くつがえ)” の例文
しるこの鍋をくつがえされて、かお小鬢こびんおびただしく火傷やけどをしながら苦しみ悶えている光景を見た時に、米友の堪忍袋かんにんぶくろが一時に張り切れました。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鳴神なるかみおどろおどろしく、はためき渡りたるその刹那せつなに、初声うぶこえあがりて、さしもぼんくつがえさんばかりの大雨もたちまちにしてあがりぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
ふすまごしに聞える朱実の囈言うわごとは、彼にも多少は平常ふだんにあった侍の心がまえというものを、まったく泥舟が水へひたったようにくつがえしていた。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『遊覧記』初巻の「伊那の中路」によれば、天明三年の春までの紀行は、ある渡し場の舟がくつがえって、流してしまったといっている。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それを今まで自らたずさわって来た俳句というものの伝統的価値を忘れて、これを根本からくつがえし去ろうとした所に誤りがあったのである。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
遂に六億万年前の古世代までやって来ると……ドウダ……天地をくつがえす大噴火、大雷雨、大海嘯おおつなみ、大地震の火煙ひけむり、水けむり、土煙つちけむり
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
両手を縛られ、責め苛まれていた道子が発したこの奇怪な一言は、俺の為に天地をくつがえらしたのだ! おお道子の今の言葉! 今の笑い声。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
その時、の四隅をめて、真中処まんなかどころに、のッしりと大胡坐おおあぐらでいたが、足を向うざまに突き出すと、膳はひしゃげたように音もなくくつがえった。
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夜に入ってから、間もなく雨戸を打つ雨の音が、ボツリ/\と聞え出したかと思うと、それがたちまち盆をくつがえすような大雨となってしまった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わずかに眼にるからぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想あいそをつかしたと見える。手をひるがえせば雨、手をくつがえせば雲とはこの事だ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もともとこの娘の幼い時分から親の取りきめて置いた許嫁いいなずけを破約に導いたのも、一切のものを根からくつがえすような時節の到来したためであり
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しからば猶太ユダヤの亡国は当然であるが、カイゼルはこの前車の覆轍ふくてつを怖れずして、またもその轍をんで自らその車をくつがえおわった。
永久平和の先決問題 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
その根元からくつがえして、世のほかへ投げやりたい生活の苦しみは、いつの世にあっても、人間が生活をして居る間は絶えない事であるのを思えば
農村 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
地所や家作や、現金を持たぬ者は、焼け出された日から、全生活をくつがえされて、ドン底に顛落てんらくしたのは、間々ままあった例です。
「どうか棄てないで、国の安泰をはかってくれ。天が、わざわいを降して、国祚こくそくつがえろうとしておる。どうしたらいいだろう。」
蓮花公主 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
駱駝の荷を揚げ卸し谷を渡す間に眠ってやろうとの算段で、沙上に転び廻りて荷をくつがえしすこぶる人を手古摺てこずらせたとある。
ともすれば、くつがえりそうになる舟を、ほとんど抱きかかえるようにして、岩角から滝壺の裏側へまわろうとした時だった。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「三樹三郎が、捕えられた。今、聞いて参ったが、京都の天地は、今にも、くつがえりそうだぞ。おもしろうなって来たわい」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
寿一や、前車のくつがえるは後車のいましめだ。お前にも将来必ず大問題が小問題の恰好をして来る。その時気を落ちつけて能く見分けをつけることが肝心だよ。
小問題大問題 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
それを一瞬の間に、くつがえしてしまうような、怖ろしい力が現われたとき、人は不可抗とだけで、悔いの欠片かけらも残さずケロリと断念あきらめてしまうものである。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そして、丁度その時鉄瓶のくつがえったという一致がある以上は。君は時々この庭の中へボールを打ち込みはしないかい。
灰神楽 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
無気力の状態から奮いたってついに牢獄ろうごくの壁をくつがえすことを、この美しい捕虜ほりょにできさしてやりたい! 彼はおのれの力をも敵の凡庸ぼんようさをも知らないのだ。
六節には彼の地文学ちもんがくの知識がうかがわれる、「れ(神)山を移し給うに山知らず、彼れ震怒いかりをもてこれをくつがえし給う」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
あるひはまたひらたく畳の上につくばひて余念もなく咲く花を仰ぎ見たる、あるひはひざくずして身をうしろざまにくつがえさんばかりその背を軽く欄干に寄掛よせかけたる
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
夫だから信ずる中にも心底に猶不信な所があってややともすれば我が心が根本から、くつがえり相にグラついた、其の故は外で無い、唯秀子其の人の何の所にか
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
事実時代というものはただそれだけの浅薄愚劣なものでもあり、日本二千年の歴史をくつがえすこの戦争と敗北が果して人間の真実に何の関係があったであろうか。
