たずさ)” の例文
もはや春もくれて、雲白き南信濃路に夏の眺めを賞せんものと、青年画家の一人は画筆をたずさえて、この深山路みやまじに迷いに迷い入った。
森の妖姫 (新字新仮名) / 小川未明(著)
かような物々しい品をたずさえ、あの境内に寄り集って、不埓な百姓一揆を起そうと致しおったゆえ、ひと搦めに召し捕ったものじゃ。
紹介状もたずさえずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へしょうじたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥やまどりげて這入はいって来た。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
案内もなく入り込んで来たのは、もとどりを高く結び上げて、小倉こくらの袴を穿いたたくましい浪士であります。手には印籠鞘いんろうざやの長い刀をたずさえて
だが幾日か落ちて行くうち、たずさえていた兵糧もなくなってしまった。袁術は麦の摺屑すりくずを喰って三日もしのんだがもうそれすらなかった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜行は必ず提灯ちょうちんたずさえ、はなはだしきは月夜にもこれをたずさうる者あり。なお古風なるは、婦女子ふじょしの夜行に重大なる箱提灯はこちょうちんぼくに持たする者もあり。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
朝まだき、東の空ようやく白みしころ、人々皆起きいでて合羽かっぱを着、灯燈ちょうちんつけ舷燈たずさえなどして波止場に集まりぬ。波止場は事なかりき。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
下宿げしゅくには書物しょもつはただ一さつ『千八百八十一年度ねんどヴィンナ大学病院だいがくびょういん最近さいきん処方しょほう』とだいするもので、かれ患者かんじゃところときにはかならずそれをたずさえる。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
と言いながら四辺あたりを見ますると人一ぱい。國藏、森松、亥太郎始め、皆々手に/\獲物をたずさえ、中にも亥太郎は躍起やっきとなって
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
先だって東北へ旅行した時、改造文庫の『千家元麿詩集』を車中にたずさえ「車の音」などという詩を読んで、あの頃のことを懐しく想い起した。
読書遍歴 (新字新仮名) / 三木清(著)
舟底が砂へすれると共に、羽織をとって起上り、大刀を舟に残して短刀だけに、揖を削り上げた木刀をたずさえ浅瀬へ降立った。
巌流島 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
彼れ其実は全く嗅煙草を嫌えるもからの箱をたずさり、喜びにも悲みにも其心の動くたびわが顔色を悟られまじとて煙草をぐにまぎらせるなり
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
ドイツ文の原文にえて、族王エミアが読めるようにというのでアフガニスタン語の翻訳をたずさえて行く。問題はこの訳文だった。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
待兼まちかねたるは妻君よりも客の大原、早く我が頼み事を言出さんと思えども主人の小山たずさえ来れる大荷物をひらくにせわしくて大原にまで手伝いを頼み
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
よろいかぶとや太刀や長柄や、旗さし物などをたずさえて、これも元気よく帰って来て、岩壁の右側からはいって行き、出る者と入る者とが顔を合せると
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大鬼だいき衣冠いかんにして騎馬、小鬼しょうき数十いずれも剣戟けんげきたずさへて従ふ。おくに進んで大鬼いかつて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖こうえんおくてらすと。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
そしてそのタチバナの名は、その常世とこよの国からはるばるとたずさ帰朝きちょうした前記の田道間守たじまもりの名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
板台はんだいになざるたずさえて出入する者が一々門番に誰何すいかされ、あるいは門を出入するごとに鄭重ていちょう挨拶あいさつされるようになれば、商売はうるさくなりはせぬか。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
目を転じて室の西南隅に向かうと、そこには大安寺の、錫杖しゃくじょうを持った女らしい観音や一輪の蓮花をたずさえた男らしい観音などが、ズラリと並んでいる。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
それ故に画帖を見てもお姫様一人画きたるよりは椿つばき一輪画きたるかた興深く、張飛ちょうひの蛇矛をたずさへたらんよりは柳にうぐいすのとまりたらんかた快く感ぜらる。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
たずさえて行った行厨こうちゅうを開いて楽しい昼飯を食った、その御馳走のからになった重箱をすぐ其処の水で洗って、その重箱に水を汲み上げた、というのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
古志こし努奈河媛ぬなかわひめの御歌にもあるように、男とちがってただ一処いっしょの婚姻にしか、たずさわれぬもののごとく考えられていた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
丈の低い小僧はそれでも僧衣ころもを着て、払子ほっすを持った。一行のたずさえて来た提灯はをつけられたまま、人々の並んだ後ろの障子のさんに引っかけられてある。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
まして当人とうにんはよほど有難ありがたかったらしく、早速さっそくさまざまのお供物くもつたずさえておれいにまいったばかりでなく、その終生しゅうせいわたくしもと参拝さんぱいかさないのでした。
男は、——いえ、太刀たちも帯びてれば、弓矢もたずさえて居りました。殊に黒いえびらへ、二十あまり征矢そやをさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。
藪の中 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それからの夫人は、完全に悪魔になり切って、もう恐れる必要もなくなった『花束の虫』を破り捨てると、手提蓄音器ポータブルたずさえて直ぐに別荘へ引返したのだ。
