大袈裟おほげさ)” の例文
前代未聞の事件で、騷ぎが大袈裟おほげさだつた爲か、遠い親類も近い他人も一ぺんに突つ掛け、店から奧へまこと押すな押すなの混雜です。
十字軍とは余り大袈裟おほげさにあらずや、凡神的とは多分、禅道を唱へらるゝ天知翁をるしめるつもりにて、唯心的とは僕をいぢめる積ならむ。
人生の意義 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
けると、多勢おほぜい通學生つうがくせいをつかまへて、山田やまだその吹聽ふいちやうといつたらない。ぬえいけ行水ぎやうずゐ使つかつたほどに、こと大袈裟おほげさ立到たちいたる。
怪談女の輪 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ト何も大袈裟おほげさに云ふ必要もないが、其歌を自分の教へてやつた生徒は其夜僅か三人(名前も明らかに記憶して居る)に過ぎなかつたが
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、その仕懸しかけの空前に大袈裟おほげさだけ
点頭録 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
手先てさき火傷やけど横頬よこほゝのやうな疼痛いたみ瘡痍きずもなかつたが醫者いしや其處そこにもざつと繃帶ほうたいをした。與吉よきちばかりして大袈裟おほげさ姿すがたつてかへつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
さく子も弟の悪いことは十分知つてゐた。大袈裟おほげさに津島の恩を弟に着せたりすると、それが津島にはくすぐつたくもあつた。
風呂桶 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
そこで自分じぶんは『對話たいわ』といふことについかんがはじめた、大袈裟おほげさへば『對話哲學たいわてつがくたのを『お喋舌しやべり哲學てつがく』について。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
子供は気を呑まれて一寸ちよつと静かになつたが、直ぐ低いすゝり泣きから出直して、前にも増した大袈裟おほげさな泣き声になつた。
An Incident (新字旧仮名) / 有島武郎(著)
そく仕方しあげたに教育せられ薫陶くんとうせられた中から良妻賢母れうさいけんぼ大袈裟おほげさだがなみ一人前の日本にほん婦人が出て来るわけなら芥箱ごみばこの玉子のからもオヤ/\とりくわさねばならない
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
態度とかなんとか云ふと、はなはだ大袈裟おほげさに聞えるが、何もそんな大したものを持ち合せてゐる次第では決してない。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
かすみ駈出かけいだすに平兵衞も是はと驚きにげんとなしたるうしろより大袈裟おほげさに切付ればあつと叫びて倒るゝを起しも立ずとゞめの一刀を刺貫さしつらぬ懷中くわいちうへ手を差入れ彼穀代金百兩を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それから私達の年輩になると、若い人達が平凡な恋や、生活や、感じや、さういふものを大袈裟おほげさに書いてゐるものは見るに堪へない。馬鹿々々しくなつて来る。
解脱非解脱 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
彼は階段を上つたり下りたりして歩き𢌞つてゐたときに、こんな短い時間にこれ程の大袈裟おほげさな模樣變へを仕了るのは一通りの疲れや辛さではなかつたらうと云つた。
わざと大袈裟おほげさあたまをかきながら、をつとまりつた。そして、にはの一すみ呉竹くれたけ根元ねもとにころがつてゐるそれをひろげようとした刹那せつな、一ぴきはち翅音はおとにはつとをすくめた。
画家とセリセリス (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
然し今日こんにちの東京になつては下水を呼んで川となすことすら既に滑稽なほど大袈裟おほげさである。かくの如く其の名と其の実との相伴あひともなはざる事は独り下水の流れのみには留まらない。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
よく新聞には左様さういふ間違ひが出て来ますよ。まあ御覧の通り、斯うして旅行が出来る位ですから安心して下さい。誰がまた其様そん大袈裟おほげさなことを書いたか——はゝゝゝゝ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
記に「将門撃つて三千人を殺す」とあるのは大袈裟おほげさ過ぎるやうだが、敵将維幾を生捕いけどりにし、官の印鑰いんやくを奪ひ、財宝を多く奪ひ、営舎をき、凱歌がいかげて、二十九日に豊田郡の鎌輪かまわ
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
なにを考へてゐたかといふと、はなは漠然バウとしたことで、彼自身じしんにも具體的ぐたいてき説明せつめいすることは出來できない。難然けれども考へてゐることは眞面目まじめだ、すこ大袈裟おほげさツたら、彼の運命うんめい消長せうちやうくわんすることである。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
「チエツ。チエツ」その少年は大袈裟おほげさ口惜くやしがつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
可厭いや大袈裟おほげさあらはしたぢやねえか==陰陽界いんやうかい==なんのつて。これぢや遊廓くるわ大門おほもんに==色慾界しきよくかい==とかゝざあなるめえ。」
みつ柏 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「へエ、あの番頭が、そんな事を申したのでせう。身代と言へば大袈裟おほげさですが、私が道樂で費ひ殘した身上で、いくらもありやしません」
其意味を面倒に述べ立てるのは大袈裟おほげさだからしますが、私は自分で小説を書くとそのあとが心持ちが惡い。それで呑氣のんき支那しなの詩などを讀んで埋め合せを付けてゐます。
