たく)” の例文
宇古木兵馬は、その晩娘のお勝を相生町にやる時、その手にたくして、母屋に居る綱田屋五郎次郎の遺子、玉枝に手紙を渡させました。
明智は一艘の小舟に身をたくして、はるかに明滅する、どことも知れぬ燈台の光を頼りに、腕の限りオールをあやつらねばならなかった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
子供等へ送るつもりで買って置いた仏蘭西風の黒い表紙のついた手帳と一緒にして、帰朝する人でもある折にそれをたくそうと考えた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その晩は場末の安宿に泊り翌日父は私をY中学の入学式につれて行き、そして我子を寄宿舎にたくして置くと、ぐ村へ帰つて行つた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
なぜなら、彼女等の自由意志は幼帝を育てるという事柄のうちに没入し、彼女等の夢の全てがただ幼帝の成人にたくされていたからである。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
すぎとし北国より人ありてこぶしの大さの夜光やくわうの玉あり、よく一しつてらす、よきあたひあらばうらんといひしかば、即座そくざに其人にたくしていはく、其玉もとめたし
それで、父のほうは親身に世話をしてくれる人々にたくすことが出来たので、私たちは思いきって山の家にかえることにした。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
私らの場合はむしろ外国語に持つ感覚に似たものを、古語に感じて其連接せられた文章の上に、生命をたくしているのである。
詩語としての日本語 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
燕王此の勢を、国に帰れるよりやまいたくして出でず、これを久しゅうして遂にやまいあつしと称し、以て一時の視聴をけんとせり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私たちは彼の如く贅沢な、美術的な、そうしてロマンティックな作に工藝の本道をたくすことができず、また托してはならぬ。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
由来国軍は外敵に対して我が国土を防衛する任務を課せられて、国軍あるがめに国民は自ら武器を捨て、安んじて国土の防衛をたくしたのである。
二・二六事件に就て (新字新仮名) / 河合栄治郎(著)
眼界がんかいたつするかぎ煙波えんぱ渺茫べうぼうたる印度洋インドやうちうに、二人ふたり運命うんめいたくするこの小端艇せうたんていには、く、かひく、たゞなみのまに/\たゞよつてるばかりである。
いまは失意の貧しい生活たつきを、この大河やみずうみばかりな蕭々しょうしょうのうちにたくして、移りあるいている身の上と、ほそぼそ語った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
偏見から生まれた「第五元素」に成り下ってしまった……などというなど手きびしい宣告までがたくされているのだ。
浮世絵は最早もはや吹きぼかしと雲母摺きらずりの二術を後世の画工にたくせしのみにして、その佳美なる制作品は世人をしてあまねく吾妻錦絵と呼ばしむるに至れるなり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
先生の再婚の理由として「小供らの教育をたくする人を得て冥途めいどの妻の心を喜ばすために後の妻をもらったのである」
離婚について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
と、井谷はいくらか自分自身の鬱憤うっぷんを丹生夫人にたくしてらす気味もあって、相当手厳しい口吻こうふんであったが、何と云われても幸子は返す言葉もなかった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
遠野の町の中にて今はいけはたという家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原台はらだいふちというあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙をたくす。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
現に只今も、独機八機現わるという想定のもとに、どすんどすんと空砲をはなって、猛練習であるが、そのすさまじい砲声を原稿にたくして送れないのが甚だ残念だ。
沈没男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それ故彼にとって、屈辱なく死をたくするに足る土地を定めることは、一刻もあらそう心せわしさでもあった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
源氏の愛のたよりなさを感じている御息所は、斎宮の年少なのにたくして自分も伊勢いせへ下ってしまおうかとその時から思っていた。このうわさを院がお聞きになって
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
まもなく百姓たちから前後の事情を聞いた某君と軍曹は、己たちがわざわざパラシュートに身をたくして飛び降りたことを思いだして、顔を見あわして苦笑した。
人のいない飛行機 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
けだいやしくも我が国土に脚をたくするものにして誰れかく国民性の圏外に逸出するものあらんや。彼等は意識を役せずして皆国民性の一部を描くべきものにあらずや。
国民性と文学 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
此処ここへ身を横たえて酒精アルコールの力に身をたくし高い大空を仰いで居る間は、僕の心が幾何いくらか自由を得る時です。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「入塾が出来ない位なら生ている甲斐がない」ト溜息ためいき噛雑かみまぜの愁訴、しおれ返ッて見せるに両親も我を折り、それ程までに思うならばと、万事を隣家の娘にたくして
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
