“熊谷”のいろいろな読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
くまがい58.3%
くまがや38.9%
くまがいの2.8%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
その一番目は「嫩軍記ふたばぐんき」で、団十郎の熊谷くまがい、菊五郎の敦盛あつもり弥陀六みだろく、福助の相模さがみという役割であった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
熊谷くまがいのさる豪農に某という息子があったが、医者になりたいという志願であったから、こうの某家に養子にった。
取り交ぜて (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
子供のうちから熊谷くまがいを勤めたり、時次郎を勤めたりするのは、かえってその俳優を小さくするおそれがあるとの意見であった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼らが「命を捨ていくさをする」のも、熊谷くまがいの言葉をかりて言えば、おのが子の「末の世を思ふ故」である、すなわち家族の生活を保証するためである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
熊谷くまがい安芸あきに移り、武田が上総かずさ若狭わかさに行っても、なお武田であるような風は鎌倉時代の末からである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
武蔵の熊谷くまがやに住んでおった蓮生れんしょう入道の一族は、安芸国に引き移っても相変らず熊谷で、その子孫が非常に繁殖して今日まで残っている。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
磯野とも一度鰻屋うなぎやで二人一緒に飯を食ったきりで、三日目の午後には、もう利根川とねがわの危い舟橋を渡って、独りで熊谷くまがやから汽車に乗った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
五年間の中学校生活、行田ぎょうだから熊谷くまがやまで三里のみちを朝早く小倉こくら服着て通ったことももう過去になった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
——大宮を一本道に熊谷くまがやへ出て右に忍まで行くほうがずっと近いことを知っていましたが、右門はわざと反対に久喜から羽生はにゅうへ回り道をいたしました。
熊谷くまがやへおいででございますかな。それはそれはご苦労のことで。それに致しても三時立ちとは随分お早うございましたなあ」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
同じく新六定景——といったような侍たちの中には、俣野またのの五郎景久とか、熊谷くまがいの二郎直実なおざねなどという豪の者も、羽搏はばたく前のわしのように、じっとたたずんで、谷ひとつ彼方むこうの敵を見つめていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)