宛然さながら)” の例文
乱れ打つ急調なリズムは、宛然さながらつ白骨の音で、その間を縫う怪奇な旋律は、妖鬼の笑いと、鬼火の閃めきでなくて何んでしょう?
死の舞踏 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
宛然さながら、ヒマラヤ山あたりの深い深い萬仭の谷の底で、いはほと共に年をつた猿共が、千年に一度る芝居でも行つて見て居る樣な心地。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
かくて第五のことばの中のエムメにいたり、彼等かく並べるまゝ止まりたれば、かしこにては木星宛然さながら金にて飾れる銀と見えたり 九四—九六
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
一向ひたぶるしんを労し、思を費して、日夜これをのぶるにいとまあらぬ貫一は、肉痩にくやせ、骨立ち、色疲れて、宛然さながら死水しすいなどのやうに沈鬱しをはんぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
飴緑色の半透明な茎を、根を埋めた水苔のもくもくした際から見あげると、宛然さながらそれ自身が南洋の繁茂した大樹林のように感じられた。
小景:ふるき市街の回想 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
(ひい。)とをんなこゑさぎ舞上まひあがりました。つばさかぜに、はなのさら/\とみだるゝのが、をんな手足てあしうねらして、もがくに宛然さながらである。
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
満場立錐りっすいの余地もない大入りで、色々な帽子やハンカチが場内一面にうごめいている有様は宛然さながらあぶらむしの大群のように見える。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
フト前日の新聞を取り上げて見ると、この一隊の演習行軍の記事が出てゐて、「宛然さながら一幅の繪卷物の如し」と書いてあつた。
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
只だ政府此の道に出でず、彼等に対する宛然さながら非人乞食を遇するが如くす。是れ人民をして益〻怨恨激発せしむる所以ゆゑんなり。
鉱毒飛沫 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
悲哀の念急に迫りて、同志の手前これまでこらえに堪え来りたる望郷の涙は、宛然さながらせきを破りたらんが如く、われながらしばしは顔も得上げざりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
追々に飲むに従って熱くなってゆる事獅子に同じ。飲んで飲みまくった揚句あげくは、ついに泥中にころげ廻ってその穢を知らず、宛然さながら猪の所作をする。
ゴウというかとすれば、スウと、或は高く或は低く、単調ながら拍子を取って、宛然さながら大鋸おおのこぎりで大丸太を挽割ひきわるような音だ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
これらの歌に対するのは宛然さながら後期印象派の展覧会の何かを見てゐるやうである。さう云へば人物画もない訳ではない。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ロレ まゝゝ、滅相めっそうなことをすまい。これ、をとこではないか? 姿すがたればをとこぢゃが、そのなみだ宛然さながら女子をなごぢゃ。狂氣きちがひめいたその振舞ふるまひ理性りせいのない獸類同然けだものどうぜん
宛然さながら生けるが如くならしむるものはけだしそのモデルと時代を同じくし感情をともにする作家でなければならない。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これから九人の日本人がおなじ車に陣取ってひょうびょうたる西比利亜シベリアを疾走するのだから、そのア・ラ・ミカドなこと宛然さながら移動日本倶楽部の観がある。
踊る地平線:01 踊る地平線 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
洗ふ水音みづおと滔々たう/\として其の夜はことに一てんにはかに掻曇かきくも宛然さながらすみながすに似てつぶての如きあめはばら/\と降來る折柄をりから三更さんかう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そして単に形容たるのみならず、おそらくは渺茫びょうぼうたる大洋わだつみの中に幾日かを送る航海者に取りては、ヨブ記のこの語が宛然さながらに事実なるが如く感ぜらるるであろう。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
そして片手の指頭を屍體の腹部に置いたまゝ、宛然さながらに化石でもしたやうに突ツ立ツてゐた。くして幾分間。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
に見渡す限り磊々らいらい塁々たる石塊の山野のみで、聞ゆるものは鳥の鳴くすらなく満目ただ荒涼、宛然さながら話しに聞いている黄泉よみの国を目のあたり見る心地である。
月世界跋渉記 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
厚塗あつぬりの立烏帽子に平塵ひらぢりの細鞘なるをき、たもとゆたかに舞ひ出でたる有樣、宛然さながら一幅の畫圖とも見るべかりけり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
此三山は遠望した所にると、三宝山の北の斜面と木賊山の東南の斜面とが割合に長く、中央の甲武信が小さいので、宛然さながら一座の大山が三のいただきを駢峙した形となる。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
寒い冬空を、防寒具の用意すらなかった兄の壮太郎は、古い蝙蝠傘こうもりがさを一本もって、宛然さながら兇状持きょうじょうもちか何ぞのような身すぼらしい風をして、そこから汽車に乗っていった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ミラノに來てより一月の後、我は始て此寺の屋上やねに登りぬ。日は石面を射て白光身をめぐり、ここの塔かしこのがんを見めぐらせば、宛然さながら立ちて一の大逵ひろばに在るごとし。
宛然さながら難船でもあった現場のような観を呈することがあるものだが、この時は、こういう現象さえもなく、ワラタ号の行方は何うにも説明の附けようがないことになった。
沈黙の水平線 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
事実その物の持っている美を彼は宛然さながらに細叙する……芸術家としてのホートン氏と探偵としてのホートン氏との二個の性格に共通するものは『霊妙なる直感』それである。