彼れは思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に狂暴な衝動にられて、満身の重みをそれにたくした。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
平吉はさっきから人待顔にすぐ前に下っていた太いくさりの先のかぎに軽く右足をかけて鎖に全身をたくした。
秋空晴れて (新字新仮名) / 吉田甲子太郎(著)
「その日の夕暮、またも行手に大敵が現われて、松本総裁は牧岡氏まきおかうじと池氏とに後をたくして、中山卿を守りて長州へ落ちよと申し含めて、自身は大敵の中で見事な切死きりじに
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あれは小説家だからともに医学を談ずるには足らないと云い、予が官職を以て相対する人は、他は小説家だから重事をたくするには足らないと云って、暗々裡あんあんりに我進歩をさまた
鴎外漁史とは誰ぞ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし私はその翌る日の大雪に、通りかかった吉という五十歳近い猟人に一通の手紙をたくした。その内容は故郷の妻に宛てたもので大要次のような意味のものであった。
眼を開く (新字新仮名) / 夢野久作(著)
新奇な空気を吸収する、その眠たいまでに精神が表皮化して仕舞う忘我の心持ちに自分をたくした。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
れに邪心じやしんなきものとおぼせばこそ、幼稚えうちきみたくたまひて、こゝろやすく瞑目めいもくたまひけれ、亡主ばうしゆなん面目めんぼくあらん、位牌ゐはい手前てまへもさることなり、いでや一對いつつゐ聟君撰むこぎみえらまゐらせて
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「鏨を。」兇悪をなすに、せめを知って、後事をたくせよと云うがごとく聞えて、うなずいて渡した。
庸三はうちを出るとき、そう言って長男に後事をたくした。訂正の記事は出したにしても、それは苦しまぎれの糊塗的ことてきなもので、葉子は社会的には全く打ちのめされた形だった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
何処いずこにも宿り、何処にもつながりを見せるものに思われます、あそこに紀介様がお越しになったばかりではなく、かげながら後事こうじたくされていたということも、わたくしには
玉章 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
うつまへに、機會きくわいだから一寸ちよつと東京とうきやうまでたいものだとかんがへてゐるうちに、今度こんど色々いろ/\事情じじやうせいせられて、ついそれ遂行すゐかうせずに、矢張やはくだ列車れつしやはしかた自己じこ運命うんめいたくした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しかたなく、ひめはこのこころかなしみをこといとたくして、いつまでもこといていました。
黒い塔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
呂昇が堀川のお俊や、酒屋のお園や、壺坂つぼさかのお里を語るは、自己を其人にたくするのだ。同じ様な上方女かみがたおんな、同じ様な気質きだての女、芸と人とがピッタリ合うて居るのだ。悪かろう筈がない。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
おもえば女性の身のみずかはからず、年わかくして民権自由の声にきょうし、行途こうと蹉跌さてつ再三再四、ようやのち半生はんせいを家庭にたくするを得たりしかど、一家のはかりごといまだ成らざるに、身は早くとなりぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
先発荷物の延着 それから四、五日待って居るけれども私が荷物をたくしたシナ人が出て来ない。どうしたものか向うの方が少しあとになって立ったのだけれどもそんなに遅れる訳はない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
しんの人でその資産を弟にたくして、久しく他郷たきょうに出商いをしている者があった。旅さきで妻をめとって一人の子を儲けたが、十年あまりの後に妻が病死したので、その子を連れて故郷へ帰って来た。
自分の翼を束縛するの空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の重さをたくし得る此の空気の抵抗が必要だということをらぬのです。
鬱屈禍 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それから地上に一間あまり跳ね飛ばされた彼は、家の下敷になって藻掻いている家内と女中を救い出し、子供二人は女中にたくして先に逃げのびさせ、隣家の老人を助けるのに手間どっていたという。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
ついに故山こざんへ帰ってくわを握り、自分の夢をこのおれにたくした、おれには父の胸中がよくわかった、一日も早く一流の剣士になって、父によろこんでもらおうと思った、しかし、もうそのときは来ない
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
よくよくこころして、かみからたくされた、このおも職責しょくせきはたすように……。
たくし給ふに二個ふたりいきたる心地こゝちしてすなかしら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
園子の姉とか妹とかいう人達までこの老人にたくしてそれぞれ餞別せんべつなぞを贈ってよこしてくれたことを考えても、思わず岸本の頭は下った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すぎとし北国より人ありてこぶしの大さの夜光やくわうの玉あり、よく一しつてらす、よきあたひあらばうらんといひしかば、即座そくざに其人にたくしていはく、其玉もとめたし
先住の高風に比べれば百難あったが、彼も亦一生不犯の戒律かいりつを守り、もっぱら一酔また一睡に一日の悦びをたくしていた無難な坊主のひとりであった。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
その一枚を半分にると、八五郎がたくされた結び文と同じ繪を三つ、——念入りに眞似たくせに、わざと少しづつ寸法を變へたのを描きました。