やわら)” の例文
咽喉から流れるままに口の中で低唱ていしょうしたのであるが、それによって長吉はやみがたい心の苦痛が幾分かやわらげられるような心持がした。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
クリームの色はちょっとやわらかだが、少し重苦しい。ジェリは、一目いちもく宝石のように見えるが、ぶるぶるふるえて、羊羹ほどの重味がない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
とろとろと、くもりもないのによどんでいて、夢を見ないかと勧めるようですわ。山の形もやわらかな天鵞絨びろうどの、ふっくりした括枕くくりまくらに似ています。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
竜之助の剣術ぶりは、かたの如く悪辣あくらつで、文之丞が門弟への扱いぶりはやわらかい、その世間体せけんていの評判は、竜之助よりずっとよろしい。
とびいろの眼と、ユウマアのみなぎった、人のいい顔をしてる。この年齢としまで、独身を通してきた。長刀なぎなたの名手なのだ。渋川流しぶかわりゅうやわらもやる。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
が、ふと何んだかそれで立派な下駄が出来そうな気がして来た。すると間もなく、吉の顔はもとのように満足そうにぼんやりとやわらぎだした。
笑われた子 (新字新仮名) / 横光利一(著)
春の風ならやわらかになでるのだけれど、これは先陣が、つと頬を切ってゆくと、後陣がまた、すいと刺してゆく。夏なら人をもゆるしてやる。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
セエラは、初めの一二ヶ月の間は、素直に働いていれば、こき使う人達の心も、そのうちにはやわらぐだろうと思っていました。
また「秋の歌」のうちで「白くくる夏を惜しみつつ、黄にやわらかき秋の光を味わわしめよ」といって人生の秋の黄色い淡い憂愁ゆうしゅうを描いている。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
大「えゝ道具は麁末そまつでござるが、主人が心入れで、自ら隅田川の水底みずそこの水を汲上げ、砂漉すなごしにかけ、水をやわらかにしてい茶を入れましたそうで」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
真綿まわたのようにやわらかい雪の上をまわると、雪のが、しぶきのように飛び散って小さいにじがすっと映るのでした。
手袋を買いに (新字新仮名) / 新美南吉(著)
「ごんじ」は蓑によく用いる「うりき」の別名で、ある地方では「おっかわ」ともいう、青皮の意である。「まだ」に似ているが、「まだ」よりやわらかい。
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
白いやわらかな円石まるいしもころがって来、小さなきりの形の水晶すいしょうの粒や、金雲母きんうんものかけらもながれて来てとまりました。
やまなし (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
エリフは学識経験においては三人に劣れども、同情において優れるためややヨブの心をやわらぐるにおいて成功する。最後にエホバ御自身現われて親しく教示する。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
コロップはやわらかで少しも刃を傷めるうれいが無いからそれで之をそッと其剣先へ刺込で衣嚢かくしへ入れて来たのだ余
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
涼風すずかぜならぬ一陣の凄風せいふう、三人のひっさげがたなにメラメラと赤暗い灯影ほかげゆるがした出会であがしら——とんとんとんとやわらかい女の足音、部屋の前にとまって両手をついた。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やわらかなはらうろこあいだに、一めんくぎがささりまして、そこからながれだし、そのままんでしまいました。
人形使い (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
れから私は構わない、構おうといった所が構われもせず、めようと云た所が罷められる訳けでない、マア/\言語げんぎょ挙動をやわらかにして決して人にさからわないように
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ましてお葉は男を恐れるような弱い女では無かったが、恋にやわらげられたこの女は日頃の気性に似もらず、自分の男を捉えて来ることは躊躇して、ただ往来で折々逢う毎に
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ものの二ちょうばかりもすすんだところひめ御修行ごしゅぎょう場所ばしょで、床一面ゆかいちめんなにやらふわっとした、やわらかい敷物しきものきつめられてり、そして正面しょうめんたなたいにできた凹所くぼみ神床かんどこ
河のようにぬめぬめした海の向うには、やわらかい島があった。島の上には白い花を飛ばしたような木がたくさん見えた。その木の下を牛のようなものがのろのろ歩いていた。
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
そのやわらかい筋肉とは無関係に、角化質かくかしつの堅いつめが短かくさきの丸いおさない指を屈伏くっぷくさせるように確乎かっこと並んでいる。此奴こいつ強情ごうじょう!と、逸作はその爪を眼でおさえながら言った。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
炉にはかしくぬぎくわなどをくべたが、桑が一番火のちがよく、熱もやわらかだと云うので、その切り株をおびただしく燃やして、とても都会では思い及ばぬ贅沢ぜいたくさにおどろかされたこと。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一方にはまた我々のいう猫柳ねこやなぎ、春さき銀色のやわらかな毛でおおわれた若芽をつけて、それがまたやや猫か犬かの形に似ているものも、山陰その他のかなり弘い地域にわたって
けれどもただ一つ見つけたものがあった、レイモンドに撃たれて曲者が倒れた場所で、自動車の運転手がかぶるたいへんやわらかな皮帽子を拾った。その他には何一つ無かった。
