“乳(ち)” の例文
炎に似た夢は、袈裟の睫毛(まつげ)をふさがせ、閉じたる唇(くち)を、舌もてあけ、袿(うちぎ)のみだれから白い脛(はぎ)や、あらわな乳(ち)のふくらみを見たりする。
郁太郎も、今では乳(ち)ばなれもしたし、人に預けなくても、遊びに来る子供が守(もり)をしてくれるから、自分の仕事もよく手が廻ります。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「喧嘩なら今でも致しますので。馬方船頭お乳(ち)の人と、がさつな物の例にある、その馬方なり船頭なりが、私の稼業でございますので。」
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今、この瞳に宿れる雫(しずく)は、母君の御情(おんなさけ)の露を取次ぎ参らする、乳(ち)の滴(したたり)ぞ、と袂(たもと)を傾け、差寄せて、差俯(さしうつむ)き、はらはらと落涙して
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
千の苦艱(くげん)も固(もと)より期(ご)したるを、なかなかかかる寛(ゆたか)なる信用と、かかる温(あたたか)き憐愍(れんみん)とを被(かうむ)らんは、羝羊(ていよう)の乳(ち)を得んとよりも彼は望まざりしなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
とて手(て)を取(と)りての御喜(およろこ)び扨(さて)は母(はゝ)が乳(ち)を參(まゐ)らせたる君(きみ)なりしか御目(おめ)にかゝりし嬉(うれ)しさに添(そ)へて落(おち)ぶれし身(み)はづかしと打泣(うちな)きしに榮枯(えいこ)は時(とき)なるものを
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
児(こ)を懐(ふところ)にいだき入んとするに姑(しうとめ)旁(かたはら)よりよく乳(ち)を呑(のま)せていだきいれよ、途(みち)にてはねんねがのみにくからんと一言(ひとこと)の詞(ことば)にも孫(まご)を愛(あい)する情(こゝろ)ぞしられける。
これを養育(はぐく)むこと叶(かな)はず、折角頼みし仇討ちも、仇になりなん口惜しさ、推量なして給はらば、何卒(なにとぞ)この児を阿姐(あねご)の児となし、阿姐が乳(ち)もて育てあげ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
萬有(ばんいう)の母(はゝ)たる大地(だいぢ)は其(その)墓所(はかどころ)でもあり、又(また)其(その)埋葬地(まいさうち)たるものが其(その)子宮(こぶくろ)でもある、さて其(その)子宮(こぶくろ)より千差(さ)萬別(べつ)の兒供(こども)が生(うま)れ、其(その)胸(むね)をまさぐりて乳(ち)を吸(す)ふやうに
さようでござります、子供はその時分おいおい乳(ち)ばなれておりましたしばあやもついておりましたのでめったにつれてあるくことなどはござりませなんだ。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
現に仏画師はダアワのことを蓮華(れんげ)夫人と渾名(あだな)している。実際川ばたの枝垂(しだ)れ柳(やなぎ)の下(した)に乳(ち)のみ児を抱(だ)いている妻の姿は円光(えんこう)を負っているといわなければならぬ。
第四の夫から (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
後ろ向きになつてゐたので顔は分らなかつたが、若い女の人らしく赤ん坊に添(そ)へ乳(ち)でもしてゐる様子だつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
富三郎は指物職(さしものしょく)だといった。妻はおくにといって、子供が三人あり、おとみはまだ乳(ち)ばなれまえであった。
これには三つの乳(ち)を付けて、大小三個の丸餅をその穴に挿(はさ)み、これを振回して餅を投げ飛ばすのである。
上野ではしのばず池のあの泥くさりの水で粉(こな)ミルクをといて乳(ち)のみ児(ご)にのませた婦人さえありました。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
乳(ち)のごとき色の顔は燈火(ともしび)に映じて微紅(うすくれない)をさしたり。手足のかぼそくたおやかなるは、貧家の女(おみな)に似ず。老媼(おうな)の室(へや)を出でしあとにて、少女(おとめ)は少し訛(なま)りたる言葉にて言う。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
何故ならばその當時私はまだほんの乳(ち)のみ兒で當歳か、やつと二歳(ふたつ)かであつたのである。次で乳母の背(せ)なかから見た海は濁(にご)つた黄いろい象(ぞう)の皮膚のやうなものだつた。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
浅井は胸紐(むなひも)の乳(ち)を引き断(ちぎ)られた羽織を、そこへ脱ぎ棄てて、がっかりしたように火鉢の前に坐った。