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
夏の夜になると、父親は浴衣ゆかたがけで、印度産の籐の握り太のステッキをたずさえ、莢豆さやまめの棚の間や青薄の蔭に潜む若い男女を、川狩の魚のようにつゝき出した。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
小皿伏せたるやうなるふち狭き笠に草花くさばな插したるもをかしと、たずさへし目がねいそがはしくかなたこなたを見廻みめぐらすほどに、向ひの岡なる一群きはだちてゆかしう覚えぬ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いよいよ明日は父の遺骨をたずさえて帰郷という段になって、私たちは服装のことでちょっと当惑を感じた。
父の葬式 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
なんじの愛する独子ひとりご、すなはちイサクをたずさへ行き、かしこの山の頂きにおいて、イサクを燔祭はんさいとしてささぐべし。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
「孟子の至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」の一句を書し、手巾へ縫付け、たずさえて江戸に来り、これを評定所ひょうじょうしょに留め置きしも、吾が志を表するなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
去歳こぞの冬江戸庵主人画帖がじょう一折ひとおりたずさきたられ是非にも何か絵をかき句を題せよとせめ給ひければ我止む事を得ず机の側にありける桐の丸火鉢まるひばちを見てその形を写しけるが
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
それもその筈だ。先生の鑑定の結果は、単に一個人の生命に関係するばかりでなく、社会にも重大な影響を与えるから、いわば人智の限りを尽してたずさわられたのである。
闘争 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
彼が浪士どもに分配するために、軍用金の中から若干そこばくの金をたずさえて行ったことはいうまでもない。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
童子は、いつも紅いぬりのある笛を手にたずさえていた。しかしそれをかつて吹いたことすらなかった。
後の日の童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
元来印籠は印の入物いれものであるが、携帯用の薬入れとしても重宝がられた。胴乱もほぼ同じく、印、薬などの入物で腰に下げてたずさうものであってしばしば両者にけじめはない。
樺細工の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ところが紀昌は一向にその要望にこたえようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時にたずさえて行った楊幹麻筋の弓もどこかへてて来た様子である。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
日蔽ひおおいに隠れし処へ、人形室の戸を開きて、得三、高田、老婆お録、三人の者入来いりきたりぬ、程好き処に座を占めて、お録はたずさえ来りたる酒とさかな置排おきならべ、大洋燈おおランプに取替えたれば
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そう云う場合にいつも兵具をたずさえて、物々しい様子をしていたので、附き従う者共も具足やかぶとなどを密かに挟箱はさみばこに入れて持ち歩き、あたかも戦場におもむく軍隊のような感があった。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かたわらにふきの多く生えたるあり。蕗葉ふきのはは直径六七尺、高さ或は丈余なるあり。馬上にて其蕗の葉に手の届かざるあり。こころみたずさうる処の蝙蝠傘を以て比するに、其おおいさは倍なり。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
乱臣賊子の新聞事件によって、近所の人は観念的かんねんてきには私を知っている。それが、閑児をたずさえて動くのである。しみじみと私をながめて、ノンキな父さんだなと思ったに相違ない。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
その日、弟が鬼にあたって、兄と彼女とが手をたずさえてげた、弟は納屋なやの蔭に退いて、その板塀にもたれながら、あおく澄んだ空へ抜けるほどの声で一から五十まで数をかぞえ初めた。
青草 (新字新仮名) / 十一谷義三郎(著)
しかしながら、一切の肉を独断的にのろった基督キリスト教の影響のもと生立おいたった西洋文化にあっては、尋常の交渉以外の性的関係は、早くも唯物主義と手をたずさえて地獄に落ちたのである。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
しかれども先生は従来じゅうらい他人の書にじょたまいたること更になし、今しいてこれを先生にわずらわさんことしかるべからずとこばんで許さざりしに、ひそかにこれをたずさえ先生のもとに至り懇願こんがんせしかば
その不満足なままで申上げますと、さっきも説明しましたとおり、犯人はその夜強い西風が吹くということを確めた上で、かの粉砕した屍体をたずさえて、気球の一つに乗ったのです。
人間灰 (新字新仮名) / 海野十三(著)
農事にたずさわっているなどとは、間違っても言うことが出来ない。第一、野良へなど出かけた例しが一遍もないのだ。それでも、どうやら仕事の方で勝手にかたがついてゆくようだ。
血気の壮士らのやや倦厭けんえんの状あるを察しければ、ある時は珍しきさかなたずさえて、彼らをい、ある時は妾炊事を自らして婦女の天職をあじわい、あるいは味噌漉みそこしげて豆腐とうふ屋にかよ
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
『折焚く柴の記と新井白石』はかろうじて稿をおわるに近し。試験を終らば兄は帰省せん。もししからば幸いに稿をたずさえ去って、四宮霜嶺先生に示すの機会を求むるの労を惜しまざれ。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その数二三十と思しき捕吏とりての面々、手に/\獲物をたずさへたる中に、の海中に陥りし半面鬼相の雲井喜三郎、如何にしてかよみがえりけむ、白鉢巻、小具足、陣羽織、野袴のばかま扮装いでたち物々しく
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
思う仔細しさいがあって、一時宿を引払って旅に出る、行く先とては定まらぬ、謂わば放浪の旅だけれど、最初は伊豆いず半島の南の方へ志すつもりだと告げ、小さな行李こうり一つをたずさえて出発しました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)