はい)” の例文
旧字:
食卓に向い合って、金博士が、王水険老師おうすいけんろうし恭々うやうやしくはいしながらいった。それは老師にとって、いささか皮肉にも響く言葉であった。
金蓮はそのしなやかな両の腕を柳の枝のように交叉こうさして、初見しょけんはいをしながら、濃い睫毛まつげかげでチラと武松の全姿を見るふうだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幾度いくたび幾通いくつう御文おんふみを拝見だにせぬ我れ、いかばかり憎くしとおぼしめすらん。はいさばこのむね寸断になりて、常の決心の消えうせん覚束おぼつかなさ。
軒もる月 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
酉陽雑俎いうやうざつそに、狐髑髏どくろいたゞ北斗ほくとはいし尾をうちて火を出すといへり。かの国はともあれ我がまさしく見しはしからず、そはしもにいふべし。
教訓を、罐詰かんづめにしないでなまのままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、はいをしてから、うやうやしく立去った。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
物語ものがたりき、此像このざうはいするにそゞろに落涙らくるゐせり。(りやく)かくてたる小堂せうだう雨風あめかぜをだにふせぎかねて、彩色さいしき云々うん/\
甲冑堂 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
奥山を廻って観音堂へ出、階段をのぼってはいを済まし、戻ろうとしたその時であった、そこに立っていた虚無僧こむそうの話が平八の好奇心を引き付けた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おそおおくもわたくしとして、天照大御神様あまてらすおおみかみさままた皇孫命様こうそんのみことさまとうと御神姿おすがたはいたてまつったのはじつにそのとき最初さいしょでございました。
肩を叩かれて私が目を見上げますと左手に大きい鳥居とりゐがあるのでした。母は車上で手を合せてはいをして居ました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
もとより此度このたび御大喪ごたいさうは、是迄これまでにない事でございますから、うかしてはいしたいとぞんじてりましたところへ、円生ゑんしやう円遊ゑんいうたのまれましたことゆゑはらうちでは其実そのじつ僥倖さいはひ
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
こうなっては凡夫も同じではないか? あの実方さねかたの中将は、この神の前を通られる時、下馬げばはいもされなかったばかりに、とうとう蹴殺けころされておしまいなすった。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
之れ予等一行にしたがふて利根水源すゐげんたる世人未知の文珠もんじゆ菩薩をはいせんとする為めなり、各蕎麦粉三升をふ、之をへば曰く即ち食糧しよくれうにして、毎日三合づつ之をに入れてみ以てうへしのぐを得
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい京伝の別号をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
握りつゝはいしけり。
悪夢 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
左少将さしょうしょうさまにはいつもながら、ますますご健勝けんしょうのていにはいせられまして、かげながら主人しゅじん家康いえやす祝着しゅうちゃくにぞんじあげておりまする」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はれわたりたればいざや御来迎らいかうをがみたまへと案内がいふにまかせ、拝所をがむところにいたり日ののぼるはいし、したくとゝのへて山をくだれり。
その本来ほんらいのお姿すがたしろひかったたまかたちでございますが、ほど真剣しんけん気持きもちふか統一状態とういつじょうたいはいらなければ、わたくしどもにもそのお姿すがたはいすることはできませぬ。
と生きたる主人に物云う如くうや/\しくはいを遂げましてから、新幡随院の玄関に掛りまして
と、油学士は、急につつしみの色を現して、醤主席をはいしたのであった。
衆人しゅうじんめぐり見る中へ、其の姿をあの島の柳の上へ高くあらわし、大空に向つてはいをされい。祭文さいもんにも歌にも及ばぬ。天竜てんりゅう、雲をり、らいを放ち、雨をみなぎらすは、明午みょうごを過ぎてさる上刻じょうこく分毫ふんごうも相違ない。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
はれわたりたればいざや御来迎らいかうをがみたまへと案内がいふにまかせ、拝所をがむところにいたり日ののぼるはいし、したくとゝのへて山をくだれり。
「そのおり、よそながら一学いちがくは、おすがたをはいしておりましたが、わずか一年のうちに、見ちがえるばかりなご成長せいちょう……」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みぎうたうたおわるとともに、いつしかわたくしからだくる波間なみまおどってりました、そのときちらとはいしたわがきみのはっとおどろかれた御面影おんおもかげ——それが現世げんせでの見納みおさめでございました。
軒下のきした縄張なはばりがいたしてございますうち拝観人はいくわんにんみなたつはいしますので、京都きやうと東京とうきやうちがつて人気にんきは誠におだやかでございまして、巡査じゆんさのいふ事をく守り、中々なか/\なはの外へは出ません。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
としつて、ふたゝ双六すごろく温泉をんせんあそんだとき老爺ぢいなかつた。が、城址しろあとほりにはふねがあつて、さぎではない、老爺ぢい姿すがたが、木彫きぼりつてつのをて、かれ蘆間あしまつかえて、やがて天守てんしゆはいした。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
桟敷さじきの公卿百官から武臣たちも、すべて天皇、准后、東宮のほうへ起立のはいをみせていた。還御かんぎょの太鼓のうちにである。
だんの上にはせきをまうけて神酒みきをそなへ、此町の長たるもの礼服をつけてはいをなし、所繁昌の幸福をいのる。
龍太郎や忍剣も、居士のすがたをはいさぬこと久しいので、先の松明たいまつをふりかざし、竹童をあんないにして、雷神の滝の断崖だんがいをよじのぼっていくと、やがて竹童。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だんの上にはせきをまうけて神酒みきをそなへ、此町の長たるもの礼服をつけてはいをなし、所繁昌の幸福をいのる。
さい閣下との対面は、例の白虎節堂びゃっこせつどうだった。ただし、関勝かんしょうひとりだけの謁見えっけんで、きざはしの下に、はいる。——蔡京がつらつら見るに、なるほどすばらしい偉丈夫だ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其いさめをいれ玉ひよろこばせ給ひて御衣を賜ひたるを、此配所はいしよにもちくだりて毎日御衣にのこりたる余香よかうはいすと、 みかどをしたひ御恩を忘れ玉はざる御心のまことを作り玉ひたるなり。
「この地は、かつて関将軍が治め給うた領地でした。将軍の生けるうちすら、わたくしどもはご恩徳をたたえて、家ごとに朝夕ちょうせきはいしておりました。いわんや今、神明と帰し給うをや」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
舎弟の直義も、一トすじの矢を壇にささげてはいをおこない、以下一族の吉良、石堂、一色、仁木、細川、今川、荒川、こう、上杉などみな順次に奉納矢を上げたので、祭壇は、矢の塚になった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義貞は書面を巻いて、ちょっと、はいを見せながら、船田ノ入道へ手渡した。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏は、妙恵の遺書へ、ていねいなはいを添えて、頼尚の手へ返した。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼も若水の第一をささげて、まず東方の人に、はいをしていた。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、高時のいる桟敷さじきのほうへはいをした。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今日よりは」と、はいった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、はいをしない者はない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はいをほどこすと
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)