客観写生の技に苦心して来た人の俳句は、その心に映った自然を描写するために、前に言った如く、その自然はやわらかき粘土の如く作者の手のおもむくままに形を成すものである。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
京子は、ボイルのような、羅衣うすものを着ていた。しかし、その簡単な衣裳は、却って彼女の美に新鮮を与え青色の模様の下に、躍動する雪肌は、深海の海盤車ひとでのように、やわらかであった。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
彼女は、膝の下に起伏する、え太った腹部のやわらを、寧ろ快くさえ感じていました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あたかも道路改修中のやわらかいアスファルトの層の中へ前足を突っ込んでしまった。
冬の日の弱い日影ひかげを、くもり硝子ガラスと窓かけで更に弱めに病室の中で、これが今朝生れたといううす赤いやわらかい骨も何もないような肉体を手に受けとらせられると、本当にへんな気もちになる。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
やわらかにつもりであったが、はんして荒々あらあらしくこぶしをもかためて頭上かしらのうえ振翳ふりかざした。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
もう四人は草原くさはらの中へはいっています。しばらくすると、草がふかしげっているやわらかい地面じめんに、足がめりんでいくのがわかります。もう少し行くと、ひざのところまでどろの中にはまりみます。
母の話 (新字新仮名) / アナトール・フランス(著)
『何じゃと』と父の一言、その眼光の鋭さ! けれどもぐ父は顔をやわらげて
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
温い言葉に飢えていた私は、そう言われた時、妙にやわらかい素直な心になった。祖母の胸にすがりついて泣いて見たいような気にもなった。子供が母親に甘えるような気で私ははっきりと答えた。
ンの少時しばらくではあつたけれども、周三の頭は全ての壓迫からまぬがれて、暗澹あんたんたる空に薄ツすりと日光につくわうが射したやうになつてゐた。眼にも心にも、たゞ紅い花が見えるだけだ。何しろ彼の心はやわらいでゐた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
吾輩は、すこし気の毒になったから、心持ち言葉をやわらげた。
超人鬚野博士 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と苦しみながらも、私に言葉をやわらげて願うようにいった。
黄色い晩 (新字新仮名) / 小川未明(著)
このプデンは匙ですくって食べる位のやわらかさがいいのです。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
やわらこうはだえにそよぎ入っていうとうととねむくなる。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
空気草履くうきざうりやわらかさ。
桜さく島:春のかはたれ (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
夢幻ゆめまぼろしともわかぬに、心をしづめ、眼をさだめて見たる、片手はわれに枕させたまひし元のままやわらかに力なげに蒲団ふとんのうへに垂れたまへり。
竜潭譚 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
秋蘭は古風な水色の皮襖ピーオを着て、紫檀の椅子にりながら手紙の封を切っていた。彼女は朝の挨拶をすますと足の痛みのやわらぎを告げて礼を述べた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
西洋紙にあらざるわたしの草稿は、反古となせば家のちりはらうはたきを作るによろしく、やわらげてかわやに持ち行けば浅草紙あさくさがみにまさること数等である。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鳥はやわらかなつばさと、華奢きゃしゃな足と、さざなみの打つ胸のすべてをげて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手のうちに、安らかに飛び移った。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
れ其妻に向いては殆どやわらか過るほど柔かにして全く鼻の先にて使われ居し者なり、かくも妻孝行の男は此近辺に二人と見出し難し、とうの事柄にして殆ど異口同音なり
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
かの女はやわらかく光る逸作の小さい眼を指差し、自分の丸いひたいを指で突いて一寸ちょっと気取っては見たけれど、でも他人が見たら、およそ、おかしな一対いっついの男と女が、毎朝、何処どこ
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
また我がほおでながらかかとの肉でさえ己のここよりはすべすべしてやわらかであったと云った。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
虚静きょせいを要とし物にふれ動かず——とある擁心流ようしんりゅうは拳のやわらと知るや、容易ならぬ相手とみたものか、小蛇のようにからんでくる指にじっと手を預けたまま、がらりと態度をあらためて
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
藤「云いなよ/\、あゝやっておやわらかに仰しゃる事だから、云わないとけないよ、隠し立てをしちゃア彼方あっち盗賊どろぼう此方こっちも盗賊、う幾らも盗賊と心易こゝろやすくしちゃア困るから云いなよ」
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
英吉利イギリスの軍艦が来て、去年生麦にて日本の薩摩のさむらいが英人を殺したその罪は全く日本政府にある、英人はただ懇親こんしんもって交ろうと思うてれまでも有らん限りやわらかな手段ばかりをとって居た
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)