ゆる)” の例文
尤も八五郎は決して手をゆるめたわけではなく、追分の梅吉のところを足場にして、淺嘉町のあたりを、せつせと嗅いであるきました。
十一丁目までの間は、壁にのぼるような急勾配きゅうこうばい。それから道はゆるやかになって、そこで駕籠屋たちも無駄話をする余裕が出来ました。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
すると、病人は手を合わして、三郎次の方を拝むように見えましたが、それで安心して気がゆるんだと見え、そのまま息が絶えました。
三人兄弟 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
細川家のものが声を掛けて、歩度をゆるめさせようとしたが、浅野家のものは耳にも掛けない。とうとう細川家のものも駆足になった。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼はこう注意して、じかに局部をおさえつけている個所を少しゆるめて見たら、血が煮染にじみ出したという話を用心のためにしてかせた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
奔馬ほんばちゅうけて、見る見る腕車を乗っ越したり。御者はやがて馬の足掻あがきをゆるめ、渠に先を越させぬまでに徐々として進行しつ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼の歩調もゆるんだ。丁度ちょうど二人が目的の部屋の前に来たからである。黒いうるしをぬった札の表には、白墨はくぼくで「病理室」と書いてあった。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
「ここから上流の方は水勢がよほどゆるいんです。河底の勾配こうばいにも因りましょうが、もう一つには天然のせきが出来ているからです。」
麻畑の一夜 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
果してその翌日位からのあの無口だ。どう手を替へて見てもそれがゆるまない。わたしは海水浴にも婆やを附けて行かせる事にしてゐる。
愚かな父 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
……も、もすこし手をゆるめておくんなさい。あの時らされた目は今でも忘れちゃおりません。旦那の腕には、充分と、りております
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
更にそのすえが裾野となって、ゆるやかな傾斜で海岸に延びており、そこに千々岩ちぢわ灘とは反対の側の有明ありあけ海が紺碧こんぺきの色をたたえて展開する。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
容易に夫人の警戒がゆるみそうもないのをて取ると、河内介は懐から小さな錦の袋を取り出して、それを二三度押しいたゞきながら云った。
彼はほとんど我家に帰りきたれると見ゆる態度にて、傱々つかつかと寄りて戸をけんとしたれど、啓かざりければ、かのしとやかゆるしと謂ふ声して
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
みち一縷いちる、危い崖の上をめぐって深い谿を瞰下みおろしながら行くのである。ちょっとの注意もゆるめられない径だ、谿の中には一木も一草もない。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
列車の速力がダンダンゆるくなって来て、蒼白いのや黄色いのや、色々の光線が窓硝子ガラスすべった。やがて窓の外を大きな声が
人間レコード (新字新仮名) / 夢野久作(著)
戸棚を開き菅秀才かんしゅうさいの顔を見て、始めて気のゆるみし心にて、後へべたりと尻餅をつき、手を合せ拝み、また正面を向きて上を見上げて拝む。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
狐を追つてゐる中に、何時か彼等は、曠野がゆるい斜面を作つて、水の涸れた川床と一つになる、その丁度上の所へ、出てゐたからである。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
さらにその特点とくてんをいえば、大都会の生活の名残なごりと田舎の生活の余波よはとがここで落ちあって、ゆるやかにうずを巻いているようにも思われる。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お前様ア先い出るときゆるりと食べろとって会釈して、お前様ア忘れもしねえ、なんとお武士様さむらいさまでも身柄のある人ア違ったもんだ
捕り方の方では、その響きを聞いて、ほっと気がゆるんだであろうが、そうした気持を、よく見抜いている闇太郎は、あべこべに
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
こゝにても次の圓よりいと急に垂るゝ岸、かゝる手段てだてによりてゆるまりぬ、されど右にも左にも身は高き石に觸る 一〇六—一〇八
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
透谷の『蓬莱曲ほうらいきょく』が出た。鶴見の回想は今この本のイメエジをめぐって渦動をはじめるかに見えるゆるやかな曲線をえがいている。
午餐ひる勘次かんじもどつて、また口中こうちう粗剛こは飯粒めしつぶみながらはしつたあと與吉よきち鼻緒はなをゆるんだ下駄げたをから/\ときずつて學校がくかうからかへつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
昨夜歩きながら道の行手に黒い山がしだいに迫ってくるように見えたのは、いま見ると、村がゆるく上りになって、山に続いているのだった。
土淵村にての日記 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
「仕事の手をゆるめて怠ける算段ばかてけツかる、たげえに話ヨ為て、ズラかる相談でも為て見ろ、明日ア天日が拝め無えと思え」
監獄部屋 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
