)” の例文
其の時院のけしきかはらせ給ひ、汝聞け、帝位は人のきはみなり。人道にんだうかみより乱すときは、天のめいに応じ、たみのぞみしたがうて是をつ。
支那でも斉の桓公孤竹国をち春往き冬かえるとて道を失うた時管仲老馬を放ちて随い行きついに道を得たという(『韓非』説林上)。
〔評〕官軍江戸をつ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩びはん宗家そうけたすけんと欲する者ありて、ひそかに聲息せいそくを江戸につうず。
神功皇后の新羅しらぎ征伐は、熊襲の背後を成す新羅をつと共に、この任那を新羅の圧迫より救援されるための出師すゐしであつたとも云はれる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
司馬穰苴しばじやうしよ田完でんくわん(一)苗裔べうえいなりせい景公けいこうときしん(二)けんち、しかうしてえん(三)河上かじやうをかし、せい敗績はいせきせり。景公けいこうこれうれふ。
まず汝らの軽兵をさし向けておいて、後、彼の疲労困憊こんぱいを見すましてからいちどに大軍をおしすすめてつ。予も、やがて漢中へ行くであろう
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征欠そやたれるぢゃ。それほどまでに我等は悪業あくごふの身ぢゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
楚がった時、工尹商陽こういんしょうようという者が呉の師を追うたが、同乗の王子棄疾きしつに「王事なり。子、弓を手にして可なり。」といわれて始めて弓を執り
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
済南の防禦ぼうぎょ、徳州の回復に、其の材を認められて、平燕へいえん将軍となり、陳暉ちんき平安へいあん馬溥ばふ徐真じょしん等の上に立ち、呉傑ごけつ徐凱じょがい等とともに燕をつの任に当りぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
○英国王、洋中ニ於テ我国人ヲ捕ヘ、強テ之ニ武器ヲ与ヘ、其本国ニ向テ其親戚朋友ヲタシメントセリ。
……けど、他人ひとに言わせると、——あれはもう、二十幾年にもなるかいや——筑紫でたれなされた前太宰少弐ぜんだざいのしょうに—藤原広嗣—の殿に生写しょううつしじゃ、とも言うがいよ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
しゅう武王ぶおういん紂王ちゅうおうたんと出征したとき、民みな武王ぶおうの意を迎えたが、伯夷叔斉はくいしゅくせいのみは独立行動にでて、武王ぶおうの馬をたたいていさめた。左右の者ども両人をへいせんとした。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
己酉つちのととり(二十八日)……さらに日本やまと乱伍らんご中軍ちゅうぐんの卒を率いて進みて大唐の軍をつ。大唐、便すなわち左右より船をはさみてめぐり戦う。須臾とき官軍みいくさ敗績やぶれぬ。水におもむきて溺死しぬる者おおし。
金将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いわゆる象山が「微臣別に謀をつの策有り、いずくんぞ風船を得て聖東ワシントンに下らん」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
狭手彦の軍をひきひて、任那みまなを鎮め、また高麗こまちしことはふみに見ゆ。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
さても今またフランスは、アラビヤの、都督をちて誇れるも……
丁々とうとう白檀びやくだんをのおと
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
これは無双の吉瑞で他邦人がこの国を兎ほど弱しと侮ってつと実は虎ほど強いと判るきざしとあってこの地に都を定めたという。
武王ぶわう(二六)木主ぼくしゆせ、がうして文王ぶんわうし、ひがしのかた(二七)ちうつ。伯夷はくい叔齊しゆくせい(二八)うまひかへていさめていは
「かくとも知らず、いま曹操はこの馬騰に兵馬をあずけて、南方をてという。これこそ、実に天の与えたときではないか」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それをもし上にたつ天子から人道を乱すときは、天の命ずるところにしたがい、民の与望にこたえて、天子たりともこれをつのが聖賢の道である。
もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征矢そやたれるじゃ。それほどまでに我等は悪業あくごうの身じゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
太祖顧みて殷に語りたまわく、なんじ老成忠信、幼主を託すべしと。誓書および遺詔を出して授けたまい、あえて天にたがう者あらば、朕がためこれて、と言いおわりてかくれたまえるなり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
同じ年、斉の陳恒ちんこうがその君をしいした。孔子は斎戒さいかいすること三日の後、哀公の前に出て、義のために斉をたんことを請うた。請うこと三度。斉の強さを恐れた哀公は聴こうとしない。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
神武天皇の大和の宇陀うだたれた際には、敵の兄磯城エシキ弟磯城オトシキの側にも、天皇の方にも、男軍ヲイクサ女軍メイクサが編成せられていた。「いくさ」という語の古い用語例は軍人・軍隊という意である。
最古日本の女性生活の根柢 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
蛇足のたとえは『戦国策』に見ゆ。昭陽楚の将として魏をち更に斉を攻めた時、弁士陳軫ちんしん斉を救うためこの喩えを説き、昭陽にいくさめしめた。
