“記事(きじ)” の例文
そのうちに、ツェッペリンは、出発(しゅっぱつ)したのでした。そして、その日(ひ)、その日(ひ)の記事(きじ)が、はやくも無線電信(むせんでんしん)で、新聞(しんぶん)に報告(ほうこく)せられました。
おばあさんとツェッペリン (新字新仮名) / 小川未明(著)
前(まへ)に内外(ないがい)の火山(かざん)を巡見(じゆんけん)した場合(ばあひ)の記事(きじ)を掲(かゝ)げて置(お)いたが、諸君(しよくん)若(も)し兩方(りようほう)を比較(ひかく)せられたならば、國内(こくない)の火山作用(かざんさよう)は概(がい)して穩(おだや)かであつて
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
米國(べいこく)のエドワルド、エス、モールス氏(し)が、明治(めいぢ)十二年(ねん)に於(おい)て、初(はじ)めて此所(こゝ)に遺跡(ゐせき)を發見(はつけん)し、然(さ)うして大發掘(だいはつくつ)を試(こゝろ)みられた記事(きじ)は『理科會粹(りくわくわいすゐ)』の第(だい)一帙(ちつ)として
金澤(かなざは)の人(ひと)、和田尚軒氏(わだしやうけんし)著(ちよ)。郷土史談(きやうどしだん)に採録(さいろく)する、石川縣(いしかはけん)の開化新開(かいくわしんかい)、明治五年(めいぢごねん)二月(にぐわつ)、其(そ)の第六號(だいろくがう)の記事(きじ)に
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
夫(をつと)の隱袋(かくし)の中(なか)に疊(たゝ)んである今朝(けさ)の讀殼(よみがら)を、後(あと)から出(だ)して讀(よ)んで見(み)ないと、其日(そのひ)の記事(きじ)は分(わか)らなかつた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
讀者(とくしや)余(よ)が言(げん)を信(しん)ぜずば罪と罰に就(つ)きて、更(さら)に其他(そのた)の記事(きじ)を精讀(せいどく)せられよ、思(おも)ひ盖(けだ)し半(なかば)に過(す)ぎんか。
「罪と罰」の殺人罪 (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
一事を擧(あ)げて之を日本人及びアイヌの所業(しよげふ)に照らし、一物を採(と)つて之を日本人及びアイヌの製品(せいひん)に比(ひ)し、論斷を下すが如きは、畫報(ぐわはう)の記事(きじ)として不適當なるの感無きに非ざれば
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
講和問題(かうわもんだい)、新婦(しんぷ)、新郎(しんらう)、涜職事件(とくしよくじけん)、死亡廣告(しばうくわうこく)——私(わたくし)は隧道(トンネル)へはひつた一瞬間(しゆんかん)、汽車(きしや)の走(はし)つてゐる方向(はうかう)が逆(ぎやく)になつたやうな錯覺(さくかく)を感(かん)じながら、それらの索漠(さくばく)とした記事(きじ)から記事(きじ)へ殆(ほとんど)
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
然(しか)し先夜(せんや)の反古(はご)新聞(しんぶん)の記事(きじ)から推及(すいきふ)して、大佐(たいさ)が今(いま)現(げん)に浮世(うきよ)の外(そと)なる此(この)孤島(はなれじま)に在(あ)る事(こと)、また今(いま)も聽(きこ)ゆる鐵(てつ)の響(ひゞき)などから考(かんが)へ合(あ)はせると朧(おぼろ)ながらもそれと思(おも)ひ當(あた)る節(ふし)の無(な)いでもない。
爾來(じらい)地震(ぢしん)の記事(きじ)は、かなり詳細(せうさい)に文献(ぶんけん)に現(あらは)れてをり、その慘害(さんがい)の状(じやう)も想像(さうざう)されるが、これを建築發達史(けんちくはつたつし)から見(み)て、地震(ぢしん)のために如何(いか)なる程度(ていど)において、構造上(こうざうぜう)に考慮(かうりよ)が加(くは)へられたかは疑問(ぎもん)である。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
文身(ほりもの)だらけの屍(かばね)隅田川に浮きしとふ記事(きじ)も身に沁む山の夜ふけに
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
世界大地震(せかいだいぢしん)の記事(きじ)に於(おい)て、人畜(じんちく)を吸(す)ひ込(こ)むほどの地割(ぢわ)れの開閉現象(かいへいげんしよう)が起(おこ)つたのは、著者(ちよしや)の鋭意(えいい)調(しら)べた結果(けつか)、以上(いじよう)の三回(さんかい)のみである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
