かす)” の例文
水面をかすめてとぶ時に、あの長い尾の尖端が水面をでて波紋を立てて行く。それが一種の水平舵すいへいだのような役目をするように見える。
浅間山麓より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
霧は林をかすめて飛び、道をよこぎつて又た林に入り、真紅しんくに染つた木の葉は枝を離れて二片三片馬車を追ふて舞ふ。御者ぎよしや一鞭いちべん強く加へて
空知川の岸辺 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
頬邊ほつぺたは、鹽梅あんばいかすつたばかりなんですけれども、ぴしり/\ひどいのがましたよ。またうまいんだ、貴女あなたいしげる手際てぎはが。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
二人が育つて行くにつれ、母親にふと危惧きぐの念がかすめた。二人があまり気の合つてゐる様子である。青春から結婚、それはかまはない。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
ホンのちょっとかすり傷を負わされて、ひどい目に遭わされたように見せかけ、残りの原稿をすっかり自分の懐へ入れちゃったのです。
ニッケルの文鎮 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
そして、草鞋の紐を通している時、二三人の馬上の人々が、二人の眼をかすめて、鉄蹄の響きを残して、山の上へ影の如く過ぎ去った。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
私ども十六人が、皆、頭から石油を浴びて、左右のたもとに火薬を入れたまま石垣を登って番兵の眼をかすめ、兵営や火薬庫に忍込しのびこみます。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と、間もなく、その近江之介の首がたまりへ投げ込まれて、喬之助は、それ以来、きびしい詮議の眼をかすめて、今に姿を現さぬのである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「もう一度改めてウナからトレスを数えるまでに、俺の言うとおりにしなかったら容赦なく撃ち殺すぞ!」怒りで語尾が顫えてかすれてきた。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
ええ、どうしたんだろう私は! と口惜しさ悩ましさにじれてみても、のどまで出そうになる言葉が歯がゆくも心の奥へかすれてしまう。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
書窓しょそうから眺めると、灰色はいいろをした小雨こさめが、噴霧器ふんむきく様に、ふっ——ふっと北からなかぱらの杉の森をかすめてはすいくしきりもしぶいて通る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
朝日は既に東の山を離れ、胡粉こふんの色に木立を掃いたもやも、次第に淡く、小川の上をかすめたものなどは、もうくに消えかけていた。
駈落 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
青い澄んだ空は、それをまじまじと眺めてゐる私にまぶしさを教へる。さうしてついとその窓をかすめて行く何鳥かの羽裏がちらりと光る。
嘘をつく日 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
『お前も一杯やってみるか』と言った父の言葉が頭の何処どこかをかすめた。そこで、ただ何となく『飲んでみるか』と軽く考えたのである。
酒渇記 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
取るに足らぬ女性の嫉妬しっとから、いささかのかすり傷を受けても、彼はうらみのやいばを受けたように得意になり、たかだか二万フランの借金にも、彼は
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
妻を盗まれたをつとの霊、娘をかすめられた父親の霊、恋人を奪はれた若者の霊。——この河に浮き沈む無数の霊は、一人も残らず男だつた。
LOS CAPRICHOS (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
電車に乗っていてもふいと乗り合せの女のかおを目にいれると、ふしぎに家にいる女のかおがかすめてしまうのである。暗い室がみえる。
香爐を盗む (新字新仮名) / 室生犀星(著)
自動車が傍をかすめて走り電車は後ろの方で激しく警笛を鳴らす。その音がようやく耳にはいると彼は黙ったまま静かによけるのだった。
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
『どの点から見ても、意地悪で、高慢ちきな老爺だ』そういう考えがミウーソフの頭をかすめた。概して彼は非常に不機嫌であった。
高くけられた絵のやうな橋、綺麗な衣服きものを着て其上を通つて行く女、ぶつつかりはしないかと思はれるほど近くかすめて行く多くの舟
(新字旧仮名) / 田山花袋(著)
罵声ばせいが子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体からだに当った。敵のほこ尖端さきほおかすめた。えい(冠のひも)がれて、冠が落ちかかる。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
少しかすかではあるが、善く調子の合った歌が聞える。面白げに歌っている声がかすめて通るので、木立の葉がゆらぐような心持ちがする。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
此時このときいへいて、おほきなさら歩兵ほへいあたまうへ眞直まつすぐに、それからはなさきかすつて、背後うしろにあつた一ぽんあたつて粉々こな/″\こわれました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
ると、太陽たいやうがキラ/\とかゞやいてひがしほうの、赤裸あかはだかやまいたゞきなゝめかすめて、一個いつこ大輕氣球だいけいききゆうかぜのまに/\此方こなたむかつてんでた。
それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側むこうがわへ落ちたなり埃だらけになって、今日きょうまで僕の眼をかすめていたのである。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だまし討になし其金をうばとりそれ而已成のみならず文妹富をあざむきて遊女に賣渡し同人の身の代金三十兩をかすとり其後十兵衞後家ごけやすを己れが惡事露顯ろけん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
言下ごんか勿焉こつえんと消えしやいばの光は、早くも宮が乱鬢らんびんかすめてあらはれぬ。啊呀あなやと貫一のさけぶ時、いしくも彼は跂起はねおきざまに突来るきつさきあやふはづして
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎かぜごと素袍すはうの袖をかすむれば、末座にみ居る若侍等わかざむらひたちの亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑をかし。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
一岩を踏むと、二つも三つも動く、中には戛々かつかつと音して、後続者の足もとをかすめ、渓谷に躍って行くので、皆横列になって危険を避ける。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
いえいえ、祠堂金しどうきんを初め、お山詣での方々の懐中をかすめておりますことも、みな玄長様のお差しがねじゃとか言うてでござります
で、先づ先輩からといふので、その蓄音機をかけると、尾崎氏の吹込演説は感冒かぜを引いたやうなかすめた声で喇叭ラツパから流れて出る。
かすりは「飛白」とも書き、また「綛」「纃」などの字も用いますが、「かすり」は「かする」という言葉に由来するものであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
朝日は、今ようやく向いの建物の頭をかすめて、低いそしてほの温い日ざしを、南向きの厚い硝子ガラスの入った窓越しにこの部屋へ注入して来た。
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
夏の陽が対岸の檜山ひのきやまこずえの向こうへ沈んでしまうと蝙蝠こうもり宵闇よいやみの家々の屋根を、かすめるようにして飛び廻わり、藪原は夜になるのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すっと空をかすめて、炬火の光を長くに引きながら、程離ほどはなれた大河の淵へ落ちこんで、そのまま見えなくなってしまいました。
彗星の話 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
脂肪の多い蒼白あおじろい肉体が章一の頭をかすめた。章一は目黒駅の片隅に人の視線を避けて己を待っている彼女のことを思いだした。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
夜更けでも陰気な雨の日でも、先生のこの音だけはいつも円々としていて、決してれた感じやかすれた響きをたてることがないのであった。
勉強記 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
そうすれば、あなたも私の目をかすめる必要がなくなって、正々堂々でしょう。どうせ矩を越えようなんて思召おぼしめしはないんですから
四十不惑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
早くも裂帛れっぱくの気合とともに、ピシーリ。圓生の手の白い碁石が小圓太のほうへ投げつけられていた。危うく碁石は耳許をかすって後へ落ちた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
君側の奸をはらわんとすと云うといえども、詔無くして兵を起し、威をほしいままにして地をかすむ。そのすなわち可なるも、其実は則ち非なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その中で、時折翼のような影がよぎって行くけれども、たぶん大鴉おおがらすの群が、円華窓の外をかすめて、尖塔の振鐘ピールの上に戻って行くからであろう。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
『あれ、むかうのみねかすめて、しろい、おおきな竜神りゅうじんさんが、にもとまらぬはやさでよこんでかれる……あのすごいろ……。』
目近かく仰ぎ上げる頂上をかすめて、白い雲が飛んでは碧空に吸われるように消える。岩燕が鏑矢のような音たててう。
案内人風景 (新字新仮名) / 百瀬慎太郎黒部溯郎(著)
と、眼の前に、ふわりと、雪の粉が落ちる……七月末の炎天である……直ぐ、水に吸い込まれて消える……また、頬をかすめて、ふわりと飛ぶ。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
敵の本拠は仕方がないとしても、然らざる所に放火して財宝をかすめ歩いたのは、全く武士以下の歩卒の所業であった。即ち足軽の跋扈ばっこである。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
俺は自分の持物のようにリュックを易々やすやすかすめていたのだ。これはどういうことだろう。そう思うと俺はちょっと惑乱した。
(新字新仮名) / 梅崎春生(著)
そしてビレラフォンは、カイミアラをかすめて行く時、二つの残った首の一つをめがけて、またさっと一太刀斬りつけました。
かくて彼等は彼を百餘の鐡鉤かぎに噛ませ、こゝは汝のかくれて踊る處なれば、盜みうべくば目をかすめてなせといふ 五二—五四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
これはギリシアのテッサリアの山林に住んだ蛮民全身毛深く時に里邑を犯し婦女をかすめたが、山中に住み馴れただけあって善く菜物をった。
その次は鼻で皿の中からこうばしいにおいが鼻をかすめればそこで一段の食慾を起す。悪い匂いが鼻をいたらたちまち胸が悪くなる。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)