一片ひとひら)” の例文
つち一升、かね一升の日本橋あたりで生れたものは、さぞ自然に恵まれまいと思われもしようが、全くあたしたちは生花きばな一片ひとひらも愛した。
その時ふいと目をやると、さつきまでは何んにもなかつたその墓石の傍らに、何んかの花の莟らしいものが一片ひとひらぽつんと落ちてゐた。
生者と死者 (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
そろそろ夕方らしい透った藍色が加わって、その隅っこに、黄色く陽に染った小さな雲の一片ひとひらが浮いていた。彼はフウーッと息をはいた。
プウルの傍で (新字新仮名) / 中島敦(著)
雪は五寸許りしか無かつたが、晴天はれ続きの、塵一片ひとひら浮ばぬ透明の空から、色なき風がヒユウと吹いて、吸ふ息毎に鼻の穴がつまる。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
山伏は大跨おおまたで、やがてふもとへ着いた時分、と、足許あしもとの杉のこずえにかかった一片ひとひらの雲を透かして、里可懐なつかしく麓を望んだ……時であった。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さながら人なき家の如く堅くも表口の障子を閉めてしまった土弓場の軒端のきばには折々時ならぬ病葉わくらば一片ひとひら二片ふたひらひらめき落ちるのが殊更にあわれ深く
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
未来を覗く椿つばきくだが、同時に揺れて、唐紅からくれない一片ひとひらがロゼッチの詩集の上に音なしく落ちて来る。まったき未来は、はやくずれかけた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
御小刀おこがたなの跡におう梅桜、花弁はなびら一片ひとひらかかせじと大事にして、昼は御恩賜おんめぐみかしらしかざせば我為わがための玉の冠、かりそめの立居たちいにもつけおちるをいと
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
さてその一片ひとひら手繰たぐらんと為るに、長きこと帯の如し。好き程に裂きてはかさね、累ぬれば、皆積みて一冊にも成りぬべし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
蓮華の一片ひとひらが、散るほどの変化も起らなかった。おかんの心の中の目算では、五年ばかりも蓮のうてなに坐って居ただろう。
極楽 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
さればとして、終生しふせいわするゝこと出來できぬのは、この權現臺ごんげんだい遺跡ゐせきで、其所そことき勿論もちろん遺物ゐぶつ一片ひとひらにしても、ぐと其當時そのとうじ思出おもひいだすのである。
春の曙の夢は千々に乱れて薄紅の微笑ほゝえみ、カラカラと鳴り渡るしろがねの噴泉、一片ひとひらの花弁、フツと吹けば涙を忘る——泣いて泣いて泣き明した後の清々しさ……と
嘆きの孔雀 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
と言って、お銀様は小判の一片ひとひらを指の上にのせて、目分量を試むるかのように、お雪ちゃんの眼の前に示し
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
およそ物をるに眼力がんりきかぎりありて其外そのほかを視るべからず。されば人の肉眼にくがんを以雪をみれば一片ひとひら鵞毛がまうのごとくなれども、十百へん雪花ゆき併合よせあはせて一へんの鵞毛をなす也。
石の上に、早咲はやざきの梅が散って、一片ひとひら、二片、附いているのが、春らしくもない、つまらなそうに見えた。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
いやいや、老いたる母の肩にさえ、どこからか舞ってきた桃花の一片ひとひらが、あかく点じているではないか。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
屍骸のはらわたにうごめいているうじの一匹々々をも分明に識別させたのであったが、今宵こよいの月はそこらにあるものを、たとえば糸のような清水の流れ、風もないのに散りかゝる桜の一片ひとひら二片
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ころは春のすえということは庭の桜がほとんど散り尽して、色褪いろあせた花弁はなびらこずえに残ってたのが、若葉のひまからホロ/\と一片ひとひら三片みひら落つるさまを今も判然はっきりおもいだすことが出来るので知れます。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
赤い大きい日は地平線上に落ちんとして、空は半ば金色半ば暗碧色あんへきしょくになっている。金色こんじきの鳥の翼のような雲が一片ひとひら動いていく。高粱の影は影と蔽い重なって、荒涼たる野には秋風が渡った。
一兵卒 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
もそろもそろにとどこほる鉛の電車、一片ひとひら
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
わかき命は一片ひとひら
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
みづ一片ひとひら
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
一片ひとひらもと
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
日傘ひがささして橋の上渡り来るうつくしき女の藤色のきぬの色、あたかも藤の花一片ひとひら、一片の藤の花、いといと小さく、ちらちら眺められ候ひき。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
柔風やわかぜにもたえない花の一片ひとひらのような少女、はぎの花の上におく露のような手弱女たおやめに描きだされている女たちさえ、何処にか骨のあるところがある。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
