せみ)” の例文
動物の中でもたとえばこおろぎやせみなどでは発声器は栄養器官の入り口とは全然独立して別の体部に取り付けられてあるのである。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
自分はこの三階のよいに虫の音らしい涼しさをいたためしはあるが、昼のうちにやかましいせみの声はついぞ自分の耳に届いた事がない。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
せみがその単調な眠そうな声で鳴いている、しんとした日の光がじりじりと照りつけて、今しもこの古い士族屋敷は眠ったように静かである。
河霧 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
袖やすそのあたりが、恰度ちょうどせみころものように、雪明りにいて見えて、それを通して、庭の梧桐あおぎり金目かなめなどの木立がボーッと見えるのである
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
そして折り尺の一たんをにぎって、他のはしを高くお面のほうへ近づけた。すると、お面の両耳が、ぷるぷるッとせみの羽根のようにふるえた。
怪星ガン (新字新仮名) / 海野十三(著)
蜻蜓とんぼせみが化し飛ぶに必ず草木をじ、蝙蝠こうもりは地面からじかに舞い上り能わぬから推して、仙人も足掛かりなしに飛び得ないと想うたのだ。
わたしは無言で歩いた。男も無言でさきに立って行った。うしろの山の杉木立では、秋のせみれた笛を吹くようにむせんでいた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今日は夏をおもい出す様な日だった。午後寒暖計が六十八度に上った。白いちょうが出て舞う。はえが活動する。せみさえ一しきり鳴いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
しかも、涼霄りょうしょうの花も恥ずらん色なまめかしいよそおいだった。かみにおやかに、黄金きん兜巾簪ときんかんざしでくくり締め、びんには一つい翡翠ひすいせみを止めている。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一山いっさんせみの声の中にうもれながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。
樗牛の事 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
後に述べたいと思うツクシという春の草なども、今では秋のせみのツクツクホウシと、その名をおもやいにしようとする子さえあるのである。
雲は白く綿々めんめんとして去来し、巒気らんきはふりしきるせみの声々にひとしおに澄みわたる、その峡中に白いボートを漕ぐ白シャツの三、五がいる。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
山里の空気は、真夏でも、どこかひやりとしたものを包んで、お陣屋の奥ふかく、お庭さきのせみしぐれが、ミーンと耳にしみわたっていた。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
病後のふるえの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。せみ脱殻ぬけがらが忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
せみが木の間で鳴いていた。かえるが水のほとりに鳴いていた。そして夜には、銀の波をなした月光の下に、無限の静寂があった。
あるはかなかからは、木棺内もくかんない死體したいむねのあたりに、まるぎよくつくつたへきといふものや、くちへんからはせみかたちをしたぎよくかざりなどがました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
せみの声一つ聞かない巴里の町中でも最早何となく秋の空気が通って来ていた。部屋の壁に残ったはえは来て旅の鞄に取付いた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
町の木立にせみの聲が繁くなつて、心太ところてんと甘酒の屋臺が、明神下の木蔭に陣を布く頃、八五郎はフラリとやつて來たのです。
盛んに啼いているせみの声も、分厚い豪奢な窓硝子ガラスに遮られて遠く、かすかにしか聞こえず、壁が厚いせいであろう、暑さもさほどに感じられない。
二重心臓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
裏のもみの林でしきりにせみが鳴いていて、どうかすると大学の話までが蝉の鳴き声の中にまぎれこんでゆくように思われた。
火鉢ひばちにかかって沸いている茶釜ちゃがまの音には、ゆく夏を惜しみ悲痛な思いを鳴いているせみの声がする。やがて主人が室に入る。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
せみの声などのまだ木蔭に涼しく聞かれる頃に、家を出ていった彼女は、行く先々で、取るべき金の当がはずれたり、あるじが旅行中であったりした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
鳴くせみよりも何んとかいって悩んでいる訳なんだからといって、すでにさびかかっている大和魂へ我々亭主はしきりに光沢布巾つやぶきんをかけるのであった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
彼が立って抱こうとすると、姪は桟を持ったまま叩かれたせみのように不意に泣き出した。彼はぼんやりとしてしまった。
御身 (新字新仮名) / 横光利一(著)
或年の秋の大掃除の時分、めつきりの光も弱り、せみの声も弱つた日、私は門前で尻を端折り手拭で頬冠りして、竹のステッキで畳を叩いてゐた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
窓の下のたうもろこしのさやかな葉ずれの音や、せみの音を聞きながら、ゆき子は、三宿の富岡の部屋の事を考へてゐた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
「ぼくの村には、夏になると、こんな声を出して鳴くせみが、たくさんいます。——みいん——みいん——みいん——」
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
