ざい)” の例文
一組は、六十くらいの白髪の老爺ろうやと、どこか垢抜あかぬけした五十くらいの老婆である。品のいい老夫婦である。このざいの小金持であろう。
美少女 (新字新仮名) / 太宰治(著)
いそがしい夏場だけ、高崎のざいから飯炊きの婆さんがよく働きに來てゐた。目が惡いので、いつも孫ぐらゐの小娘を連れてきてゐた。
ふるさとびと (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
我が越後にも化石渓あり、魚沼郡うをぬまこほり小出こいでざい羽川はかはといふたに水へかひこくさりたるをながししが一夜にして石にくわしたりと友人いうじん葵亭翁きていをうがかたられき。
老婢ばあやの話によると、宇都宮のざいにいる老人の甥の娘とかが今度むこを取るについて、わざわざ呼ばれて行ったということであった。
半七捕物帳:21 蝶合戦 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
白羽しらはの箭が立った若者には、勇んで出かける者もある。抽籤くじのがれた礼参りに、わざ/\こうざいの何宮さんまで出かける若者もある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
彼等は兼次の叔父が聟に行つて居る栃木のざいへ辿りついた。叔父は國元へ手紙を出した。返事は至極簡單で只捨てゝ置いてくれとあつた。
芋掘り (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「もう十八九だろう。ざいで小学校の代用教員をしていたんだよ。僕と並んでいる山口君やまぐちくんはあの人から習ったことがあるそうだ」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
九州の再燃さいねんにあったのだ。彼はすぐ、少なからぬ船と兵力をいて、仁木義長にさずけ、即日、ざい九州の味方の加勢にあとへ引っ返させた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さうでございます、上州じやうしう沼田ぬまたざいだとふことでございます」「何処村どこむらといふことはわかりませぬか」「どうもわかりませぬ」
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
梅子はう答へて、すぐ新聞をひざからおろすと、手を鳴らして、小間使こまづかひを呼んだ。代助は再びちゝざい不在ふざいたしかめた。梅子は其とひをもう忘れてゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
寛永年中のことなり安成久太夫やすなりきゅうだゆうといふ武士あり。備前因幡国換くにがへの時節にて、いまおる屋敷も定まらず、鹿野かの(今の気高けたか郡鹿野町)のざいに仮に住みけり。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
こないだ店へ買物に来たざいの者が話して行つたが、その家の前を通るとね、どうも女の泣声らしいものが聞える。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
ざいの人が町に出た帰りに必ず立ち寄るのがこれらの店であります。農村で使う一渡ひとわたりの品が皆揃えてあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
今は遠く坂田の郷里である北陸の高田のざいに見知らぬ坂田の祖先たちとともに埋もれている八重、雪が深いと聞くその土地では花をまつられることもまれであろう。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
呼出よびいだされ亂心らんしんながら其方生國しやうこくは越後高田ざい寶田村にて父は憑司母は早をつとは昌次郎なる由云立しが相違さうゐなきかと尚再三尋問たづねられし上豫て入牢申付られたる庄兵衞を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ざいの者のしきたり通り太い毛繻子の洋傘をかついだ禰宜様は、小股にポクポクとついて行ったのである。
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それは、くらの夫——すなわち先代の近四郎が、草津ざいの癩村に祈祷きとうのため赴いたという事実である。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そこで小諸こもろざい小原こはらというところにかわれている牛は、ご主人の牛乳屋さんに連れられ、牛小屋を出て、烏帽子えぼしたけのふもとにある牧場をさして骨休めに出かけました。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
俺、よっぽど草津から越後へ出ようと思ったが、よく考えてみると、熊谷くまがやざいに伯父が居るのだ、少しは、熊谷は危険かも知れねえが、故郷へかえる足溜あしだまりには持って来いだ。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
四五年前の雑誌を見給へ、駿州有渡郡うどごほり田子の浦ざい駿河不二郎の名がチヨク/\見えるよ。
貧書生 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
もう此上おこらせると、又三日も物を言わなかった挙句、ぷいとうちを出てざいの親類へ行ったきり帰らぬという騒も起りかねまじい景色なので、父は黙って了う。母も黙って出て行く。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
じつはこちらさまにきっとお気に入ること大うけあいという上玉じょうだまがありましたもんで、それを迎えに行っておりましたような次第しだいで——ところがこれが埼玉さいたまざいでございまして
什器破壊業事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
で、かれは昨夜聞いておいた鳥喰とりはみのほうの路を選んで歩き出した。初会しょかいにも似合わず、女はしんみりとした調子で、その父母の古河こがの少し手前のざいにいることを打ち明けて語った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
土蔵破むすめやぶりで江戸中を騒がし長い草鞋を穿いていたまんじの富五郎という荒事あらごと稼人かせぎて、相州鎌倉はおうぎやつざい刀鍛冶かたなかじ不動坊祐貞ふどうぼうすけさだかたへ押し入って召捕られ、伝馬町へ差立てということになったのが
漁業者ぎよげふしや建築家けんちくかとで阿米利加あめりかもの二人ふたり地方ちはう中学教員ちうがくけういん一人ひとり某省ぼうせう属官ぞくくわん二人ふたり大阪おほさか横浜よこはまとで銀行員ぎんかういん二人ふたり三州さんしうざいかくれてゑてるのが一人ひとり石炭せきたん売込屋うりこみや一人ひとり
