風情ふぜい)” の例文
あるひは、強ひて伏せた横顔の、物思はしげな風情ふぜいに、おやと思ふことがある。が、それはその時だけの話で、すぐに忘れてしまふ。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
と小声にぎんじながら、かさを力に、岨路そばみちを登り詰めると、急に折れた胸突坂むなつきざかが、下から来る人を天にいざな風情ふぜいで帽にせまって立っている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
浴室よくしつまどからもこれえて、うつすりと湯氣ゆげすかすと、ほかの土地とちにはあまりあるまい、海市かいしたいする、山谷さんこく蜃氣樓しんきろうつた風情ふぜいがある。
飯坂ゆき (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「馬鹿な! 修験者風情ふぜいの申すことが何の当になるものぞ。くだらぬことじゃ。そのようなことは気にかけるが程のものもないわい」
風情ふぜいもない崖裾がけすその裏庭が、そこから見通され、石楠しゃくなげや松の盆栽を並べた植木だなが見え、茄子なす胡瓜きゅうりねぎのような野菜が作ってあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
おもしろいことには東京地方へ旅行すると、農家の大きな藁葺わらぶき屋根の高いむねにオニユリが幾株いくかぶえて花を咲かせている風情ふぜいである。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
南条力は低い声でこう言って馬の前に立ち塞がると、不思議なことに馬も人も更に驚く風情ふぜいはなく、ハタと歩みをとどめてしまって
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もう、何と云いますか、あたりは夕靄ゆうもやに大変かすんで、花が風情ふぜいありに散り乱れている。……云うに云われぬ華やかな夕方でした。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
四月の末のある朝、申分なく晴れた淺黄空あさぎぞら初鰹魚はつがつをの呼び聲も聽えさうな、さながら江戸名所圖繪の一とこまと言つた風情ふぜいでした。
あきかぜ少しそよ/\とすれば、はしのかたより果敢はかなげに破れて、風情ふぜい次第にさびしくなるほど、あめおとなひこれこそは哀れなれ。
あきあはせ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その岸には水車が幾個となく懸つて居て、春は躑躅つゝじ、夏はの花、秋はすゝきとその風情ふぜいに富んで居ることは画にも見ぬところであるさうな。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
なぜなら、らんまんたる桜の咲きさかる春のような、またはしのつく豪雨のカラリと晴れた、夏のような風情ふぜいは彼女にはそぐわなかった。
それに、婦人達の妙に物おじをした様子で、なよなよと歩く風情ふぜいは、あの活溌かっぱつな西洋女の様子とは、似ても似つかぬものでありました。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
伯母さんはとても金持なんだが、われわれ兄妹きょうだいがお好きじゃない。だいいち妹が、貴族でもない弁護士風情ふぜいにとついだものでな……
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情ふぜいが経営した俗悪蕪雑ぶざつな「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それにおくれ毛のひとすじふたすじかゝりました風情ふぜいはたとえようもなくあだめいて、おんなでさえもほれ/″\したと申します。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「何の風情ふぜいもござらぬの。老人がおさかな申そうかの」三太夫はやさしく微笑して、「唐歌からうた一節ひとくさり吟ずるとしよう。そなたに対するはなむけじゃ」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
遊覧せんとありしには似で、貴婦人の目をあぐれども何処いづこを眺むるにもあらず、うつむき勝に物思はしき風情ふぜいなるを、静緒は怪くも気遣きづかはしくて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
細腰さいようは風にめぐり、鳳簪かんざしは月光にかがやき、しばらくは、仲秋の天地、虫の音までが彼女の舞にその鳴りをひそめてしまった風情ふぜいだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この御警策の賜物たまものでございましょう、わたくし風情ふぜいの眼にも、東福寺の学風は京の中でも一段と立勝たちまさって見えたのでございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
何の見る物もなく風情ふぜいもないので、夫人があやしんで質問したところ、ヘルンは耳を指して、『おきなさい。なんぼ楽しいの歌でしょう』
時とすると、ケリッヒ夫人みずから書物を手にとって、彼女本来のやさしい理知的な風情ふぜいを、悲壮な物語に添えることもあった。
流石さすがに物堅き重二郎も木竹きたけでは有りませんから、心嬉しく、おいさの顔を見ますと、つぼみの花の今なかひらかんとする処へつゆを含んだ風情ふぜい
たかが芸者風情ふぜいを家に入れんでも、玉井組の御曹子といやあ、どんなええところからでも、三国一の花嫁御寮が来まッしょうに。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
しかしまたそのほかにも荒廃こうはいきわめたあたりの景色に——伸び放題ほうだい伸びた庭芝にわしばや水の干上ひあがった古池に風情ふぜいの多いためもないわけではなかった。
悠々荘 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
風情ふぜいのなま/\に作り候物にまでお眼お通し下され候こと、かたじけなきよりは先づ恥しさに顔あかくなり候。勿体もつたいなきことに存じ候。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