みんな赤やだいだいや黄のあかりがついていて、それがかわるがわる色が変わったりジーとせみのように鳴ったり、数字が現われたり消えたりしているのです。
グスコーブドリの伝記 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
同じ虫のうちでも、せみとかかぶと虫のような、からだのかたいものは気味が悪くないが、蛇とか毛虫とか蛙のような、柔かいものはいちばん苦手である。
触覚について (新字新仮名) / 宮城道雄(著)
そしてようやく準備が終り、一人前の人間として、充分の知識や財産をたくわえた時には、もはや青春の美と情熱とを失い、せみ脱殻ぬけがらみたいな老人になっている。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
マダム・タニイは巴里パリートロンシェ街の衣裳屋ポウラン夫人が自分で裁断鋏カッタアスをふるったせみの羽にシシリイ島の夕陽の燃えてる夜宴服イヴニングをくしゃくしゃにして
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
「まあ、負んぶなどして」といいますと、「大木へせみが止ったようでしょう」といって揺すぶるので、「大木へ蝉、大木へ蝉」といっては取りつきます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
げてやらうと、ステツキで、……かうくと、せみはらに五つばかり、ちひさな海月くらげあしやうなのが、ふら/\とついておよいでる、つてゐやがる——ゑびである。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
それほど静寂であった——樹々のこずえではせみが鳴いていたし、うす黒い木蔭のあたりでは秋の虫がすだいていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
訊問室はしばらくの間しーんとして、せみの声がキニーネを飲んだときの耳鳴りを思わせるように響いてきた。
愚人の毒 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
これはまた落雷らくらいのやうなこゑでした。さつきからくのをやめて、どんなことになるかとはらはらしながらきいてゐたせみ哲學者てつがくしや附近あたりがもとの靜穩しづかさにかへると
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
それは梵鐘ぼんしょうの声さえ二三年前から聞き得なくなった事を、ふと思返して、一年は一年よりさらにはげしく、わたくしはせみこおろぎの庭に鳴くのを待詫まちわびるようになった。
虫の声 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
野に遊んでは蛇を殺し山を歩いてはせみを殺す。そうして彼らは大人となる。すると戦いをして人を殺す。また喧嘩けんかをして人を殺す。人間同志殺し合うのである。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
青い田の中を蝙蝠傘こうもりがさをさした人が通る、それは町の裏通りで、そこには路にそって里川が流れ、川楊かわやなぎがこんもり茂っている。森にはせみの鳴き声がかまびすしく聞こえた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
その死物狂いで欄干へとりついたのが、木の枝にかじりついたせみのぬけ殻と同じような形であります。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もとより人里には遠く、街道はずれの事なれば、旅の者の往来ゆききは無し。ただ孵化かえり立のせみが弱々しく鳴くのと、山鶯やまうぐいすしゅんはずれに啼くのとが、れつ続きつ聴えるばかり。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
その種類ははちせみ鈴虫すずむし、きりぎりす、赤蜻蛉あかとんぼ蝶々ちょうちょう、バッタなどですが、ちょっと見ると、今にもい出したり、羽根をひろげて飛び出そうというように見えます。
満山に湧くせみの声も衰えた。薄明の中、私達は部隊に着いた。道から急角度にそそり立つ崖に、大きな洞窟どうくつを七つ八つも連ね、枯れた樹などで下手な擬装ぎそうをしている。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
凧の種類には扇、袢纏はんてんとびせみ、あんどん、やっこ三番叟さんばそう、ぶか、からす、すが凧などがあって、主に細工物で、扇の形をしていたり、蝉の形になっていたりするものである。
凧の話 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
主人あるじ甲斐甲斐かいがいしくはだし尻端折しりはしょりで庭に下り立って、せみすずめれよとばかりに打水をしている。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
××が薬をとってくるのをもどかしく待つうちにいつかうとうとしたらしい。横向きになってる背中のほうに人の気はいがしたので首をねじむけてみたら「せみ」だった。
胆石 (新字新仮名) / 中勘助(著)
つぶりて折節橋の上で聞くさわぎ唄も易水えきすいさぶしと通りぬけるに冬吉は口惜くやしがりしがかの歌沢に申さらくせみほたるはかりにかけて鳴いて別りょか焦れて退きょかああわれこれを
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
その形は雪見灯籠ゆきみどうろうのごとくにして、その火袋に直径六寸余の円き穴がある。人、もしその穴に耳をつけて聞けば、たちまちせみの声のごとく、松風の音に似たる響きがする。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
それは、輝く太陽よりも、咲誇る向日葵ひまわりよりも、鳴盛なきさかせみよりも、もっと打込んだ・裸身の・さかんな・没我的な・灼熱しゃくねつした美しさだ。あのみっともないさるの闘っている姿は。
動物が子孫をぐべき子供のために、その全生涯をささげていることはせみの例でもよくわかる。暑い夏に鳴きつづけているせみ雄蝉おすぜみであって、一生懸命いっしょうけんめい雌蝉めすぜみを呼んでいるのである。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)