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ときに、一名いちめい弘法こうぼふ露呈あらはなことは、白膏はくこう群像ぐんざうとまではかないが、順禮じゆんれい道者だうじやむらむすめ嬰兒あかんぼいたちゝく……ざい女房にようばう入交いれまじりで、下積したづみ西洋畫せいやうぐわかは洗濯せんたくする風情ふぜいがある。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
明治三十三年(1900)宮城県岩出山いわでやまざいの中農の家に生まる。当時既にこの層の没落は、全農民階級中最も甚しく、私の家もまたその例にもれず只管ひたすらに没落への途を急いでいたのであった。
簡略自伝 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
町としてうっちゃってはおけない——よろしく町葬にすべし、表彰すべしというのでざいから茂助の伯父伯母を呼んで、ちょうど火事から三日後の今日が、そこでこの茂助の町葬の日なのである。
舞馬 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
我が越後にも化石渓あり、魚沼郡うをぬまこほり小出こいでざい羽川はかはといふたに水へかひこくさりたるをながししが一夜にして石にくわしたりと友人いうじん葵亭翁きていをうがかたられき。
八王子のざい、高尾山下浅川附近の古い由緒ゆいしょある農家の墓地から買って来た六地蔵の一体だと云う。眼を半眼に開いて、合掌がっしょうしてござる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
茂左衛門は二度の主取しゅどりを嫌って津山のざいに引っ込んでしまい、その後は代々農業をつづけて今日こんにちに至ったのだそうである。
馬妖記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
とうとう辛抱しきれずに爺やと別れて、自分だけはこれから横川よこがわざいまで自分の先夫の娘をたよって行くのだと言います。
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都ざいのある財産家からよめもらつた。それは無論おやの云ひつけであつた。すると、少時しばらくして、すぐ子供が生れた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
遠州相良さがらざいの農家の十六の少年、夜中の一時ごろに便所に出たまま戻らず、しばらくすると悲鳴の声が聞えるので、両親が飛び起きて便所を見たがいない。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
がま稈心みごしな葡萄蔓ぶどうづる、麻糸、木綿糸、馬の毛など様々なものが使われます。新庄しんじょうの市日などにざいからこれを着て出てくる風俗は、都の者には眼を見張らせます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
申入るゝ者多かりしが今度このたび同宿どうしゆく杉戸屋すぎとやとみ右衞門が媒人なかうどにて關宿せきやどざい坂戸村さかとむらの名主是も分限ぶんげんの聞えある柏木庄左衞門かしはぎしやうざゑもんせがれ庄之助に配偶めあはせんとてすで約束やくそくとゝの双方さうはう結納ゆひなふ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
直義をはじめざい鎌倉の面々は、猛虎のように恐れ扱ったにちがいない。——ただちに二階堂薬師谷の東光寺に押したてまつって、昼夜、きびしい軍兵監視のもとにおいた。
馬鹿ばかな事をふな、手前てめえ江戸えどぢやアねえぞ、十一のときしう西尾にしをざいから親父おやぢが手を引いてうちれてて、何卒どうぞ置いてくれとたのまれる時、おれねづみ半切はんぎれ狂歌きやうかを書いてつたツけ
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
うまれ加州かしゅうざい、善光寺もうでみちなるよし
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
信濃屋の番頭は宿帳をしらべて、その客は上州太田のざいの百姓甚右衛門四十二歳で、去年の暮の二十四日から逗留とうりゅうしていた。
半七捕物帳:28 雪達磨 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
蒲原郡五泉のざい一里ばかりに下新田しもしんでんといふ村あり。或年此村の者ども㕝ありて阿加川のきしほりしに、土中どちゆうより長さ三間ばかりの船を掘いだせり。
カイナゴ 加賀の大根布おおねぶのイタダキの女などの、ざいへ魚を売りにまわって農産物と交換する人々の、カイナゴといっているのは米のことだというが(ひだびと六巻三号)
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「柿岡ざいの者が、折入って、お願いの儀があると申して参りましたが……」というのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
地理的にも遠くはないからこの想像は無理ではない。窯が小さいせいか、出来るものはざいに流れ込んで遠くには売られない。米沢の町には出るが、山形まではほとんど届かない。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
案内として武州川越ざいの百姓市右衞門方へ到着し是又以前の手續てつゞきにてべんまかして諸人を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
此のお話はしばらきまして、是から信濃国しなのゝくにの上田ざい中の条に居ります、渡邊祖五郎と姉の娘お竹で、お竹は大病たいびょうで、田舎へ来ては勝手が変り、何かにつけて心配勝ち、なきだに病身のお竹
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
長吉の父は長左衛門といって、信州善光寺のざいに住んでいた。お照の父の新兵衛はむかしは新吉といって、やはり同じ村に生まれた者であった。
半七捕物帳:19 お照の父 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
蒲原郡五泉のざい一里ばかりに下新田しもしんでんといふ村あり。或年此村の者ども㕝ありて阿加川のきしほりしに、土中どちゆうより長さ三間ばかりの船を掘いだせり。
ここで美しい黒土瓶くろどびんを焼くが、近頃武雄ざいで発掘された元禄時代の土瓶と形も釉もさしたる違いがない。それ故現に作られる日本の土瓶のうち最も古格を保つものといっていい。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
神子上みこがみ家は、世々、神宮のおまもりをしている伊勢の神職荒木田家に属す神苑衛士えじの家だったが、典膳がもの心づいた頃は、松坂ざいにひきこもって、母ひとり子ひとりの暮しであった。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)