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山査子さんざしの枝が揺れて、ざわざわと葉摺はずれの音、それが宛然さながらひそめきたって物を云っているよう。
が、お杉のいかれる顔は宛然さながらの鬼女であった。加之しかも高い所から再三転げ落ちて、つるぎの如き岩石にうたつんざかれたので、古い鳥籠をこわしたように、身体中の骨は滅裂ばらばらになっていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
貧民妻子を引連れ来りて之を争ひ食へるさまは、宛然さながらありの集まる如く、蠅の群がるに異ならで哀れにも浅間あさましかり、されば一町かくの如き挙動に及ぶを伝へ聞けば隣町忽ちこれにならひ
宛然さながら老婆の繰言であるが、燈火の消えんとして一時明りの強くなる類で、彼の未決八年冤枉を叫び通した精力が、今や正に尽きんとする時に当って、一時パッと力づいたのであろう。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
と見れば月は朦朧たる影を以て、宛然さながら魔神のごとき顔して、今にも地球に衝突を試むべく、刻々相近接して来る、その勢の猛烈なる、その表面の猛烈なる、とても再びとは見られぬ図だ。
太陽系統の滅亡 (新字新仮名) / 木村小舟(著)
特に眼瞼まぶたのあたりは滴るやうな美しさで、その中に輝いてゐる怜悧さうなやゝけんのある双の瞳は宛然さながら珠玉たまのやうだ。暑くなつたのだらう、切りに額の汗を拭いて、そしてびんをかき上ぐる。
姉妹 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
かるが故に、その詩、幽妙をき、人をして宛然さながら自から創作する如き享楽無からしむ。それ物象を明示するは詩興四分の三を没却するものなり。読詩の妙は漸々遅々たる推度の裡に存す。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
山国の秋ほどすがすがしく澄みわたることはなかろう。山々峰々が碧瑠璃の虚空へ宛然さながら定規など置いたように劃然と際立って聳えて見える。その一つ一つを選択するのである。すぐに決定する。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
宛然さながら肋骨とうなずかれ候、八ヶ岳も、少し郊外に出づれば、頭を現わすべく、茅岳、金岳より、近き山々、皆冬枯の薄紫にて、淡き三色版そのまま、御阪山脈の方向は富士山なくんば見るに足らず
雪の白峰 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
強いて附会こじつければ、癩者かたいの膝頭とでも言うべき体裁だが、銅の色してつらつらに光りかがやく団々だんだんたる肉塊の表に、筋と血の管のあやがほどよく寄集まり、眼鼻をそなえた人のつら宛然さながらに見せている。
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
宛然さながら金銀、水晶、瑪瑙めのうくだいたようであった。太吉は踏切番の小舎こやの前まで来ると、この汽車道にいて行けば早く高田へ着くと考えた。小舎は野中にあった。四辺あたりの林や、森は静かに眠っていた。
越後の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
最初はじめの夜みたりし女菩薩枕のもとにありて介抱し給ふと覺しく、朧氣ながら美くしき御聲になぐさめられ、柔らかき御手に抱かるゝ我れは宛然さながら天上界に生れたらん如く、覺めなば果敢なや花間の蝴蝶
暗夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
植民政策に就いて何一つ知りもせぬ文士のくせに、出しゃばって、無智な土人に安っぽい同情を寄せるR・L・S・氏は、宛然さながらドン・キホーテの観があるそうな。之は、アピアの一英人の言葉である。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
宛然さながら霧に包まれたような観を呈しているのだった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
宛然さながら襟下えりもとから冷水ひやみづびせられたやうにかんじた。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
用いてさまではなあるものとも覚えぬものから句ごとに文ごとにうたゝ活動するおもむきありて宛然さながらまのあたり萩原某はぎわらそれおもて合わするが如く阿露おつゆ乙女おとめ逢見あいみる心地す相川あいかわそれの粗忽そゝっかしき義僕ぎぼく孝助こうすけまめやかなる読来よみきたれば我知われしらずあるいは笑い或は感じてほと/\まことの事とも想われ仮作つくりものとは思わずかし是は
怪談牡丹灯籠:01 序 (新字新仮名) / 坪内逍遥(著)
宛然さながら、ヒマラヤさんあたりの深い深い万仭の谷の底で、いはほと共に年をつた猿共が、千年に一度る芝居でも行つて見て居る様な心地。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
干潮かんてうときるもあはれで、宛然さながら洪水でみづのあとのごとく、何時いつてた世帶道具しよたいだうぐやら、缺擂鉢かけすりばちくろしづむで、おどろのやうな水草みづくさなみ隨意まに/\なびいてる。
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、されどわが願ひと思ひとは宛然さながら一樣に動く輪の如く、はや愛に𢌞めぐらさる 一四二—一四四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
貫一は宛然さながら我が宮の情急じようきゆうに、誠壮まことさかんに、りんたるその一念のことばを、かの当時に聴くらん想して、ひとり自ら胸中の躍々として痛快にへざる者あるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
きっちりと三絃にのり、きまりどころで引締め、のびのびと約束の順を追うて、宛然さながら自ら愉んでいるとさえ見える。
照すこと宛然さながら照魔鏡せうまきやうの如くなる實に稀代きだいの人なりしが此頃音羽七丁目の浪人大藤武左衞門父子奉行所へ駈込かけこんで娘お光こと云々しか/″\個樣かやうの譯ありて家主庄兵衞を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
お勢も今日は取分け気の晴れた面相かおつきで、宛然さながらかごを出た小鳥の如くに、言葉は勿論歩風あるきぶり身体からだのこなしにまで何処ともなく活々いきいきとしたところが有ッてさえが見える。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
かくて妾は宛然さながら甘酒に酔いたる如くに興奮し、結ばれがちの精神も引き立ちて、互いに尊敬の念も起り、時には氤氳いんうんたる口気こうきに接しておのずから野鄙やひの情も
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)