からだ)” の例文
舅はやや肥えたからだの大きな人で、血色のいい顔に温和な微笑を湛え、眼をほそめてわたくしを見ながら、ゆっくりと幾たびもうなずいた。
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
からだて頂をし、もって万一に報ずるを思わず、かえって胸臆きょうおくほしいままにし、ほしいままに威福をす。死すべきの罪、髪をきて数えがたし。
続黄梁 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
私は欧洲から帰って来ると、すぐまた戸隠山へ出掛けた。山で一ヶ月を暮らして帰って来ると、尾崎さんはからだを悪くして困っていた。
落合町山川記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
ひとつは父が不自由なからだであったせいであろうが、いわば私はお祖父さん子というようなものであった。湯にもよくいっしょに入った。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
余は空を仰いで町の真中まなかたたずんだ。二週間の後この地を去るべき今の余も、病むからだよこたえて、とこの上にひとり佇ずまざるを得なかった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この世に未練は沢山有るけれど、私は早く死んで、この苦艱くげんめて了つて、さうして早く元のきよからだに生れかはつて来たいのです。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
礼儀ただしいのでからだをこごめて坐っているが、退屈をするとびんの毛の一、二本ほつれたのを手のさきでいじり、それを見詰めながらはなす。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
父は私のからだについている薬の匂いをいやがったので、私は間もなく病院の雑役夫をよして、ある貯蓄会社の外交員になりました。
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
その二つの人影は、屋上からからだをのりださんばかりにして、何か、映画に使うような移動照明器いどうしょうめいきのようなものを、動かしている。
英本土上陸戦の前夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
わがベルナルドオと叫びて、そのからだに抱き付かんとするに先だちて、姫は早くもその傍に跪き、鮮血湧き出づる創口を押へたり。
からだののんびりした彼女は銀子よりも姿がよく、人目につくので、嫁に望む家も二三あるのだったが、そうした時に病気が出たのであった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
私は今度からだ腫物できものが出来たので、これは是非共ぜひとも、入院して切開をしなければ、いけないと云うから、致方いたしかたなく、京都きょうとの某病院へりました。
死体室 (新字新仮名) / 岩村透(著)
うまほうでもまたわたくしによく馴染なじんで、わたくし姿すがたえようものなら、さもうれしいとった表情ひょうじょうをして、あのおおきなからだをすりけてるのでした。
彼の風采や趣向について、古書の記述を綜合してみると、玄徳の如く肥満してもいないし、孫権の如く胴長どうながで脚の短いからだつきでもなかった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さあそいつだが、むずかしそうで。あのいいからだ、貫目もあろう、とうてい妾の力では、引っ担いで行くということもならず」
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「掴まつたつて殺されるだけだわ。殺されれば妾本望だわ、こんなからだ、いつだつて……妾、貴方見たいに臆病ぢやないわ。」
チチコフは何もすることがないので、後ろに突っ立ったまま、相手のだだっぴろいからだを隅から隅までしげしげと眺めていた。
「オヽイ、馬丁さん、早くしてお呉れよ、からだがちぎれて飛んで仕舞しまひさうだ——戯譃じやうだんぢやねえよ」と、車のうちなる老爺おやぢ鼻汁はなすゝりつゝ呼ぶ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
私は只一人其中に立って痛いほどの冷たい雨にからだを打たしている。そこには一点の塵気を止めようとしても止めることの出来ない潔い心持であった。
富士登山 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
よっぽど悪戯がきいたと見え、汗ばんだからだがびくびく痙攣ひきつりなかなか昂奮のおさまらぬ面持だった。馬勒くつわがとれ、くらもどこかへ落ちてしまっている。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
いゝあんばいにからだいてました、うなるとよくが出てまたあがつてつゝみはす背負せお道中差だうちゆうざしをさしてげ出しました。
夭折ようせつせる小児の教育の一手段としては、しばしばこれを霊媒のからだにつけて、地上生活の経験を繰り返させることもある。
……とびらあさうして、しかくらおくに、一人面蛇体にんめんじやたいかみの、からだを三うねり、ともに一ふりつるぎまとうたのが陰影いんえいつて、おもてつるぎとゝもに真青まつあをなのをときよ。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
わたしひとりが人類の最後の生き残りかとおもうと、わたしのからだはぶるぶると震え、わたしの吐く息の一つ一つがわたしに別れを告げているのがわかる。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
二人ともからだにくらべて頭が大きい。貧相な感じの子供だった。頭が似ているから、兄弟なのに違いない。上は数え年で十二か十三、小さい方は十歳ぐらいか。
魚の餌 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
それとも死ぬまでも惑いもだえて衰頽したからだを荒野にさらすのが偉大であるか愚であるか、それは別問題として
