落付おちつ)” の例文
しかし外面おもてからたのとはちがって、内部なかはちっともくらいことはなく、ほんのりといかにも落付おちついたひかりが、へや全体ぜんたいみなぎってりました。
じっ蒲団ふとんの上に落付おちついていられない彼女は、枕を外して右を向いたり左へ動いたりした。男の健三には手の着けようがなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
卯平うへい勘次かんじとのあひだ豫期よきしてごとひやゝがではあつたが、丁度ちやうど落付おちつかない藁屑わらくづあしいてはにはとり到頭たうとうつくるやうに
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
何となくいらいらと落付おちつかなかったり、黒くだまり込んで、半日も一日も考えこんだりします。桜が、その上へ、薄明の花のとばりをめぐらします。
病房にたわむ花 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
落付おちつく場所は道庁のヒュッテ白銀荘はくぎんそうという小屋で、泥流でいりゅうコースの近く、吹上ふきあげ温泉からは五ちょうへだたっていない所である。
「人間には所持慾つて奴があつて自分のものにしないでは落付おちついて娯まれないのだ。兎一つまないやうな禿山だつて自分のものにするとまた格別だからな。」
エミリアンはじろじろ三人の様子をながめました。そして盗賊だとわかつてしまふと、かへつて落付おちつきました。
エミリアンの旅 (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
暫くは体が硬張って息もつけぬ程だったが、漸く身も心も落付おちついてからよく見れば、それらの山の一つ一つが皆違った形を持っている。富士山も勿論其中にあった。
北岳と朝日岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
雲に乗って飛んでいる様な、夢を見ている様な、一方では限りなき焦燥しょうそうを感じながら、一方では落付おちつきはらっている様な、何とも形容の出来ない心持でありました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
このしゆ海鳥かいてうは、元來ぐわんらい左迄さまで性質せいしつ猛惡まうあくなものでいから、此方こなたさへ落付おちついてれば、あるひ無難ぶなんまぬがれること出來できたかもれぬが、不意ふいこととて、しんから顛倒てんだうしてつたので
「お駒さん、腹を立てるのも尤もだが、これには深いわけがある、落付おちついて聴いてくれ」
黄金を浴びる女 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
れから家督相続と云えばれ相応のつとめがなくてはならぬ、藩中小士族こしぞく相応の勤を命ぜられて居る、けれども私の心と云うものは天外万里てんがいばんり、何もかも浮足うきあしになって一寸ちょいとも落付おちつかぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そろへて申すにぞ傳吉も佛前へそなへ夫より夜食やしよくすみて傳吉は今こそ我家へ立ち歸りしゆゑこゝろ落付おちつ草臥くたびれ出しにやこくり/\と居眠ゐねぶりけるを叔母は見るより傳吉どのもさぞつかれしならんお梅やとこ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「こつちなんぞぢや、あといくらでも出來できらあな」といひながらたどりをつた。たまごすこうごくとはかりさをがぐら/\と落付おちつかない。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
『おじいさま、ういうものか今日けふ落付おちつかないでこまるのでございます……。わたくしはどこかへあそびに出掛でかけたくなりました。』
三四郎は真逆まさかうかとも云へなかつた。うす笑ひをした丈で、又洋筆ペンはしらし始めた。与次郎もそれからは落付おちついて、時間の終る迄くちかなかつた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ひどいのになると一日に五六度オキシフルか、昇汞水しょうこうすいで手を消毒しないと、落付おちついて仕事が出来できぬというようなのがある。悪いことではないがかくうるさい。
良人教育十四種 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
結局散々頭をしぼった末、一生一代の名文の手紙を書いて、とうとう平井さんからその墨を譲り受けて、やっと落付おちついた。誠に芽出度めでたい結末になったわけである。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
おもむろにこれはなってその趣くところに赴むかしめたのがあの如何にも落付おちつきのある坐りのいい裾の線だ。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
いくらかずつ落付おちつきを取返とりかえして、やがて、平静な心持で話しうようになると、何より先に、お鳥の豊満な裸体、月の光にさらされて、ほんのりかすむような美しい身体からだが気になります。