『伝説の時代』序 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
この市の唯一のダダイストである塑像家そざうかM—氏の経営(さう大袈裟おほげさなものではないだらうが)
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
友だち いやに大袈裟おほげさだぜ——かう静になつて見ると、何だか桜もさむいやうだ。
世之助の話 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「さうか、そんぢやだれたれたえ、まあださかりだからそんでも何處どこへかこしらえたかえ」輕微けいび瘡痍きずあまりに大袈裟おほげさつゝんだ勘次かんじ容子ようすこゝろから冷笑れいせうすることをきんじなかつた醫者いしやはかう揶揄からかひながら口髭くちひげ
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
私は万年筆を置いて大袈裟おほげさ吃驚びつくりして見せた。
南京六月祭 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
ひとたてが、ぞろ/\とくと、大袈裟おほげさのやうだが待合室まちあひしつには、あとにわたし一人ひとりつた。それにしてもじつとしてはられない。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
大袈裟おほげさに斬られて、庭先に轉げ落ちたのは丹之丞には遠い從弟で、綾野には直ぐの從兄あにに當る、針目正三郎のあけに染んだ姿だつたのです。
かう云ひ切つてしまふと、折角せつかくの御尋ねに対する御返事にはならないから、さう大袈裟おほげさな問題として取扱はないで、僕の書いた小説のうちで、一寸ちよつと風変りなものを二つ抜き出して見ることにする。
風変りな作品に就いて (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そればかりでなく奧樣の御歎きは、大袈裟おほげさではありましたが、決してお人柄相應のものではなく、多分にお芝居があつたやうに見受けました
それならば爲方しかたがない。が、怪猫ばけねこ大袈裟おほげさだ。五月闇さつきやみに、ねこ屋根やねをつたはらないとはたれよう。……まどのぞかないとはかぎらない。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
俵屋におほかぶさつた暗い雲は、一夜にして取拂はれましたが、その代償だいしやう大袈裟おほげさなのに、誰も彼もがきもをつぶしたことです。
銭形平次捕物控:311 鬼女 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
どやどやどや、がら/\と……大袈裟おほげさではない、廣小路ひろこうぢなんぞでは一時いつとき十四五臺じふしごだい取卷とりまいた。三橋みはし鴈鍋がんなべ達磨汁粉だるまじるこくさき眞黒まつくろあまる。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
決して少ない筈はなく、大袈裟おほげさに言へば、我々の踏んでゐる大地の下には、思ひも寄らぬ巨額の金銀貨が埋藏されてゐることもあり得るのです。
これは、大袈裟おほげさでない、たれつてる。られないほど、ひつきりなしに、けたゝましく鳴立なきたてたのである。
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ツイ三四間先には死骸が一つ、中年者の武家姿ですが、右手を柄頭つかがしらに掛けたまゝ、大袈裟おほげさに斬られて、縡切こときれてをります。
銭形平次捕物控:126 辻斬 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
「まあ、勿體もつたいないわねえ、私達わたしたちなんのおまへさん……」といひかけて、つく/″\みまもりながら、おしなはづツとつて、與吉よきちむかひ、襷懸たすきがけの綺麗きれいかひなを、兩方りやうはう大袈裟おほげさつてせた。
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
私の許しがなければ、一と足も外へは出られないやうに、座敷牢と申しては大袈裟おほげさですが、一と間に押し籠め、嚴重な見張りをつけたのでございます
くささとつては、昇降口しようかうぐち其方そつちはしから、洗面所せんめんじよたてにした、いま此方こなたはしまで、むツとはないてにほつてる。番町ばんちやうが、また大袈裟おほげさな、と第一だいいち近所きんじよわらふだらうが、いや、眞個まつたくだとおもつてください。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
三十五六の素晴しい大年増で、身扮みなりの派手なこと、顏の表情の大袈裟おほげさなこと、化粧の濃いことなど、年齡にも身分にも、場所柄にも不似合の感じです。
お六の驚きやうは大袈裟おほげさでした。眞珠太夫もさすがにサツと顏色を變へましたが、默つて俯向ひてしまひます。
道化だうけた樣子で取つて返したガラツ八は、間もなく椎茸髱——と言ふのは大袈裟おほげさですが、少なからず御守殿の匂ひのする、三十前後の女を案内して來ました。
丁度それは正月の十五日の左義長の宵、忠左衞門は大袈裟おほげさなどんど燒の跡始末を心配して、水を張つた手桶を持つて、庭へ出たときの出來事だつたのです。
その日、娘のお糸を護つて向島のれうの警戒は、物々しいと言はうか、大袈裟おほげさと言はうか全く話になりません。
主人——高木勇名の驚きは大袈裟おほげさでした。見る蔭もなくやつれ果てて、明日も知れぬ命と見えた大病人が、半身を起き直るやうに枕の上に乘り出したのです。
「曲者は外から入つたのでない證據はうんとあるよ。縁側の泥足の跡は大袈裟おほげさ過ぎたし、雨戸は心張りをかつてあると、あののみくらゐでは外から開かないよ」
座主の百太夫は大袈裟おほげさな道化た調子で人を笑はせますが、大した藝のある男ではありません。四十がらみの、少し肥つて來た身體が、藝の邪魔をしてゐるのでせう。
その大袈裟おほげさな表情に、好い加減胸を惡くして居ると、ガラツ八は後ろからソツと囁いてくれました。
「まア、大層なせりふねえ、——遠からん者は音にも聞け、と言ひたいけれど、實はそんな大袈裟おほげさなんぢやありませんよ、——兩國のしのをお忘れになつて、八五郎親分」