遮ぎる雲の一片ひとひらさえ持たぬ春の日影は、あまねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底までみ渡ったと思わるるほど暖かに見える。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
さらば往きてなんぢの陥りしふちに沈まん。沈まば諸共もろともと、彼は宮がかばねを引起してうしろに負へば、そのかろきこと一片ひとひらの紙にひとし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
此家から程近い住吉神社へ行つては、昔を語る事多き大公孫樹の、まだ一片ひとひらも落葉せぬ枝々を、幾度となく仰ぎ見た。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
秋の頃、黄色い粉を吐いた花の乾固ひかたまった死骸や、小さく黒く見える実や、それも僅かに彼方の枝に二つ、此方こちらの枝に一つある位で他に一片ひとひらの葉の影も止めていなかった。
越後の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
其間そのうち正午ひるになつたので、一先ひとま座敷ざしき引揚ひきあげ、晝餐ちうさん饗應きやうおうけ、それからまた發掘はつくつかゝつたが、相變あひかはらず破片はへんくらゐやうやくそれでも鯨骨げいこつ一片ひとひらと、石槌いしづち打石斧だせきふ石皿いしざら破片はへんなど掘出ほりだした。
「いいえ、緋牡丹ひぼたん一片ひとひらでございましょう」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一片ひとひら 二片ふたひら 三片みひら……
青白き公園 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
さながらや、一片ひとひら
海豹と雲 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
……此處こゝます途中とちうでも、しててばひとる……たもとなか兩手りやうてけば、けたのが一層いつそ一片ひとひらでも世間せけんつてさうでせう。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
此家から程近い住吉神社へ行つては、昔を語る事多き大公孫樹おほいてふの、まだ一片ひとひらも落葉せぬ枝々を、幾度となく仰ぎ見た。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
松高くして花を隠さず、枝の隙間すきまに夜を照らす宵重よいかさなりて、雨も降り風も吹く。始めは一片ひとひらと落ち、次には二片と散る。次には数うるひまにただはらはらと散る。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一片ひとひらは北に向って、一片は東に向って、見る間に、それらが影も形もなくなってしまう。その果敢はかない煙の姿を上に映して、遅鈍ちどんなブリキ屋根は、悲しみもしなければ、憂えもしないようだ。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
源五の背にも、一片ひとひらとまっていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一片ひとひら 二片 三片……
青白き公園 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
と、唇か、まぶたか。——手絡てがらにも襟にも微塵みじんもその色のない、ちらりと緋目高のようなくれないが、夜の霜に山茶花さざんか一片ひとひらこぼれたようにその姿をかすめた。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
較々やや霎時しばしして、自分はおもむろに其一片ひとひらの公孫樹の葉を、水の上から摘み上げた。そして、一滴ひとつ二滴ふたつしろがねの雫を口の中にらした。そして、いと丁寧に塵なき井桁の端に載せた。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
二人の唇の間に林檎の花の一片ひとひらがはさまってれたままついている。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
空をゆく一片ひとひらの白雲。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かる黒髪くろかみそよがしにかぜもなしに、そらなるさくらが、はら/\とつたが、とりかぬしづかさに、花片はなびらおとがする……一片ひとひら……二片ふたひら……三片みひら……
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
加之しかのみならず、此一面の明鏡は又、黄金こがねの色のいと鮮かな一片ひとひらの小扇をさへ載せて居る。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
後がたちまち真暗まっくらになるのが、白の一重芥子ひとえげしがぱらりと散って、一片ひとひら葉の上にとまりながら、ほろほろと落ちる風情。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「は、」と声がかかる、袖を絞って、たもとを肩へ、脇明わきあけ白き花一片ひとひら、手をすべったか、と思うと、あらず、緑のつるに葉を開いて、はらりと船へ投げたのである。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お夏は片手をついて腰をかけて、土間なる駒下駄の上へ一片ひとひらの雪かとばかり爪先をかけて、うっかりとなった。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
うおの渇けるがごとくもだゆる白歯に、傾くびんからこぼるるよと見えて、一片ひとひらの花が触れた。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
秋山氏は、真中まんなかに据えたおおいなる大理石の円卓子まるテエブルひじをつき、椅子にかかって憩いながら、かりそめに細巻をくゆらしていたので、もっとも裸体はだかで、まとえるは一片ひとひらの布あるのみ。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)