裸身の女仙 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
なにもあれ、いま、かくこゝろ落付おちついてると、今度こんど吾等われらこの大危難だいきなんをば、おな日本人につぽんじんの——しかも忠勇ちうゆう義烈ぎれつなる帝國海軍々人ていこくかいぐんぐんじんによつてすくはれたのは、じつ吾等われら兩人りようにん幸福こうふくのみではない
真暗まつくらな、しいんとした夜です。どこにも人の足音も、物の動くけはひもしません。空には星がいつぱい出てゐます。茂みの間からその星をながめてゐると、エミリアンはやうやく落付おちつきました。
エミリアンの旅 (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
長崎に落付おちつき、始めて横文字の abc とうものを習うたが、今では日本国中到る処に、徳利とくり貼紙はりがみを見ても横文字は幾許いくらもある。目に慣れて珍しくもないが、始めての時は中々むずかしい。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
はなし容子ようすではそれほどでもないのかとおもつてもたが、それでも勘次かんじくちくにもつばのどからぐつとかへしてるやうで落付おちつかれなかつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
『イヤそろそろ修行しゅぎょうに一段落だんらくつくところじゃ。本人ほんにん生前せいぜんたいへんにった海辺うみべがあるので、これからそこへ落付おちつかせることになってる……。』
どうかして、此東京に落付おちついてゐられる様にしてりたい気がする。代助はもう一返あによめに相談して、此間このあひだかねを調達する工面をして見やうかと思つた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ただ岩蔭である為に風が当らないのはさいわいであった。体が少し落付おちつくと腹の空いていることに気が付く。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
此塲このば光景くわうけいのあまりに天然てんねん奇體きたいなので、わたくし暫時しばし此處こゝ人間にんげんきやうか、それとも、世界せかいぐわいある塲所ばしよではあるまいかとうたがつたほどで、さらこゝろ落付おちつけてると、すべての構造こうざうまつた小造船所せうざうせんじよのやうで
「少し気を落付おちつけさせて下さい、ぐ治ります」
芳年写生帖 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
健三の心はこうした諷刺ふうしを笑って受けるほど落付おちついていなかった。周囲の事情は雅量に乏しい彼をますます窮屈にした。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
渓間に漲充ちょうじゅうされた軟熟な翠色の空気は、画面に一段の幽邃ゆうすい落付おちつきとを加えている。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
このそうわかいに似合にあはずはなは落付おちついた話振はなしぶりをするをとこであつた。ひくこゑなに受答うけこたへをしたあとで、にやりとわら具合ぐあひなどは、まるをんなやうかんじを宗助そうすけあたへた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
朽葉のつもった柔い土の香と軽い樹肥やにの香とが苛立った神経を落付おちつけて呉れる。緩やかなうねりが二度三度続いた。尾根が痩せて岩が露れると、石楠や躑躅つつじの類がはびこり出して足にからまる。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
こんな具合にしてやっと東京に落付おちついた健三は、物質的に見た自分の、如何いかにも貧弱なのに気が付いた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし今日は落付おちついて身を任せては居られない。足早にトットと進んで行く。一の隆起を踰え、大きなガレの縁を辿り、小笹原を通って茅処の原に出た。これが今いうカワグルミ沢の頭であろう。
初旅の大菩薩連嶺 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
かれくろよるなかるきながら、たゞうかしてこのこゝろからのがたいとおもつた。そのこゝろ如何いかにもよわくて落付おちつかなくつて、不安ふあん不定ふていで、度胸どきようがなさぎて希知けちえた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
落付おちついて考へれば、考へははちすいとを引く如くにるが、出たものを纏めてると、ひとおそろしがるものばかりであつた。仕舞には、斯様かやうに考へなければならない自分がこわくなつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
其癖そのくせかれ性質せいしつとして、兄夫婦あにふうふごとく、荏苒じんぜんさかひ落付おちついてはゐられなかつたのである。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)