朧夜おぼろよ)” の例文
あざのようにあった、うすいさび斑紋はんもんも消えているし、血あぶらにかくれていたにえも、朧夜おぼろよの空のように、ぼうっと美しく現れていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和作は三高時代に読んだ、「朧夜おぼろよや顔に似合はぬ恋もあらん」といふ句をふと思ひ出した。そして歩きながら月の在処を凝つとた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
戸外そと朧夜おぼろよであった。月は薄絹におおわれたように、ものうく空を渡りつつあった。村々は薄靄うすもやかされ夢のように浮いていた。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
くにも、蕎麥屋そばやはひるにも紋着もんつきだつたことがある、こゝだけでもはるあめ、また朧夜おぼろよ一時代いちじだい面影おもかげおもはれる。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
窓からは、朧夜おぼろよの月の光の下に、この町の堂母ドーモなるサン・ルフィノ寺院とその前の広場とが、滑かな陽春の空気に柔らめられて、夢のように見渡された。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
河原一面に離々りりとした草叢くさむら。月のあるべき空が曇っていて、地上はボーッとして水蒸気が立てこめているから、さながら朧夜おぼろよの中を歩んで行く気持です。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
朧夜おぼろよにそそのかされて、かね撞木しゅもくも、奉加帳ほうがちょうも打ちすてて、さそあわせるや否やこの山寺やまでらへ踊りに来たのだろう。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
車上の医師は春の朧夜おぼろよ、揺られながらにトロトロとまどろむとき、小道に分け入るより、ハッとわれに返りしころは、すでに梶棒かじぼうはトンと玄関に突かれてあった。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
わたくしたちが帰りかけると、雛妓は店先の敷台まで女中に混って送って出て、そこで、朧夜おぼろよになった月の夜影を踏んで遠ざかり行くわたくしたちの影に向って呼んだ。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
乳色をしたグローブかられる朧夜おぼろよの月の光を盛ったような電燈の光、その柔かな光に輪廓のはっきりしたきれいな小さな顔をだした女給のおようは、客の前の白い銚子をって
文妖伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
片方の芳公と云うのが「ハッカ」と称える長いさおの先に鳶口とびぐちのついたので片方を「叩き殺」しそこなった、大変に殺気立ったものだった。今夜は七日の上弦月、朧夜おぼろよである。
種彦は先ほどの恐ろしい光景をも全く忘れてしまい今は何というわけもなく二十歳はたちの若い姿を朧夜おぼろよ河岸かわぎしに忍ばせて、ここに尋ね寄る恋人を待構えるような心持になっていた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
故枝太郎の「島原八景」は朧夜おぼろよの百目蝋燭の灯影ほかげきらめく大夫のかんざしのピラピラが浮き彫りにされ、故枝雀の「野崎詣」は枝さし交わす土手の桜に夏近い日の河内平野が薄青く見えた
寄席行灯 (新字新仮名) / 正岡容(著)
朧夜おぼろよや化物になるざうりとり 長年
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
さしきつきたる月の朧夜おぼろよ 兆
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
立つとはすれど朧夜おぼろよ
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
朧夜おぼろよほどの空明りもないが、若草の匂いがどことなくただよって、わらじにふむ露湿りの感じも、夜ながら春らしい。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……その柳の下を、駈けて通る腕車くるまも見えず、人通りはちらほらと、都で言えば朧夜おぼろよを浮れ出したようなさまだけれども、この土地ではこれでもにぎやかな町のぶん
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
孤村こそんの温泉、——春宵しゅんしょう花影かえい、——月前げつぜん低誦ていしょう、——朧夜おぼろよの姿——どれもこれも芸術家の好題目こうだいもくである。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
朧夜おぼろよに星の影さへ二ツ三ツ、四ツか五ツかかねも、もしや我身わがみ追手おつてかと………
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
朧夜おぼろよや男女行きかひ/\て
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
七日ばかりのほのかな夕月は、その少し前頃から淡墨うすずみの如意輪寺のいらかを越して、立ち迷う夕霞の世界へ青銀色の光の雨を投げ交ぜて、春の朧夜おぼろよを整えはじめた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土間はたちまち春になり、花のつぼみの一輪を、朧夜おぼろよにすかすごとく、お町の唇をビイルでめて、飲むほどに、蓮池のむかしをう身には本懐とも言えるであろう。
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭ひらにわの向うは、すぐ懸崖けんがいと見えて、眼の下に朧夜おぼろよの海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