爛 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
弟子分(でしぶん)だった沢村紀久八(さわむらきくはち)が、お乳(ち)の人(ひと)繁の井をしていて、じねんじょの三吉との子別れに、あんまりよく似ている身の上につまされ、役と自分とのわけめがつかなくなって
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
苦悩に歪(ゆが)んだ女の左手に握ったのは男物の羽織の紐(ひも)、その頃流行(はや)った太く短い絹真田(きぬさなだ)で、争うはずみに引き千切ったらしく、紐の耳には毮(むし)り取ったばかりの乳(ち)が付いております。
京都のN神社の宮司をしている社家(しゃけ)華族からきたひとで、柚子の祖母は先帝のお乳(ち)の人(ひと)、伯母は二人とも典侍に上っているという神道(シンドー)イズムのパリパリで、柚子の家の神棚には
春雪 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
信長とは乳(ち)兄弟なので、その弔合戦に先陣を望んだが、高槻の城主高山右近は、「わが居城は最も京に近い。京近き合戦に、わが鴉(からす)の旗見えねば、高山いかにせしかと云われん」
山崎合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
赤児はお光と名づけ、もう乳(ち)ばなれするころだったゆえ、乳母の心配もいらず、自分の手一つで育てて四つになった夏、ちょうど江戸の黒船さわぎのなかで登勢は千代を生んだ。
蛍 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
お力(りき)と呼ばれたるは中肉の背恰好(せかっこう)すらりつとして洗ひ髪の大嶋田(おおしまだ)に新わらのさわやかさ、頸元(えりもと)ばかりの白粉も栄(は)なく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳(ち)のあたりまで胸くつろげて
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
成程、新聞記者社会には先づ類の無い風采で、極く短く刈り込んだ頭と、真黒に縮れて、乳(ち)の辺(あたり)まで延びた頬と顋(あご)の髭が、皮肉家に見せたら、顔が逆さになつて居るといふかも知れぬ。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
海づらは乳(ち)の如き白色に見え、熔巖石を敷きたる街路より薔薇紅(ばらいろ)にかゞやける地平線のあたりまで、いと廣やかに晴れ渡り、波打際は藍色にきらめけり。かゝる色彩の配合は羅馬の無きところなり。
我よりも母は忘れじ旦暮(あけくれ)に乳(ち)にとりつきしをさな心を
礼厳法師歌集 (新字旧仮名) / 与謝野礼厳(著)
春短し何に不滅の命ぞと力ある乳(ち)を手に探らせぬ
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
乳(ち)のしたたりに媚ぶる如
『二十五絃』を読む (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
帷子(かたびら)に花の乳房(ちぶさ)やお乳(ち)の人(ひと)
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
乳(ち)のしたたりに媚ぶる如
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
鮮(あざら)けき乳(ち)を灑(そゝ)ぐ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
現(げん)、天皇後醍醐のお乳(ち)のひとの父であり、天皇の御信任はもちろんのこと、いわゆる“重臣の三房(ぼう)”(北畠親房(きたばたけちかふさ)、万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)、吉田定房)
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と主税は澄まして言い懸けたが、常(ただ)ならぬ夫人の目の色に口を噤(つぐ)んだ。菅子は息急(いきぜわ)しい胸を圧(おさ)えるのか、乳(ち)の上へ手を置いて
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
乳(ち)のみ児のおりにおわかれなされましたきりその後(ご)の安否をおきゝにならないのでござりますから、口に出しては仰っしゃりませんでも、雨につけ風につけ
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「——和(わ)あちゃんになにかお土産(みや)を持ってね、幸坊はもう和あちゃんのことを忘れたでちょ、忘れちゃだめよ、和あちゃんは幸坊のたった一人の乳(ち)兄弟なのよ」
