熊谷くまがや)” の例文
清三は夕暮れ近くまで、母親の裁縫しごとするかたわらの暗い窓の下で、熊谷くまがやにいる同窓の友に手紙を書いたり、新聞を読んだりしていた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
武蔵の熊谷くまがやに住んでおった蓮生れんしょう入道の一族は、安芸国に引き移っても相変らず熊谷で、その子孫が非常に繁殖して今日まで残っている。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
磯野とも一度鰻屋うなぎやで二人一緒に飯を食ったきりで、三日目の午後には、もう利根川とねがわの危い舟橋を渡って、独りで熊谷くまがやから汽車に乗った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
熊谷くまがやへおいででございますかな。それはそれはご苦労のことで。それに致しても三時立ちとは随分お早うございましたなあ」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大宮を一本道に熊谷くまがやへ出て右に忍まで行くほうがずっと近いことを知っていましたが、右門はわざと反対に久喜から羽生はにゅうへ回り道をいたしました。
埼玉県熊谷くまがや市付近の人々は、夜のうちに晴れわたった青空に、何かまっ黒なゴム風船のようなものがとんでいるのを発見して、たちまち大さわぎをはじめました。
少年探偵団 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
物語りしに後藤先生は其若者そのわかもの不便ふびんなれば助けてつかはさんと云れて熊谷くまがや土手どて追駈おつかけゆき駕籠屋かごや惡漢わるもの共をたゝちら此衆このしう夫婦ふうふを御助けなされ八五郎が家へ連て來り疵所きずしよ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
中仙道なかせんだう熊谷くまがやを、午後の六時廿分に発したる上武鉄道の終列車は、七時廿六分に波久礼はくれ駅に着きぬ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
左様さよう、なにしろこの街道筋かいどうすじは申すに及ばず、秩父ちちぶ熊谷くまがやから上州、野州へかけて毎日のように盗人沙汰、それでやり口がみな同じようなやり口ということでございます」
俺、よっぽど草津から越後へ出ようと思ったが、よく考えてみると、熊谷くまがやざいに伯父が居るのだ、少しは、熊谷は危険かも知れねえが、故郷へかえる足溜あしだまりには持って来いだ。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
真偽はわからぬがかれは熊谷くまがやの豪族の子孫であることだけはあきらかであり、また帝国大学初期の卒業者であることもあきらかである、なんのために官職を辞して浦和に帰臥きがしたのか
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
「何んにもありませんよ、——妹を熊谷くまがやの親類へやつた外には」
七歳の時没落して熊谷くまがやに来た時のことをかれはおぼろげながら覚えている。母親の泣いたのを不思議に思ったのをも覚えている。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
と唱えることは熊谷くまがやの例とよく似ていた(白河風土記巻二上)。会津の耶麻やま郡でも、七月七日の七日竹を流す日は、川に薬が流れるといって必ず水浴をする。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それでもいちいち道庵並みに、神という神にはみな拝礼を遂げて、武州熊谷くまがやの宿へ入りました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「何にもありませんよ、——妹を熊谷くまがやの親類へやった外には」
ともなひ紀州へこそは歸りけれこゝに伊豫國新居郡にゐごほり西條の城主じやうしゆ高三萬石松平左京太夫此程このほど病氣びやうきの所ろいまだ嫡子ちやくしなし此は紀伊家の分家ぶんけゆゑ家督評議かとくひやうぎとして紀州の家老からう水野筑後守みづのちくごのかみ久野但馬守くのたじまのかみうら彈正だんじやう菅沼すがぬま重兵衞渡邊對馬守つしまのかみ熊谷くまがや次郎南部なんぶ喜太夫等の面々めん/\うちより跡目あとめの評議に及びけるとき水野筑後守進出すゝみいでて申けるは各々の御了簡ごれうけん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
父の商売の得意先もこのごろでは熊谷くまがや妻沼めぬま方面よりむしろ加須かぞ大越おおごえ古河こがに多くなった。離れていて、土曜日に来るのを待つのもつらい。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)