「それがしに一軍をお貸しあれば、葭萌関かぼうかんを破って、一路蜀に入り、玄徳をって、今日の厚恩におむくいして見せん」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなは關其思くわんきしりくしていはく、「(一〇三)兄弟けいていくになりこれてとふはなんぞや」と。胡君こくんこれいて、ていもつおのれしたしむとして、ていそなへず。鄭人ていひとおそうてこれれり。
六一臣として君をつすら、天に応じ民ののぞみにしたがへば、六二しう八百年の創業さうげふとなるものを、まして六三しるべきくらゐある身にて、六四牝鶏ひんけいあしたするを取つてかはらんに、道を失ふといふべからず。
李景隆は大兵を率いて燕王をたんと北上す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
義元の本陣が通過するにあたって、必ず猛襲して来るであろうと見られている敵の丸根のとりでつべしと——く前方へ出陣していたからである。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本にも『東鑑』に、俣野景久、橘遠茂の軍勢を相具し甲斐源氏をたんと富士北麓ほくろくに宿った夜、その兵の弓絃を鼠に噛み尽くされついに敗軍したとあり。
むかしてい武公ぶこうたんとほつし、すなは(一〇二)其子そのこもつこれめあはせたり。つて羣臣ぐんしんうていはく、「われへいもちひんとほつす、たれものぞ」と。關其思くわんきしいはく、「し」と。
その一方を抛棄ほうきして、一方へ力をあわせ、まず、三木城の別所一族だけをつ——とすれば、これは優位に立ち直る絶対方針となるにはちがいないが——
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えうへいつよくし(一〇六)馳説ちぜい(一〇七)從横しようくわうものやぶるにるなり。ここおいみなみは百ゑつたひらげ、きた陳蔡ちんさいあは(一〇八)しんしりぞけ、西にししんつ。諸矦しよこうつよきをうれふ。
ゆえに、朕は意を決し、呉をつため、これまで進発して来た途中であるが、前途の吉凶いかがあろうか。忌憚きたんなく、仙翁のうらなう旨を聞かせてもらいたい
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(二七)桓公くわんこうじつ少姫せうきいかつて、みなみのかたさいおそふ。管仲くわんちうつてち、(二八)包茅はうばうの・周室しうしつ入貢にふこうせざるをむ。桓公くわんこうじつきたのかた山戎さんじうせいす、しかうして管仲くわんちうつてえんをして召公せうこうまつりごとをさめしむ。
ご一族の曹真そうしん将軍を、中原ちゅうげん大都督となして、陽平関より堂々蜀にち入るの正攻、大編隊を率いさせ給えば、たとい孔明が、どう智慧をめぐらしてみても
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其後そののちてうつ。てうきふなり。すくひせいふ。せい威王ゐわう孫臏そんびんしやうとせんとほつす。ひん辭謝じしやしていはく、(三一)刑餘けいよひと不可ふかなり』と。ここおいすなは田忌でんきもつしやうとなして、孫子そんしとなす。
「それがしは漢の名将の子、将軍も漢朝の忠臣馬援が後胤ではないか。そのふたりが漢朝の宗室たる劉玄徳をちに向われるか。しかも逆臣の命に頤使いしされて」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操こそちんを苦しめ、漢室をくろうしている大逆である。馬騰! そちの兵はそのいずれをちにきたのか
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鞍馬の峰にあって、奥州へ逃げのびた遮那王しゃなおう義経よしつねも、短くて華やかなその生涯を、つい二年ほど前に閉じて、人もあろうに、兄の頼朝の兵にたれてしまった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「伊丹を攻める手段です。事ここに至りましては、荒木村重は断乎とつの一手しかありません」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東華門の王必おうひつの営中に、火がかかるのを合図に、内外から起って、先ず彼をち、すぐ一手になって、禁裡へ馳せつけ、帝に奏して、五鳳楼ごほうろうへ出御を仰ぎ、そこへ百官を召し集めて
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
従来、柴田や滝川などと固く結んで、秀吉をたんのくわだては着々とすすめていたが、その秀吉から逆攻をうけることなどは全く予期していなかったのだ。敵を知らざることも甚だしい。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中国を征し、九州を略し、四国を治め、陸奥みちのくつとも、それのみで、かみ朝廷を安んじ奉り、四民を和楽せしめ、しかも次の文化の建設、世々の隆昌のいしずえがすえられるとはいえません。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「捨ておかれぬ大事である」となして、つならば今、信長がなお、他に繁忙なうちにこそと、はやくも兵船十数艘に、芸州げいしゅう吉田の兵を満載して、姫路附近の海辺から押しあげて来た。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「呉はいまつべからずです。魏を伐てば呉は自然に亡ぶものでしょう。もし魏を後にして、呉へかからば、かならず魏呉同体となって蜀は苦境に立たざるを得ないだろうと思われます」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぼうつに、武をもってしては、火を消すに火をそそぐようなものでしょう。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「天の与えた好機だ。ただちに大軍を下江げこうさせて、呉をち取らんか」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)