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
頸(ゑり)もと計の白粉も榮えなく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳(ち)のあたりまで胸くつろげて、烟草すぱ/\長烟管に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その人は齢(よはひ)三十六七と見えて、形癯(かたちや)せたりとにはあらねど、寒樹の夕空に倚(よ)りて孤なる風情(ふぜい)、独(ひと)り負ふ気無(げな)く麗(うるはし)くも富める髭髯(ひげ)は、下には乳(ち)の辺(あたり)まで毿々(さんさん)と垂れて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
彼は優(すぐ)れて美なり。乳(ち)の如き色の顔は燈火に映じて微紅(うすくれなゐ)を潮(さ)したり。手足の繊(かぼそ)く裊(たをやか)なるは、貧家の女(をみな)に似ず。老媼の室(へや)を出でし跡にて、少女は少し訛(なま)りたる言葉にて云ふ。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
のちのちあの大きな二幅(はば)三幅の竪旗(たてはた)となり、その布の上に天下太平(てんかたいへい)だの、国土安全(こくどあんぜん)だのの文字を書くことになってから、それがよく読めるように、片がわに乳(ち)をつけ綱をとおし
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ところで、あるとき一人の浪人が、その花屋のお爺さんに一口(ひとふり)の刀と、まだ乳(ち)ばなれのしない女の子を預けてどこかへ行ってしまいました、この女の子が、あのお若さんなのです。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ひもじきかさらば食(は)めよと、一つ掌(て)に牛の乳(ち)盛れば、子鴉はみぎりより来て、犬の子は左より来て、嘴(はし)と口つつき合せて、啄(つつ)き嘗め、啄き嘗めつす。また、そねみ、惜み、にくまず。
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
唖のお政は私より二歳(ふたつ)年長(としうへ)、三番目一人を除いては皆女で、末ツ児は猶(まだ)乳(ち)を飲んでゐた。乳飲児を抱へて、大きい乳房を二つとも披(はだ)けて、叔母が居睡(ゐねむり)してる態を、私はよく見たものである。
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
向うづけに屋根裏高き磔柱(はりつけばしら)に縛(いまし)められて、乳(ち)の下発(ひら)きて衆(ひと)の前に、槍をもて貫かるるを。これに甘んずる者ありとせむか、その婦人(おんな)いかなるべき。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わしは、あの君様を、お乳(ち)の頃からお抱き申し上げ、わが子のお前たちよりも多く、この手に抱いて、お育てして来た。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頸(ゑり)もと計(ばかり)の白粉(おしろい)も榮(は)えなく見(み)ゆる天然(てんねん)の色白(いろじろ)をこれみよがしに乳(ち)のあたりまで胸(むね)くつろげて、烟草(たばこ)すぱ/\長烟管(ながぎせる)に立膝(たてひざ)の無作法(ぶさはう)さも咎(とが)める人(ひい)のなきこそよけれ
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ここは四方(よも)の壁に造付けたる白石の棚に、代々(よよ)の君が美術に志ありてあつめたまひぬる国々のおほ花瓶、かぞふる指いとなきまで並べたるが、乳(ち)の如く白き、琉璃(るり)の如く碧(あお)き
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
あの馬方三吉(うまかたさんきち)の芝居に出て来るお乳(ち)の人(ひと)の重(しげ)の井(い)、———立派な袿襠(うちかけ)を着て、大名の姫君(ひめぎみ)に仕えている花やかな貴婦人、———自分の夢に見る母はあの三吉の母のような人であり
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ひもじきかさらば食(を)せよと、一つ掌(て)に牛の乳(ち)盛れば、子鴉はみぎりより来て、犬の子は左よりきて、嘴(はし)と口つつき合せて、啄(つつ)き嘗(な)め、啄き嘗めつす。また、そねみ、惜み、にくまず。
観相の秋 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
母上みまかりたまいてよりこのかた三年(みとせ)を経つ。乳(ち)の味は忘れざりしかど、いまふくめられたるはそれには似ざりき。
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)