弟(おとうと)は、めずらしい写真(しゃしん)に見入(みい)ったり、また書(か)いてあるおもしろそうな記事(きじ)に、心(こころ)を奪(うば)われて、いろいろの空想(くうそう)にふけるであろうと思(おも)ったのでした。
波荒くとも (新字新仮名) / 小川未明(著)
(新聞(しんぶん)には講演(かうえん)の梗概(かうがい)が出(で)て居(ゐ)たが、余(よ)は新聞(しんぶん)の記事(きじ)には、信用(しんよう)を拂(はら)はぬ一人(にん)であるので、證(しよう)とせぬ)余(よ)は余(よ)として、生意氣(なまいき)ながら左(さ)の如(ごと)き説(せつ)を持(じ)するのである。
……故(こ)柳川春葉(やながはしゆんえふ)と、私(わたし)とが編輯(へんしふ)に携(たづさ)はつて居(ゐ)た、春陽堂(しゆんやうだう)の新小説(しんせうせつ)、社會欄(しやくわいらん)の記事(きじ)として、中京(ちうきやう)の觀察(くわんさつ)を書(か)くために、名古屋(なごや)へ派遣(はけん)といふのを、主幹(しゆかん)だつた宙外(ちうぐわい)さんから承(うけたまは)つた時(とき)であつた。
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
何等(なにら)の關係(くわんけい)はなくとも、斯(か)かる記事(きじ)を讀(よ)んだ人(ひと)は多少(たせう)心(こゝろ)を動(うご)かすであらう。
この隧道(トンネル)の中(なか)の汽車(きしや)と、この田舍者(ゐなかもの)の小娘(こむすめ)と、さうして又(また)この平凡(へいぼん)な記事(きじ)に埋(うづま)つてゐる夕刊(ゆふかん)と、——これが象徴(しやうちよう)でなくて何(なん)であらう。不可解(ふかかい)な、下等(かとう)な、退屈(たいくつ)な人生(じんせい)の象徴(しやうちよう)でなくて何(なん)であらう。
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
第六囘(だいろくくわい)に至(いた)りて始(はじ)めて、殺人(さつじん)の大罪(だいざい)なるか否(いな)かの疑問(ぎもん)を飮食店(いんしよくてん)の談柄(だんぺい)より引起(ひきおこ)し、遂(つい)に一刹那(いつせつな)を浮(うか)び出(いだ)さしめて、この大學生(だいがくせい)何(なん)の仇(あだ)もなき高利貸(こうりかし)を虐殺(ぎやくさつ)するに至(いた)る。第(だい)七囘(くわい)は其(その)綿密(めんみつ)なる記事(きじ)なり。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
然(しか)るにわが國(くに)の地震史(ぢしんし)には右(みぎ)のような現象(げんしよう)の起(おこ)つたことの記事(きじ)皆無(かいむ)であるのみならず、明治以後(めいじいご)の大地震調査(だいぢしんちようさ)に於(おい)ても未(いま)だかつて氣附(きづ)かれたことがない。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
そして、翌日(よくじつ)のその新聞(しんぶん)には、大(おお)きな見出(みだ)しで、孝行(こうこう)の少年(しょうねん)の記事(きじ)が、写真(しゃしん)とともに載(の)せられていました。
街の幸福 (新字新仮名) / 小川未明(著)
何(なに)は兎(と)もあれ此(この)反古(ほご)新聞(しんぶん)の記事(きじ)によると、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)が此(この)秘密(ひみつ)なる旅行(りよかう)を企(くはだ)てたのは既(すで)に一年(ねん)半(はん)も以前(いぜん)の事(こと)で、前(まへ)にもいふ通(とう)り私(わたくし)がまだ亞米利加(アメリカ)の大陸(たいりく)を漫遊(まんゆう)して居(を)つた時分(じぶん)の事(こと)で、其後(そのゝち)
歴史(れきし)のどこかに毛(け)を降(ふ)らした記事(きじ)があるが、その中(なか)の或場合(あるばあひ)は火山毛(かざんもう)であつたらしく思(おも)はれる。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
この記事(きじ)を見(み)て、私(わたし)は考(かんが)えさせられた。大和族(やまとぞく)より、もっとさきに住(す)んでいた民族(みんぞく)であろう。そのような遠(とお)い昔(むかし)から、人類(じんるい)には悲(かな)しみや、不幸(ふこう)というものが、つきまとっていたのを知(し)ったからだ。
アパートで聞いた話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
此地震史上(このぢしんしじよう)の大事件(だいじけん)の舞臺(ぶたい)が未開(みかい)の土地(とち)であるだけに、記事(きじ)に確信(かくしん)を置(お)くわけにも行(ゆ)かないが
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)