けぶり)” の例文
「むずかしいなあ。これで好いか」末造はけぶりを吹きつつ縁側に背中を向けた。そして心中になんと云うあどけない奴だろうと思った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そらを仰ぎ、地をたたきて哭悲なきかなしみ、九三ともにもと物狂はしきを、さまざまといひなぐさめて、かくてはとてつひ九四曠野あらのけぶりとなしはてぬ。
横ぎりて六時發横川行の滊車に乘らんと急ぎしに冗口むだぐちといふ魔がさして停車塲ステーシヨンへ着く此時おそく彼時かのときはやく滊笛一聲上野の森にけぶり
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
応接室へ帰つてから、一同雑談で持切つて、室内に籠る煙草たばこけぶりは丁度白いうづのやう。茶でも出すと見えて、小使は出たり入つたりして居た。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
六千四百とん巨船きよせんもすでになかばかたむき、二本にほん煙筒えんとうから眞黒まつくろ吐出はきだけぶりは、あたか斷末魔だんまつま苦悶くもんうつたへてるかのやうである。
やすんじけりさるにてもいぶかしきは松澤夫婦まつざはふうふうへにこそ芳之助よしのすけ在世ざいせときだに引窓ひきまどけぶりたえ/″\なりしをいまはたいかに其日そのひ
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
倒れながらきっとそのおもてを上げると、翼で群蝶を掻乱かきみだして、白いけぶりの立つ中で、鷲はさっと舞い上るのを、血走った目にみつめながら少年はと立った。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
人これをえずいたづらにその生命いのちを終らば地上に殘すおのが記念かたみはたゞそらけぶり水の泡抹うたかたのみ 四九—五一
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
四季絶間なき日暮里にっぽりの火の光りもあれが人を焼くけぶりかとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細道に落ちかかるやうな三味の音を仰いで聞けば、仲之町なかのちょう芸者がえたる腕に
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなはち溪聲を樹間に求め、樹にすがり、石にりてわづかにこれを窺ふ。水は國道の絶崖にかたよりて、其處に劒の如く聳立しやうりつせる大岩たいがんあたり、その飛沫の飛散する霧のごとくけぶりの如し。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
たちまちその「ましん」も生徒もけぶりの如く痕迹あとかたもなく消えせて、ふとまた木目が眼に入った。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
けぶりひくのきつて、ぐる/\と空間くうかん廻轉くわいてんするやうにえつゝせはしいゆきためみちさまたげられたやうにひく彷徨さまようてく。おつぎは外側そとがはいた手桶てをけつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
或るときは共に舟にさをさして青海原を渡り、烟立つヱズヰオの山に漕ぎ寄せつるに、山はまたく水晶より成れりと覺しく、巖の底なる洪爐こうろ中に、けぶり渦卷うづまき火燃え上るさまたなぞこに指すが如くなり。
大分騒々敷そうぞうし容子ようすだがけぶりでも見えるかと云うので、生徒は面白がって梯子はしごのぼって屋根の上から見物する。何でも昼からくれ過ぎまでの戦争でしたが、此方こちらに関係がなければ怖い事もない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
夢路を辿る心地して、瀧口は夜すがら馳せてやうやく着ける和歌の浦。見渡せば海原うなばらとほけぶりめて、月影ならで物もなく、濱千鳥聲絶えて、浦吹く風に音澄める磯馳松そなれまつ、波の響のみいと冴えたり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
くま青きの光けぶりとともにスツポンの深き恐怖おそれよりせりあがる。……
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
紅流にけぶりたち
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
ただ一人暇を取らずにいた女中が驚きめて、けぶりくりやむるを見、引窓ひきまどを開きつつ人を呼んだ。浴室は庖厨ほうちゅうの外に接していたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
仏前の燈明は線香のけぶりに交る夜の空気を照らして、何となく部屋の内も混雑して居るやうに見える。父の遺骸なきがらを納めたといふは、く粗末な棺。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
蚊いぶし火鉢に火を取分けて三尺の椽に持出もちいだし、拾ひ集めの杉の葉をかぶせてふうふうと吹立ふきたつれば、ふすふすとけぶりたちのぼりて軒場のきばにのがれる蚊の声すさまじし
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
見上みあぐる山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下みおろせば岩をつゝみて山吹咲こぼれたり躑躅つゝぢ石楠花しやくなげ其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と碎け木曾山は雲を吐きけぶり
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
私は時々縁側に出て見たが、崖下には人一人いちにんも居ないように寂として居て、それかと思うけぶりも見えず、近くの植込のあいだから、積った雪の滑り落ちる響が、淋し気に聞えるばかり。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
大口いて馭者は心快こころよげに笑えり。白糸は再び煙管をりて、のどかにけぶりを吹きつつ
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
はゝなるものはあをけぶり滿みちかまどまへつてはうづくまりつゝ、燈火ともしびける餘裕よゆうもなくをぶつ/\とつてる。うしていそがしさになら雜木ざふきえだあざむいた手段しゆだん發見はつけんされないのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ようやくの事で空しきから菩提所ぼだいしょへ送りて荼毘だび一片のけぶりと立上らせてしまう。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
老婆は話し了りて、燃えぬ薪のけぶりむせびて、なみだ押拭おしのごひぬ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
紅流にけぶりたち
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
ところ/″\に高くあらはれた寺院と樹木の梢まで——すべて旧めかしい町の光景ありさまが香のけぶりの中に包まれて見える。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
末造は折々烟草を呑んでけぶりを吹きながら、矢張やはり女房の顔を暗示するようにじっと見て、こんな事を言っている。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
やとおもへばがな一日いちにちごろ/\としてけぶりのやうにくらしてまする、貴孃あなた相變あいかはらずのうつくしさ、奧樣おくさまにおりなされたといたときからそれでも一おがこと出來できるか
十三夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
一団のけぶりが急にうづまいて出るのを、つかんで投げんと欲するごとく、婆さんは手をった。風があたって、ぱっとする下火の影に、その髪は白く、顔は赤い。黄昏たそがれの色は一面に裏山をめて庭にかかれり。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
公債の利の細いけぶりを立てている。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
あくる年の一月、謝肉祭の頃なりき、家財衣類なども売尽して、日々のけぶりも立てかぬるやうになりしかば、貧しき子供の群に入りてわれも菫花すみれ売ることを覚えつ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
厭やと思へば日がな一日ごろごろとしてけぶりのやうに暮してゐまする、貴嬢あなたは相変らずの美くしさ、奥様にお成りなされたと聞いた時からそれでも一度は拝む事が出来るか
十三夜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「何か又、お前が誤解したんだろう——雲をけぶりと間違えたんじゃないか」
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
杉葉の瓦鉢かわらばちの底に赤く残って、けぶりも立たず燃え尽しぬ。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
小林こばやしぬしは明日わが隊とともにムッチェンのかたへ立ちたまふべければ、君たちの中にて一人塔のいただき案内あないし、粉ひき車のあなたに、滊車きしゃけぶり見ゆるところをも見せ玉はずや
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
末造は床の間の柱に寄り掛かって、烟草のけぶりを輪に吹きつつ、空想にふけった。い娘だと思って見て通った頃のお玉は、なんと云ってもまだ子供であった。どんな女になっただろう。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
先づ二人がおもてつはたばこのけぶりにて、にわかに入りたる目には、なかなる人をも見わきがたし。日は暮れたれど暑き頃なるに、窓ことごとくあけはなちはせで、かかる烟の中に居るも、ならいとなりたるなるべし。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)