あした)” の例文
偃松はいまつがあり、残雪があり、お花畑があり、清い水の流れは石原に湛えて幾つかの小池となり、あしたには雲を浮べゆうべには星を宿している。
南北アルプス通説 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
明月記は千しやの書なれば七は六のあやまりとしても氷室をいでし六月の氷あしたまつべからず。けだし貢献こうけんの後氷室守ひむろもりが私にいだすもしるべからず。
あしたにはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬の準備こゝろがまへを觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窓にさらせる假粧けしやうの衣類をけみしつ。
あしたに竹青の声を聞かばゆうべに死するも可なり矣」と何につけても洞庭一日の幸福な生活が燃えるほどはげしく懐慕せられるのである。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
あした美姫びきの肩の柳絮りゅうじょを払い、ゆうべに佳酒かしゅ瑠璃杯るりはいに盛って管絃に酔う耳や眼をもっては、忠臣の諫言は余りにもただ苦い気がした。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あしたに生まれたものがゆうべに死ぬ。昨日見た人が今日はない。我々自身も今夜重病にかかりあるいは盗賊に殺されるかもわからない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
あしたに生れてはゆうべに死して行かなくてはならない果敢はかない運命、変転極りない運命、こういう事を深く考えて見ると全く、結んでは直に消え
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
又同じ時の歌に 梅の実の黄に落ち散りて沙半ば乾ける庭の夕明りかな 山の湯が草の葉色を湛へしに浸るあしたも物をこそ思へ などがある。
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
あしたよりゆうべに至るまで、腕車くるま地車じぐるまなど一輌もぎるはあらず。美しきおもいもの、富みたる寡婦やもめ、おとなしきわらわなど、夢おだやかに日を送りぬ。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
南天や紅梅の如き庭木が目隠しの柴垣をうしろにして立っている有様、春のあしたには鶯がこの手水鉢ちょうずばちの水を飲みに柄杓のにとまる。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
さばれいきとし生ける者、何かは命を惜まざる。あしたに生れゆうべに死すてふ、蜉蝣ふゆといふ虫だにも、追へばのがれんとするにあらずや。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
そのために今も山口土淵辺にてはあしたに野らに出づるをハカダチといひ、夕方野らより帰ることをハカアガリといふといへり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
あしたゆうべに論語をひらくというのも、おっしゃるとおりうそでない気持で経験されたことでしょう、愛誦の詩の中から目醒めるということもあり
昔より云傳いひつたへたりまた里人の茶話ちやばなしにもあしたに出る日ゆふべに入る日もかゞやき渡る山のは黄金千兩錢千ぐわんうるしたる朱砂しゆしやきんうづめありとは云へどたれありて其在處ありどころ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
暖かい土地で、人に顔をあわさず、あしたゆうべに讃美歌を口ずさみながら、羊の群をおっているのは、廃残の彼女にはほんに相応ふさわしいことだと思った。
芳川鎌子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
されば玲瓏として玉の如く、あしたに起き、ゆふべに寝ねて、いただくはありふれし米の飯、添ふるに一汁一菜の風韻、さながら古人の趣に相かなふを悦ぶ。
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
かしこをあしたこゝをゆふべとなしゝ日は殆どかゝる處よりいで、いまやかの半球みな白く、そのほかは黒かりき 四三—四五
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
今やあしたの霞を衝いて津々浦々までも鳴り渡るあの明朗至極なるラヂオ體操を見ても明らかの如く、正にあのやうなる悠かな窈窕味をもつて大氣に飽和し
文学的自叙伝 (旧字旧仮名) / 牧野信一(著)
あしたに道を聞かばゆうべに死すとも可なりというのと僕の願とは大に意義を異にしているけれど、その心持は同じです。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
盲目の彼には夜も昼も、あしたゆうべも空も地も、人間も草木も山川も、万象ことごとくが暗かったが、しかし心眼にはハッキリと、恐ろしい物が見えていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
このごろ秋晴しゅうせいあしたちまたに立って見渡すと、この町も昔とは随分変ったものである。懐旧かいきゅうかんがむらむらと湧く。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私が人麿の歌を評釈した時には、新訓(佐佐木博士)の、「雪にこまうつあしたたぬしも」に従ったが、今回は、故生田耕一氏の「雪にうくつく朝楽しも」に従った。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
天皇、小碓をうすの命に詔りたまはく、「何とかもみましいろせあしたゆふべ大御食おほみけにまゐ出來でこざる。もはらみましねぎ教へ覺せ」
そんなイヤなものでないことは、此家こゝに三日も泊つてゐればわかることだ。あしたに武藝をはげみ、ゆふべ孔孟こうまうの教へを聽く、修業の嚴しさも一と通り見て貰ひたい。
その間に費やされるエネルギーまたは心労というものは実に筆紙に尽されぬくらい、されば、あしたは黒髪の青年も、ゆうべは白髪の老人となって下山するであろう。
西四条のさきの斎宮まだみこにものし給ひし時心ざしありて思ふこと侍りける間に、斎宮に走り給ひにければ、その明くるあしたさかきの枝につけてさしおかせ侍りける
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
神はあしたに命を下し黎明にその所を知らしめて、その造り給える宇宙にたえなる活動を与えつつあるのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