五分經つ……十分經つ……そして少年は緊張した心持から覺め何物をも發見しなかつたといふ安心から、多少氣がゆるんだやうに歎息をした。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
山田と伊沢は四時ごろになって寺を出た。晩春はるさきの空気がゆるんでもやのような雨雲が、寺の門口かどぐちにある新緑のこずえに垂れさがっていた。
雨夜続志 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それと同時に、彼女もあたかも初めて現われてきたときのように、気の進まないようなゆるい歩調で、出てきたのである。コスモはふるえた。
ただし世人はゆるく歌ふを指して歌ふといひ、詩想複雑にして音調また変化するを指して思を主とすといふにやあらん。(五月三日)
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
先着の三人の紳士淑女が、まずその舟に乗込むと、少女の櫂が静かに水を掻分かきわけて、ゴンドラは細い淵を、ゆるやかにすべり始めた。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
伝吉でんきち駕籠かごなかはなあたまッこすってのひとり啖呵たんかも、駕籠屋かごやにはすこしのもないらしく、駕籠かごあゆみは、依然いぜんとしてゆるやかだった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
「それは末の問題だ。少くとも直接の問題ではない。……で、話を進めよう。梟帥たける、お前はどうあっても、妨害の手をゆるめないつもりか?」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
女兒むすめやさしき介抱にこゝろゆるみし武左衞門まくらつきてすや/\と眠りし容子にお光は長息といき夜具打掛てそつ退のきかたへに在し硯箱を出して墨を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
けたたましい動物のさけびと共にいからしてんで来た青年と、圜冠句履えんかんこうりゆるけつを帯びてった温顔の孔子との間に、問答が始まる。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「だが僕は、毎日々々セッ付かれて困ってたんだから、地震のおかげで催促の手が少しはゆるむだろうと地震に感謝している、」
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
吸筒すいづつが倒れる、中から水——といえば其時の命、命の綱、いやさ死期しごゆるべて呉れていようというソノ霊薬が滾々ごぼごぼと流出る。
妙念 (怪体けたいなる微笑を浮べつつ声調きわめてゆるやかに)だんだん赤くなって来た。依志子、もう一度眼をあけて見ないか。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
軒の風鈴ふうりんをさえ定かには鳴らし得ぬ微風そよかぜ——河に近い下町の人家の屋根を越して唯ゆるく大きく流動している夜気のそよぎは
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一體いつたい家屋かおくあたらしいあひだはしら横木よこぎとのあひだめつけてゐるくさびいてゐるけれども、それが段々だん/″\ふるくなつてると、次第しだいゆるみがる。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
結局藝術とか思想とか云つてゝも自分の生活なんて實にみじめで下らんもんだといふやうな氣がされて、彼は歩みをゆるめて
子をつれて (旧字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
エクレシアにおける霊のつながりはできるだけ鞏固きょうこであり、制度的つながりはできるだけゆるいことが、エクレシヤの本質に適うものと思います。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
と、信吾は急に取濟した顏をして大胯に歩き出したが、加藤醫院の手前まで來ると、フト物忘れでもした樣に足をゆるめた。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
やがてゆるい斜面に沿つてまつすぐにこつちへ延びているのだが、その男女の人影が彼の視線かられると、彼は、もうそのことは忘れたように
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
篩った粉を入れてねて固ければ牛乳で少しゆるめて小さくちぎっててのひらでグルグルと細長くちょうど親指位の太さにまるめて
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
朝に成ってかえって気のゆるんだ岸本はいくらかでも寝て行こうとした。一眠りして眼をさますと、その度に彼は巴里が近くなって来たことを感じた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私は私の背後に太いロップや金具のゆるく緩くきしめく音を絶えず感じながら、その船首に近い右舷の欄干てすりにゆったりと両のかいなをもたせかけている。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
主墳しゆふんではるまいが、人氣にんきゆるんで折柄をりがらとて、學者がくしやも、記者きしやも、高等野次馬かうとうやじうまも、警官けいくわんも、こと/″\此所こゝあつまつて、作業さくげふ邪魔じやまとなること夥多おびたゞしい。
それをながめていると、顔面に漂うている表情から、陶酔にやや心をゆるうしているらしい曇りのない快活な情緒が、しみじみ胸にしみ込んで来る。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
だが、にんじんは、早くなる足並みを、やっとのことでゆるめているのである。足の中をありっているような気持だ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
俳優らの声はこの上もなく豊量でゆるやかで荘重で厳格だった。あたかも言葉づかいの稽古けいこをでも授けるかのように、あらゆるつづりを皆発音していた。