白痴 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
此の身さえ儘ならぬ無人島のあるじ、思えば我が身ほど不運な者はない、いや/\愚痴をこぼすところでない、海上にて難風なんぷうに出会い、さいわいに船はくつがえりもせず
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
彼等は皆孟子もうしの著書は、我々の怒にれ易いために、それを積んだ船があれば、必ずくつがえると信じています。科戸しなとの神はまだ一度も、そんな悪戯いたずらはしていません。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
過般さきごろ治安維持法の改正の時にも新聞・雑誌の多くは反対であった。国をくつがえし、国家を滅すことをくわだつる者に極刑を加えることがなぜ悪いのかわが輩には判らない。
世界が根柢こんていからくつがえり、今までの自分が自分でなくなったような昏迷こんめいに、悟空はなおしばらくふるえていた。事実、世界は彼にとってそのとき以来一変したのである。
こういうふうに人類の教師たちは皆彼らに先行する思想や信仰をくつがえすものとして現われているのである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
がかつて心を宗教に寄せる前には、剛情で始末におえぬ硬骨漢こうこつかんであったが、ひとたび信者となってからは手をくつがえしたごとく温和な柔順な、涙もろい人に変った。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しかし論より証拠というのが曲者くせもので、本当は論をくつがえし得る証拠などというものは滅多にないのである。
千里眼その他 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
アルヴィンツィーに加うるにボーリユーをくつがえし、ボーリユーに加うるにウルムゼルを覆し、ウルムゼルに加うるにメラスを覆し、メラスに加うるにマックを覆して
ちょうど、さい河原かわらに、童子が石を積んでも積んでも鬼が来てくつがえすようなものでした。私の心の内にはびこる悪は、私に地獄のある事をますます明らかにあかししました。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
彼はツルゲーネフの修辞学を見んごとくつがえしたのである。ここにはチェーホフの警敏さが見られる。
チェーホフの短篇に就いて (新字新仮名) / 神西清(著)
颶風ぐふうが襲って来た。今は船もくつがえるほどの大荒になって来た。船客も船頭も最早もは奇蹟きせきの力を頼まねばならぬ羽目になってもとどりを切って仏神に祈った。船は漸く港についた。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
遠州なだの荒海——それはどうやらこうやら乗切ったが、掛川かけがわ近くになると疲労しつくした川上はふなばた脇腹わきばらをうって、海の中へころげおちてしまった。船はくつがえってしまった。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この時に当って、まさにくつがえらんとする日野屋の世帯せたいを支持して行こうというものが、あらたに屋敷奉公をてて帰った五百の外になかったことは、想像するに難くはあるまい。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ごみめの箱をくつがえしたごとく、あの辺一帯にひろがって居る貧民窟ひんみんくつの片側に、黄橙色だいだいいろ土塀どべいの壁が長く続いて、如何いかにも落ち着いた、重々しい寂しい感じを与える構えであった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
被害死体が貞でないとすれば問題は根本からくつがえって終う。死体が貞であると決定しても尚自殺か他殺か過失死かいろ/\問題が残るけれども、要するに死体の確認が第一である。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
全く物すさまじいいきおいのもので、三、四丁も吹いて行く間に、ぶっつかる所の大きなうちでも、小さなのでも、どんな家でも殆どくつがえしたり、破壊したり、破損したりしたものであった。
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
日暮方から鳴出なりだした雷は益々ますますすさまじくなって、一天いってん墨を流したようで、篠突しのつく大雨、ぴかりぴかりといなずまが目のくらむばかり障子にうつって、そのたびに天地もくつがえるようにいかずちが鳴り渡る
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
わがきみをはじめ、一どうはしきりに舟子達かこたちはげまして、くる風浪ふうろうたたかいましたが、やがてりょうにんなみまれ、残余のこりちからつきて船底ふなぞこたおれ、ふねはいつくつがえるかわからなくなりました。
じりじりと押迫って来る何か不吉なものが、今にもこの小さな生活をくつがえしそうな秋であった。台所の硝子戸にドタンと風のあたる音がして、遠くの方にヒューッとうなこがらしの音がする。
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
もしもらいが鳴り出して、赤い帆に暴風が吹き付けたらば、船はきっとくつがえってしまったかも知れない程に、船上の人間たちは、生のために戦う意志もなく、ただ全くぽかんとしていた。
船が三たびもくつがえりかけたのである。ロオマンをあとにして三年目のことであった。
地球図 (新字新仮名) / 太宰治(著)
くつがえった酒瓮みわから酒が流れた。そうして、海螺つび朱実あけみが立ち籠めた酒気の中を杉戸に当って散乱すると、再び数本の剣は一斉に若者の胸を狙って進んで来た。身屋むやの外では法螺ほらが鳴った。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
王はよろこびて天神にむかひ、これは雌にしてこれは雄なりと答ふるにその答誤りなければ、天神はまた一大白象をあらわして、この象の重さ幾斤両ぞ、答へ得ずんば国をくつがえさん、と難題をいだしぬ。
印度の古話 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
これまでながく、『金槐集』は実朝一生の作と思われていたが、金沢の松岡氏蔵の定家所伝の『金槐集』を昭和四年に佐佐木信綱ささきのぶつな博士が発見されたのによって、その考は全くくつがえされてしまった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)