あしたに法を聴き、ゆうべに道を聴き、梧前灯下ごぜんとうかに書巻を手にするのは皆この自証じしょう挑撥ちょうはつするの方便ほうべんに過ぎぬ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
家の前には水の中にくい打って板をわたし、霜のあしたに顔洗うも、米洗い、洗濯、あと仕舞い、または夕立に網あらい、ただしは月の夕に泥鍬を洗うのも、皆此処ここだ。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
当歳の子と夫を残してく彼女はさぞ残念であったであろう。然し彼女自身はあしたうまれてゆうべに死すともうらみは無い善良の生涯を送って居たので、生の目的は果した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
冬眠中の蛇を掘り出してくらうと、にわかに精気がついたその勢いで、あしたに猿と遊び、昼は書を読み、夕は檜の立木を相手にひとり木剣を振うている内に三年がたち
猿飛佐助 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
先頃せんころまで三奸さんかんの随一に数えられたが、賢の賢たる所以ゆえんも備わるが、奸の奸たる毒素も持たざるなし、あしたには公武の合体を策し、ゆうべには薩長の志士と交るといえども
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あしたに平氏あり、ゆふべに源氏あり、飄忽へうこつとして去り、飄忽としてきたる、一潮いつてう山をんで一世紀没し、一潮退き尽きて他世紀来る、歴史の載するところ一潮毎に葉数を減じ
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
近習医に任ぜられてからは、詰所つめしょ出入いでいりするに、あしたには人に先んじてき、ゆうべには人に後れてかえった。そして公退後には士庶の病人に接して、たえむ色がなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし、似たと言うのは、あの場合、決して、正しい言葉ではございません。まさしく私があしたゆうべに、鏡の中で見なれている、私自身に、相違ないではございませんか。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
およそ動物にはあしたに生まれゆうべに死ぬ蜉蝣かげろうのごとき短命なものもあり、象や鯨のように二百年も三百年も生きるものもあるが、いずれにしても寿命に制限のないものはない。
生物学より見たる教育 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
空氣はあくまで清澄にして、中に言ふべからざる秋の靜けさとさびしさとを交へたり。木曾川の溪流よりはあしたの水烟さかんに登りて、水聲のいさぎよき、この人世のものとしも覺えず。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
茶道に「一」という言葉があり、論語に、「あしたに道を聞かば夕べに死すとも可なり」
青年の思索のために (新字新仮名) / 下村湖人(著)
高朗の気ほねとほり清幽の情肉に浸むあしたの趣こそ比ぶるに物なけれ、今しもあふいで彼の天成の大画たいぐわ双眸さふぼうを放ち、して此の自然の妙詩に隻耳せきじを傾け、をくぐり芝生を辿たど
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
いなとよ時頼、あしたの露よりも猶ほあだなる人の身の、何時いつ消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふひまさへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひはからんや。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
そのようにたびたび変えることは面白くない。第一そうたびたび首都が変ってあしたに南京を
軍用鮫 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あたかもかの精鋭なる仏国の常備兵がナポレオンの号令に従い行軍するがごとく、あしたにセーヌの河を渡り、夕にアルプスの雪嶺を超え、鉄馬風にいななき、雄剣氷に没するの地を踏み
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
あくあしたの食後、貫一はづこの狭き畑下戸はたおり隅々すみずみまで一遍ひとわたり見周みめぐりて、ぼその状況を知るとともに、清琴楼の家格いへがらを考へなどして、かはらに出づれば、浅瀬にかかれる板橋の風情ふぜい面白く
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
……いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人ひとり二人ふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方いづかたより来りて、何方いづかたへか去る。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
この小主水の部屋から妹分で此のごろ突出つきだされた一人の娼妓こどもは、これも大阪もので大家たいけの娘でございましたが、うちの没落に身を苦界くがいに沈め、ごとに変る仇枕あだまくらあした源兵衛げんべえをおくり
かくて十日の午前二時半頃越軍は犀川の南方に東面して陣取り、剛勇無比の柿崎和泉守を先陣に大将謙信は毘字旗と日の丸の旗を陣頭に押し立てて第二陣に控えて、決戦のあしたを待った。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
今日けふ今日けふはとおもちながら、なほ其事そのことおよばずして過行すぎゆく、年立としたちかへるあしたより、まつうちぎなばとおもひ、まつとりつれば十五にちばかりのほどにはとおもふ、二十日はつかぎて一げつむなしく
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
あけると扉にあたる頁に「あしたを思い、またゆうべを思うべし。」と書いてある。内容は一人の少年が「わが師」へ宛てて書きつづった手紙の形式になっている。これも青春の独白の一つであろう。
わが師への書 (新字新仮名) / 小山清(著)
かく述べ来ると当時の京都の住民は、あしたをもってゆうべを計り難く、恟々きょうきょうとして何事も手につかなかったように想像されるが、実際はさほどにあわてて落ちつかぬ暮らしをしていたのではない。
だから向上心の弱い人には幸福はないということになる。宗教の問題も解決はそこに帰するのであろう、あしたに道を聞いて夕べに死すとも可なりとは、よく其精神を説明して居るではないか。
浜菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)