目の縁も紅く泣れて、色白な顔が殊更ことさらいじらしく思われました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かねて見向みむきもしない村の人達が、殊更ことさらにお世辞を云って、お祝いに来たりした。恵美のうちのお祖父じいさんも来た。私は、なんだかうれしくて仕様しようがなかった。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
兎に角此気まぐれな小川でも、これあるが為に少しは田も出来る。つつみかやよしは青々としげって、殊更ことさらたけも高い。これあるが為に、夏はほたる根拠地こんきょちともなる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それがどれ位の出来栄えか、今度帰ったら殊更ことさら私も仰々しくそれをほめそやさねばなるまいと考えたりする。
故郷を想う (新字新仮名) / 金史良(著)
血したたるが如き紅葉もみじの大いなる枝を肩にかついで、下腹部を殊更ことさらに前へつき出し、ぶらぶら歩いて、君、誰にも言っちゃいけないよ、藤村とうそん先生ね、あの人
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
殊更ことさらそれが文政天保の交の訳文だけに、一段の面白味を添えて、あえて新奇ではないが、幽婉なこの挿話を読んで情趣溢るる南島の空を偲ぶこと更に切であった。
ところが、その言ひ方が妙に哀れつぽくて殊更ことさららしく滑稽こつけいだつたので、みんなが一斉にどつと笑ひ出した。
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
前にも申上げた通りいわゆる琉球王国は慶長十四年以後は日本の一諸侯島津氏が殊更ことさらに名に於ては支那にれいせしめ実に於ては日本に属せしめてひそかに支那貿易を
琉球史の趨勢 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
其処そこは道幅が、殊更ことさら狭くなっているために、軽便の軌道は、山の崖近く敷かれてあって、軌道と岩壁との間には、車体をれる間隔は存在していないのだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
彼は私のこの懸念けねんをさとったらしく、わたしを安心させようとして殊更ことさらに快活をよそおい、ほんのつまらない冗談にも、わざとからからと笑ったりしてみせた。
写実リアリズムは到底、是認せざるべからず、唯だ写実の写実たるや、自から其の注目するところに異同あり、或は殊更ことさらに人間の醜悪なる部分のみを描画するに止まるもあり
情熱 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
といったが、そういった後で、彼は自分の亢奮こうふんしてくるのを殊更ことさらに抑えようと努めている風に見えた。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
なかに一人ちよつぴり鼻の尖つた狐のやうな表情をした、商人あきんどらしい男が、口汚くウヰルソンをのゝしるのが、殊更ことさら耳立みゝだつて聞えた。総長某氏はしやくにさへて口を出した。
黒田を誘うて当もなく歩く。咲く花に人の集まる処を廻ったり殊更ことさらに淋しい墓場などを尋ね歩いたりする。黒田はこれを「浮世の匂」をかいで歩くのだと言っていた。
イタリア人 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それに近づくあらゆる生物いきもの殊更ことさらびっこにしてやろうというつもりのもののように思われたが、その敷石が流れた葡萄酒を堰き止めて、小さな水溜りを幾つも作っていた。
自分は一度殊更ことさらに火鉢の傍に行って烟草たばこを吸って、あいふすまめきって、ようやく秘密の左右を得た。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
じつにこれ義勇ぎゆう行動こうどうはそれが少年しようねんによつてなされたゞけに殊更ことさらたのもしくおもはれるではないか。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
T先生も殊更ことさらに注意をせられて、手術の時など、私たちの準備を厳重に監督なさいました。
手術 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
鮓の中にといふは殊更ことさらに聞える。中にといふことが散らし鮓の飯の間から少し蓼の葉が見えて居ることだといふ選者の説明であるが、まさかさうはとれまい。虚子選三座の句に
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その美しいかおだちをもった、まだ十七八の少女の顔が、殊更ことさら、抜けるように白く見え、その滑かな額には、汗のようなあぶらが浮き、降りかかった断髪が、べっとりとくっついていた。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
殊更ことさらに何かを考えるということもなく、ただ散歩の延長のようなつもりで、旅の誘いのまにまにぶらりと家を出る。素朴そぼくなひとりの旅人であればそれでいいと思うようになった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
宗右衛門自身が江戸の或る大名家老から頂戴ちょうだいした羽二重はぶたえしとねが紅白二枚、死出の旅路をひとりで辿たどるお辻の小さな足にも殊更ことさらに絹足袋たびを作つて穿かせ、穿きかへまでも一足添へた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
まことの親達の無慈悲を聞きましたから、殊更ことさらに養い親の恩が有難くなりましたが、両親とも歿のちは致し方がございませんから、めてはねんごろに供養でもして恩を返そうと思いまして
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
肴町さかなまち十三日町にぎわさかんなり、八幡はちまんの祭礼とかにて殊更ことさらなれば、見物したけれど足の痛さに是非ぜひもなし。この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内よりう、共に奥州おうしゅうにての名勝なり。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
心永くきずつきて恋に敗れたる貫一は、殊更ことさらに他の成敗に就いてるを欲せるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
殊更ことさらびっこを引いたりするような愚物になってしまった、実に不可解な出来事である、今日図らずも私を見出して再び以前のゼーロンに立ち返りでもしたら幸いであるが! との事であった。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
分与ぶんよしたる田畑をば親族の名に書き換え、即ちこれに売り渡したるていに持てして、その実は再び本家ほんけゆうとなしたるなど、少しも油断なりがたく、彼の死後は殊更ことさら遺族の饑餓きがをもかえりみず
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
殊更ことさらつとめて他人たにん教化けうくわせんとするが如きはこれを為す者の僣越せんえつしめし、無智無謀むちむぼうしようす、る大陽はつとめてかゞやかざるを、ほしは吾人の教化けうくわはかつひかりはなたず、からざるをざればひかるなり
問答二三 (新字旧仮名) / 内村鑑三(著)