わかさま、さっきから何をべちゃべちゃっていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情ふぜいと、いったい何をにやけていらっしゃるんです」
シグナルとシグナレス (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
さすがに戸外そとは春、破れ障子にも日影が映えて、瀬戸物町を往く定斎屋の金具の音が手に取るよう——春艶鳥はるつげどりの一声、あってもいい風情ふぜいだ。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
水滸伝すいこでんのやうに思はれたり、又風情ふぜいごのみのやうに言はれたりしたやうであるが実際はもつと素朴で無頓着むとんちやくであつたのだらうと想像する。
智恵子抄 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)
荒廃した境内の風情ふぜいもおもしろかった。鐘楼には納屋がわりにわらが積んであり、本堂のうしろの木陰にはむしろを敷いてはたが出してあった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
わたくしあきれてそうさけびましたが、しかしおじいさんはれいによってそんなこと当然あたりまえだとった風情ふぜいで、ニコリともせずわれるのでした。——
本体を表現するに現象をもってせよ、潜在的なる容器に顕在的なる物象を盛れというのである。本情といい風情ふぜいというもまた同じことである。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
奈良、大和路やまとじ風景は私にとっては古い馴染なじみである。あたかも私の庭の感じさえする。さてその風情ふぜいの深さも、他に類がない。
庄屋風情ふぜいながらに新政府をり立てようと思う心にかけては同門の人たちにも劣るまいとする半蔵は、こうした村民の無関心につき当たった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
主水は勘当になり、湯島のお長屋を出て青山権田原ごんだわらの借家に移った。竹の垣根に野菊が倒れかかり、野分のあとのものさびしい風情ふぜいをみせている。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
また厳島いつくしまの句あるを見るにこの地の風情ふぜい写し得て最も妙なり、空想の及ぶべきにあらず。蕪村あるいはここにも遊べるか。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
右に金堂の大を、左に塔の高きを仰ぎ、更にその間から中央に講堂の広きを望むことが出来、得も云われぬ風情ふぜいがある。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「よろ/\と」の一語が枯野に残る撫子の様子を如実に現しているのみならず、強いて一花と限定しないのも、かえって風情ふぜいが多いからである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
積んだ材木の上に初めは腰を掛けて居たのが、何時いつにかその上にあがつて坐る人の出来る事なども、東京の夏の河岸かし風情ふぜいと同じ様である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
春星しゆんせいかげよりもかすかに空をつゞる。微茫月色びばうげつしよく、花にえいじて、みつなる枝は月をとざしてほのくらく、なる一枝いつしは月にさし出でゝほの白く、風情ふぜい言ひつくがたし。
花月の夜 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
遠山の雲、ひだから襞にかけておりてゐる白雲を、降りこめられた旅籠屋はたごやの窓から眺める気持も雨のひとつの風情ふぜいである。
なまけ者と雨 (新字旧仮名) / 若山牧水(著)
竹の柱ってものは実に風情ふぜいがあるものだ。茶人が見たら随喜の涙を流すね。しかしこれは此処だから出来るんで、この竹(刺竹)でないと駄目だ。
台湾の民芸について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
必らずしも女が戀しいのではない、然し再び女を思ひ出すと、そんな薄情な、無感覺な女風情ふぜいを戀したのが殘念なのだ。
泡鳴五部作:04 断橋 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
眼立たないが、贅沢ぜいたく至極な好みの衣裳で、気持のよさそうな博多の単帯ひとえおびで、胴のあたりを風情ふぜいゆたかにしめあげていた。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
柿の実は、その葉が黄色く枯れて散れば散る程赤さを増して、晩秋の空に、いかにも日本特有らしい風情ふぜいを見せていた。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
消えもりたいおせんの風情ふぜいは、にわ秋海棠しゅうかいどうが、なまめきちる姿すがたをそのままなやましさに、おもてたもとにおおいかくした。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
さすがにお光さんは平気でいられない風情ふぜいである。予はことさらに空を眺めて困った雨ですなアなど平気をよそおう。
紅黄録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
白氏はくし晴天せいてんの雨の洒落しやれほどにはなくそろへども昨日さくじつ差上さしあそろ端書はがき十五まいもより風の枯木こぼくの吹けば飛びさうなるもののみ、何等なんら風情ふぜいをなすべくもそろはず
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
どこへでもじ登り、新鮮な日光の下で踊り、むかっ腹を立て、からだじゅうをき、なんでもつまみあげ、そしていかにも原始的な風情ふぜいで水を飲む。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
夫婦は顔を見合せて、何か言いたいような風情ふぜいでまた躊躇していたが、やがて思い切ったように角蔵が言いだした。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)