厄年と etc. (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この時突然、彼には二間とは間隔のない路巾みちはばが、彼自身のからだしつぶすように、同じ速度を踏んで、左右から盛り上り盛り上りせまって来るように感じられた。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
其一にからだもたせたまま、眼はいつしか三千米の天空に今年のこの夏の唯一日であるかの如くに今日をほこっている高根の花をうて、その純なる姿にうっとりと見入った。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
が、小肥こぶとりのからだをつつむゆるい黒衣の影を石階の日溜ひだまりに落したまま、しばしは黙然と耳を澄ます。
ジェイン・グレイ遺文 (新字旧仮名) / 神西清(著)
やがてほっという息をいてみると、蘇生よみがえった様にからだが楽になって、女も何時いつしか、もう其処そこには居なかった、洋燈ランプ矢張やはりもとの如くいていて、本が枕許まくらもとにあるばかりだ。
女の膝 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
また満洲帝国は武装して立ち、勇敢な蒙古もうこ民族は、「われ等のからだには成吉思汗ジンギスカンの血が流れているのだッ。」と叫んで、ゴビの沙漠さばくの中で、赤軍の騎兵集団を監視している。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
単に大和の国で、私はぐんも町の名も知らない、古宿の破れ二階に、独り旅の疲れたからだを据えていた、道中の様々な刺戟に頭は重くて滅入めいり込むよう、草鞋わらじの紐のあとで足が痛む。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
カヤノは茶の間の火鉢のそばに坐りこんだままぷすっとして、いつものようにしゅうとめが何とかいったとか、からだの具合が悪いだとか、そんな口実を洩さず黙って頬をふくらしていた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
おれは釈放されて、自分の住室へやへ帰って来たのだ。そしてもう一度市街の雑鬧ざっとうや、店屋の明るい電飾が見られるからだになったのである。今夜は久しぶりにゆっくりと晩餐を使おう。
ピストルの蠱惑 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
車中何人なんびとも一語を発しないで、皆な屈托な顔をして物思ものおもひに沈んで居る。御者は今一度強く鞭を加へて喇叭らつぱを吹きたてたのでからだは小なれども強力がうりよくなる北海の健児は大駈おほかけに駈けだした。
空知川の岸辺 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
「ああ既ういけない。とても堪らない」彼の心は泣き叫んだ。からだ藻掻もがく様に振動させた。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
ファッツ平気で象のしかばねっており、落著おちつき払ってちょっと突いたらこの通り象はからだが大きいが造作もなく殺さるるものをと言う、国王叡感斜めならず、即時彼を元帥とされた
それに、からだに比較しては長過ぎる二三寸の尾を動かしながらしきりにさかしまに松の枝へ吊さっては餌をむさぼる。尾に触れ嘴に打たれて、小さな松の皮、古松葉などがはらはらと落ちて来る。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
遠いそとの雪景色を見ている彼女のすももの頬っぺたの横顔やおなかのところで白い大前掛のもりあがっている若い丈夫なからだつきには、強壮さといっしょにどこか真面目な重々しさがある。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
浪路の全身は、火のようだ——そのからだを、もっともっと抱きしめて貰いたい。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
がっかりして、拳をほぐして、平手で額の汗を拭きますと、急にからだの疲れを覚えました。トシオの小さな躯は、もう立って居ることに堪えられないほど、ぐたぐたに疲れて仕舞って居ました。
トシオの見たもの (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
人の心がこのからだを見棄てて後まで、夢に現れまたしばしばまぼろしに姿を示すのを、魂が異形に宿を移してなお存在するためと推測したのがもし自然であるならば、それを野の鳥の声ことに清く
むかし深山みやまの奥に、一匹の虎住みけり。幾星霜いくとしつきをや経たりけん、からだ尋常よのつねこうしよりもおおきく、まなこは百錬の鏡を欺き、ひげ一束ひとつかの針に似て、一度ひとたびゆれば声山谷さんこくとどろかして、こずえの鳥も落ちなんばかり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
お松は娘のからだを抱えるように曳きずって行った。
反逆 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
娘はからだをくさらして病院に閉じこもり
飢えたる百姓達 (新字新仮名) / 今野大力(著)
酔っているのではなく神経が耗弱しているのである、玄関を出てゆく後ろ姿にも、肩から背へかけてからだの衰えがあからさまにみえた。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
やがて、昼間の頬紅の赤い女が二階へ上つて来た。まだ十八か九位で、からだは、ゆき子より大柄だつたが、眠つたやうな静かな女だつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
山田やまだ元来ぐわんらい閉戸主義へいこしゆぎであつたから、からだかう雑務ざつむ鞅掌わうしやうするのをゆるさぬので、おのづからとほざかるやうにつたのであります
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ふねのはげしき動揺どうようにつれて、幾度いくたびとなくさるるわたくしからだ——それでもわたくしはその都度つどあがりて、あわせて、熱心ねっしんいのりつづけました。
「あーッ。」と長い溜息が、持て余しているような先生のからだかられて来た。じろりと皆の顔を見る目のうちにも、包みきれぬ不安があった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)