“寫(うつ)” の例文
新字:写
(第二十四圖(だいにじゆうしず))壁(かべ)に懸(かゝ)つてゐる牛(うし)、馬(うま)、鹿(しか)などの繪(え)はかれ等(ら)が洞穴(ほらあな)の中(なか)の石壁(いしかべ)に彫(ほ)りつけたり、また描(か)いたりした繪(え)の寫(うつ)しであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
彼女は優(やさ)しい聲音(こわね)で僕に語る——あなたが實に巧(うま)く寫(うつ)しとつたあの眼で凝と僕を見下して——その珊瑚(さんご)のやうな唇で、僕に微笑(ほゝゑ)みかける。
これは偶然(ぐうぜん)「少(せう)年寫眞術(しやしんじゆつ)」の沿革史(えんかくし)の一節(せつ)にも書いてあることだつたが、うちで寫眞(しやしん)を寫(うつ)すといふと、いつもその上野(の)寫眞館(しやしんくわん)へ出かけたもので
つまり平凡(へいぼん)なお手本(てほん)を敷(し)き寫(うつ)しになぞつて行(ゆ)くものですから、だん/\つまらなく、その作者(さくしや)の特徴(とくちよう)を出(だ)すことが出來(でき)なくなつたわけであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
待つて三日頑張つたが、繪圖面は返らぬ、——疊二枚ほどもあつて、其上念入りに細密(さいみつ)な繪圖面だから、二日や三日では、寫(うつ)し切れなかつたのだらう
劉填(りうてん)が妹(いもうと)は陽王(やうわう)の妃(ひ)なり。陽王(やうわう)誅(ちう)せられて後(のち)追慕(つゐぼ)哀傷(あいしやう)して疾(やまひ)となる。婦人(ふじん)の此(この)疾(やまひ)古(いにしへ)より癒(い)ゆること難(かた)し。時(とき)に殷※(いんせん)善(よ)く畫(ゑが)く、就中(なかんづく)人(ひと)の面(おもて)を寫(うつ)すに長(ちやう)ず。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
而(しか)して別(べつ)に或(ある)誤謬(ごびゆう)の存(そん)するあるにもあらずしてこの殺人(さつじん)の罪(つみ)を犯(おか)す、世に普通なるにあらずして、しかも普通なる理由によつてなり、これを寫(うつ)す極(きは)めて難(かた)し
「罪と罰」の殺人罪 (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
これは面白(おもし)ろい、彼奴(きやつ)を寫(うつ)してやらうと、自分(じぶん)は其儘(そのまゝ)其處(そこ)に腰(こし)を下(おろ)して、志村(しむら)其人(そのひと)の寫生(しやせい)に取(と)りかゝつた。
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
さめ而して後に前段の落着(らくちやく)の場を見たまはゞ宛然(さながら)越前守を目前にみるが如きの思ひある可し然れども編者が筆(ふで)鈍(にぶ)き上緒數(ちよすう)毎回(まいくわい)限(かぎ)りあれば其情(そのじやう)充分(じうぶん)に寫(うつ)す事難(がた)し恐らくは角(つの)を斷(きつ)て牛を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
さなきだに彼(かれ)の憔悴(せうすゐ)した顏(かほ)は不幸(ふかう)なる内心(ないしん)の煩悶(はんもん)と、長日月(ちやうじつげつ)の恐怖(きようふ)とにて、苛責(さいな)まれ※(ぬ)いた心(こゝろ)を、鏡(かゞみ)に寫(うつ)したやうに現(あら)はしてゐるのに。其廣(そのひろ)い骨張(ほねば)つた顏(かほ)の動(うご)きは、如何(いか)にも變(へん)で病的(びやうてき)で有(あ)つて。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
漸(やうや)く見定(みさだ)めると、龕燈(がんどう)の光(ひかり)が奧壁(おくかべ)に突當(つきあた)つて、朧月(おぼろつき)の如(ごと)く寫(うつ)るのである。
手慣(な)れてゐるばかりでなく、割(わり)によく寫(うつ)る寫眞器(しやしんき)で、一ダースが一ダース、めつたに失敗(しつはい)もないといふやうなことが、買(か)ふまでの苦(く)心の思(おも)ひ出と相俟(ま)つて
そつと寫(うつ)し取つて、近所の手習の師匠にも見せたが、——尤(もつと)も淺井朝丸樣は、これは學者や坊主は、讀めまい、吉備眞備(きびのまきび)の讀んだ耶馬臺(やばだい)の詩(し)のやうなものだから
とにかく、何(なに)か宗教上(しゆうきようじよう)のために造(つく)つたもので、玩具(がんぐ)ではなかつたようです。もし玩具(がんぐ)だつたら、人間(にんげん)の形(かたち)をそのまゝ寫(うつ)したものにしなければならないと思(おも)ひます。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
これを對岸(たいがん)から寫(うつ)すので、自分(じぶん)は堤(つゝみ)を下(お)りて川原(かはら)の草原(くさはら)に出(で)ると、今(いま)まで川柳(かはやぎ)の蔭(かげ)で見(み)えなかつたが、一人(ひとり)の少年(せうねん)が草(くさ)の中(うち)に坐(すわ)つて頻(しき)りに水車(みづぐるま)を寫生(しやせい)して居(ゐ)るのを見(み)つけた。