三尺さんじゃくを腰低く前にて結びたるあそにんらしき男一人、両手は打斬うちきられし如く両袖を落して、少し仰向あおむき加減に大きく口を明きたるは、春の朧夜おぼろよ我物顔わがものがお咽喉のど一杯の声張上げて投節なげぶし歌ひ行くなるべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「一して、風を断てば、剣は啾々しゅうしゅうと泣くのだ。星いて、剣把けんぱから鋩子ぼうしまでを俯仰ふぎょうすれば、朧夜おぼろよの雲とまがう光のは、みな剣の涙として拙者には見える」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呼ばれて目を上げると、笠はやぶれて、紙をかぶせた、黄色にくすぶったほやの上へ、眉の優しい額を見せた、頬のあたりが、ぽっと白く、朧夜おぼろよに落ちたかずらと云う顔色かおつき
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さめて、あたりの現実を見廻してみると、ここは江戸の観音堂でもなく、また花の散る朧夜おぼろよでもなかった。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ばれてげると、かさやぶれて、かみかぶせた、黄色きいろくすぶつたほやのうへへ、まゆやさしいひたひせた、ほゝのあたりが、ぽつとしろく、朧夜おぼろよちたかづらと顏色かほつき
霰ふる (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
『知れたこと、このい心地と、この朧夜おぼろよを、窮屈きゅうくつな駕籠などとは勿体もったいない。……竹之丞、口三味くちざみをせい』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朧夜おぼろよにはそこぞと思う小路々々を徜徉さまよい徜徉い日を重ねて、青葉に移るのが、酔のさめ際のように心寂しくってならなかった——人は二度とも、美しい通魔とおりまを見たんだ
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
朧夜おぼろよを、一鞭あてて、増上寺の伊達家の宿坊へ行って、うかがってみると、何と、青畳の香がぷーんと高い。下部しもべの部屋まで、畳は新しく替えられてあるではないか。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私……もう御別離おわかれをお見送り申し旁々かたがた、せめて、この橋まで一所に来て、優しい事を二人でして、活きものの喜ぶのを見たかったんですけれども、二人ばかりの朧夜おぼろよ
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
諸卿はみな知っているが、義貞は正直におあいてしていたので、ついに酔いつぶれてしまったらしく、やがてふと気づいたときは誰もみえない朧夜おぼろよの一殿でんだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あきともかずひるともらず朧夜おぼろよ迷出まよひいでて、あはれ十九を一期いちごとして、同國どうこく浦崎うらざきところ入江いりえやみしづめて、あし刈根かりねのうたかたに、黒髮くろかみらしたのである。
一席話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ぬる月の朧夜おぼろよに、銭瓶ぜにがめの穴から捕えられて、奇怪な侍に広野の果てへ引っさげられて行った先生。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お京の姿は、傘もたわわに降り積り、浅黄で描いた手弱女たおやめ朧夜おぼろよ深き風情である。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかしながら、彼と小姓が、あんな姿で、この朧夜おぼろよ吹上ふきあげへさまよい出して行くと、かえって風説は将軍家それ自身の影までを、妖鬼と見てしまいはせぬでしょうか。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
糠雨ぬかあめ朧夜おぼろよに、ちひさ山廓さんかくほこらまへやぶみののしよぼ/\した渠等かれら風躰ふうてい、……ところが、お年貢ねんぐ、お年貢ねんぐ、ときこえて、未進みしん科条くわでう水牢みづらうんだ亡者もうじやか、百姓一揆ひやくしやういつき怨霊おんりやうか、とおもく。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
いてもうでつたのに……と肩越かたごし見上みあげたとき天井てんじやうかげかみくろうへから覗込のぞきこむやうにえたので、歴然あり/\と、自分じぶん彫刻師てうこくしつたおさなとき運命うんめいが、かたちあらはれた……あめ朧夜おぼろよ
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
これがほんとの朧夜おぼろよというのだろう。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『あツ、』とさけんで、背後うしろから飛蒐とびかゝつたが、一足ひとあしところとゞきさうにつても、うしてもおよばぬ……うしいそぐともなく、うごかない朧夜おぼろよ自然おのづからときうつるやうに悠々いう/\とのさばりく。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
朧夜おぼろよだった。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みちもない、雲に似て踏みごたえがあって、雪に似てつめたからず、朧夜おぼろよかと思えば暗く、東雲しののめかと見れば陰々たる中に、煙草盆、枕、火鉢、炬燵櫓こたつやぐらの形など左右、二列ふたならびに、不揃ぶぞろいに、沢庵たくあんたるもあり
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
江戸護持院ヶ原の野仏のぼとけだった地蔵様が、おぶわれて行こう……と朧夜おぼろよにニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟くっきょうの勇士が、そのまま中仙道北陸道をおぶい通いて帰国した、と言伝えて
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「ただ別れるの。……不意気ぶいきだねえ、——一石橋の朧夜おぼろよに、」
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
朧夜おぼろよにはくれないそで萌黄もえぎが、色に出て遊ぶであろう。
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)