“会”のいろいろな読み方と例文
旧字:
読み方割合
35.8%
かい11.2%
10.4%
くわい5.2%
5.2%
くわ4.5%
4.5%
あわ4.5%
4.5%
たま3.0%
たまたま1.5%
あひ1.5%
あい0.7%
あつ0.7%
たか0.7%
つど0.7%
よみきり0.7%
をがみ0.7%
0.7%
アヘ0.7%
0.7%
0.7%
会津0.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
このごろはめっきりとしをとって、こんどまたおうといっても、それまできていられるかおぼつかない。ああ、ざんねんなことだ。
羅生門 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
そのばんのカルタかいは、なかなかにぎやかだったのです。カルタにつかれた時分じぶん、おすしや、あまざけや、みかんや、お菓子かしなどがました。
つじうら売りのおばあさん (新字新仮名) / 小川未明(著)
舅に就いて学問甚だ通じければしてその美を顕揚せんと一弟子を波羅奈国に遣わし輔相に謀り会資として珍宝を得んとす
くわいがあるとかで、ひるから出かけて居りますが、もう、そろそろ、帰りませう、おあがりなさい、と小さい老母は、やさしく招いた。
火の鳥 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
養子だけがうてくれた。たくさんとは言いませんがと畳に頭をすりつけたが、話にならなかった。自業自得じごうじとく、そんな言葉も彼はいた。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
フト何処どこかの隅っこで飛んでもない事柄にくわすような気がした。何かしら素晴しいものが発見できそうにも思われた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
師弟共に黙して雨声うせいくもの多時、忽ち一人いちにんあり。高歌して門外を過ぐ。芳涯莞爾くわんじとして、諸弟子を顧みて曰、「せりや」と。句下殺人の意あり。
かくすにゃあたらないから、有様ありようにいってな、こと次第しだいったら、堺屋さかいやは、このままおまえにはあわせずに、かえってもらうことにする」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
ところがうまいことはいきなり私どもははぎぼだしにはしました。そこはたしかに去年の処ではなかったのです。ですから私は
(新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
お情けでたまに載せて貰ふ写真。彼は息子に対して、いつも乍ら耻らひを感じた。此の息子の眼に、役者としての自分がどの位に映るだらう。
(新字旧仮名) / 久米正雄(著)
以テ日ヲ消スルノ具ニ供ス。尾濃ノ間騒人緇流しりゅうソノ高風ヲ慕ヒ遊ブ者常ニ数十人。経ヲ抱ヘ策ヲはさミ益ヲ請フ者マタ日ニむらがリ至ル。居ルコト数年たまたま尾公学校ヲ起シ以テ賢者ヲ招ク。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いにしへの印旛の神があひの蘆谷のこもり今も為るかも
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
右の溌猴わるざるは、心さわがしく、性急だから、人さきにあいに出掛けて、ひとつ蛇の目を取巻くのに、たびかさなるに従って、自然とおなじ顔が集るが、星座のこの分野に当っては
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
万種の動作、ただ一心にあつまる。彼が彼たる所以ゆえん、ただこの一誠以て全心を把持するが故にあらずや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
寺内の若僧、庄馬鹿、子坊主までつてたかつて、火をともして、其を本堂へと持運ぶ。三人はその為に長い廊下を往つたり来たりした。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
書紀にも「いくさやしなひ衆をつどへて、つひともに謀を定めたまふ」と壬申の乱における内助の功をたたえ、また大海人皇子登位して天武天皇となられて後、崩御さるるまで
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
林家正蔵のごとき、やまとのためにのおはなよみきりならそれこそ万障繰り合わせても出向いていったかの観がある。現に病歿のすぐ以前にも、むつみと協会と合同で、一昼夜にわたる演芸会さえ催した。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
持統天皇はその御願を継いで即位二年無遮むしゃ大会だいえを設け給い、同十一年「癸亥みづのとゐ公卿くぎやう百寮、仏眼ほとけのまなこあらはしまつる。をがみを薬師寺に設く」(書紀)。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
自省ジセイナオケレバ千万人センマンニンエドモ、——イヤ、握手アクシュハマダマダ、ソノタテノウラノ言葉コトバヲコソ、「自省ジセイナオカラザレバ、乞食コジキッテモ、赤面狼狽セキメンロウバイ被告ヒコク罪人ザイニン酒屋サカヤム。」
創生記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
この稍古式を残してゐる詞に於いてすら、「相ひ口アヘたまふことなく……」とあるのを見れば、相手の口誦する呪詞にうち負け、うち勝つことを問題にしてゐた事が訣る。
スヤ 明月清風 自己ノ三昧
地獄 (新字旧仮名) / 神西清(著)
私はまれひとの場合ひとを単純な人とはらなかつた。此ひとを人として見る事も出来よう。常世神の人なる事を知つた為、人を言うたものと説く事である。
去月二十九日上関に薩の蝶丸にて参りたり。然るに此度の用事は云々、先づ京師のヨフス様子は去月十五日将軍上洛、二十一日、一橋会津桑名にはかに朝廷にせまり、追討の命をコフ。