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
この人(ひと)の歌(うた)は、自然物(しぜんぶつ)を寫(うつ)す場合(ばあひ)にも、自分(じぶん)の感情(かんじよう)を述(の)べる敍情詩(じよじようし)といふものゝ場合(ばあひ)にも、實(じつ)に見事(みごと)に出來(でき)てゐるので、どちらがよいといひ切(き)ることは出來(でき)ませんが、世間(せけん)では
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
而(しか)して自(みづか)ら辨(べん)じて言(い)はるゝは、作者(さくしや)の趣意(しゆい)は、殺人犯(さつじんはん)を犯(おかし)たる人物(じんぶつ)は、その犯後(はんご)いかなる思想(しそう)を抱(いだ)くやらんと心(こゝろ)を用(もち)ひて推測(おしはか)り精微(せいび)の情(じよう)を寫(うつ)して己が才力を著はさんとするのみと。
「罪と罰」の殺人罪 (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
御手(おて)に取(とら)せ玉ひ御覽(ごらん)有るに全くの若君(わかぎみ)には寶永三酉年三月十五日御誕生(ごたんじやう)にて直(すぐ)御早世(ごさうせい)澤の井も其明方(あけがた)に同じく相果(あひはて)平澤村光照寺へ葬(はうむ)り右法名(ほふみやう)共に寫(うつ)し有て且天一坊は原田嘉傳次が子にして幼名(えうみやう)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そして、その寫(うつ)しをフェアファックス夫人に送り、彼女が滿足したといふこと、それから私が彼女の家で家庭教師の役目を引受けるまでの準備の期間を二週間と決(き)めたといふその返事を受け取つた。
或る日の午(ご)後縁側(えんがは)に坐(すわ)らせた學校友達(たち)の一人を寫(うつ)してみた乾(かん)板に遂(つひ)にうつすりとそれらしい影像(えいぞう)が現(あらは)れた。
がどちらにしても、いかにも鶴(つる)の啼(な)いてゐることが、生(い)き/\と寫(うつ)されてゐます。これがまだ、奈良朝(ならちよう)になつたかならない前(まへ)の歌(うた)なのです。高市黒人(たけちのくろひと)といふ人(ひと)の作(つく)つたものであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
開卷第一(かいかんだいゝち)に、孤獨幽棲(こどくゆうせい)の一少年(いつしようねん)を紹介(しようかい)し、その冷笑(れいしよう)と其(その)怯懦(きようだ)を寫(うつ)し、更(さら)に進(すゝ)んで其(その)昏迷(こんめい)を描(ゑが)く。襤褸(らんる)を纏(まと)ひたる一大學生(いつだいがくせい)、大道(だいどう)ひろしと歩(あ)るきながら知友(ちゆう)の手前(てまへ)を逃(に)げ隱(かく)れする段(だん)を示(しめ)す。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
とにかく鏡(かゞみ)は昔(むかし)支那(しな)でも顏(かほ)を寫(うつ)すばかりのものではなく、これを持(も)つてゐると、惡魔(あくま)を除(よ)けるといふような考(かんが)へがあつたので、墓(はか)に收(をさ)めたのもさういふ意味(いみ)があつたかも知(し)れないのです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
揚(あげ)て困(くるし)む事大方ならず後藤は夫で好々(よし/\)最(もう)寛(ゆる)して遣(やれ)と聲をかけサア汝斯(かう)印(しるし)を付て遣はすにより以來心を改め眞實(まこと)の人間になるべし萬一又々惡心(あくしん)萌(きざし)たなれば其時其小鬢(こびん)の入墨(いれずみ)を水鏡(みづかゞみ)に寫(うつ)し今日の事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これが斗々屋(とゝや)の茶碗と古備前(こびぜん)の水差しの破片だと仰しやるんですか。——親分の前だが、それは大變な間違ひですよ。如何にもよく似ては居るが、何方も近頃出來の寫(うつ)しで、眞物ぢやありません。
その寫(うつ)しは余のところにあり。リチヤァド・メイスン署名で。
余が前號(ぜんごう)の批評(ひゝよう)にも云(い)ひし如(ごと)く罪と罰とは最暗黒(さいあんこく)の露國(ロコク)を寫(うつ)したるものにてあるからに馬琴(バキン)の想像的侠勇談(そうぞうてきけふゆうだん)にある如(ごと)く或(ある)復讎(ふくしゆう)或(あるは)忠孝等(ちゆうこうとう)の故(ゆえ)を以(も)て殺人罪(さつじんざい)を犯(おか)さしめたるものにあらざること分明(ぶんめい)なり。
「罪と罰」の殺人罪 (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)