たま)” の例文
取り付きの角の室を硝子窓ガラスまどから覗くと、薄暗い中に卓子テーブルのまわりへ椅子いすが逆にして引掛けてあり、ちりもかなりたまっている様子である。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕ざんごうを築いていた。塹壕の中にはうみを浮かべた分泌物ぶんぴつぶつたまっていた。
ナポレオンと田虫 (新字新仮名) / 横光利一(著)
舌の上にはとろとろした血のりがたまっていたではないか。彼はその舌で、ポトポトと赤いしずくをらしながら、口辺をめ廻した。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
何しろ、取附とっつけからすぐに坑夫なんだからね。坑夫なら楽なもんさ。たちまちのうちに金がうんとたまっちまって、好な事が出来らあね。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
損「これ何をいうのだ、私の物を私が持ってくのに追剥という事があるものか、料銭がたまったから蒲団を持って往くのが追剥ぎか」
床は勿論もちろん椅子いすでもテーブルでもほこりたまっていないことはなく、あの折角の印度更紗インドさらさの窓かけも最早や昔日せきじつおもかげとどめずすすけてしまい
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と、間もなく、その近江之介の首がたまりへ投げ込まれて、喬之助は、それ以来、きびしい詮議の眼をかすめて、今に姿を現さぬのである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そうして作者の心理状態が寂しい内にもようやく落ちついた処に僅かな余裕もうかがわれる。その自然の動きの現われてるのが、たまらなく嘻しい。
歌の潤い (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
見かけからは河とか瀬戸とかいうべきだろうがそれがどうしてか海だった。かと思えばあるところは潟みたいに水がたまってもいる。
母の死 (新字新仮名) / 中勘助(著)
「あああ……」と弘はとうとうたまらなくなったように、欠伸あくびをわざと大きくしながら、足を投げ出した。そうしてくるりと横になった。
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
屋根のくぼみなどに、雨水がたまるからだ。僕等は、それによって、かつやすことができ、雨水を呑んで、わずかに飢えをしのぐのだった。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
運転手は何故そんなことを云われたのかせなかったが、病院へ入れられてはたまらないと思って、猛烈なスピードで車を飛ばした。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ここは龍野街道の一宿場なので、町というほどの戸数もないが、一膳めし屋、馬子のたまり、安旅籠やすはたごなどの、幾軒かが両側に見える。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
髪の毛にはあみのように白い埃がたまっていて、それを眼にした僕の口の中には、何か火の玉をくくんだように切ないものがあった。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
この胸にたまっているおもいを聞いてもらおうとするのに、耳をふさいで帰ることはできない筈だ、甲斐にはそうはできない筈だぞ
その人が駅から帰って来ての話では、青森で七千人たまっているからと言って、切符を売ってくれなかったということであった。
流言蜚語 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
ところが、十年の約束の年限ねんげんが過ぎ、金も五十兩とたまりましたが、主人はどうしても私にお暇も下さらず、預けて置いた金も下さいません。
おそかれ早かれ、降参しなければなるまい。ところが、我慢をすればするほど、たまるわけだ。今すぐやっちまえば、ぽっちりしか出ないんだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
平常ふだんから大きい美しい眼は、今にも、ちょっと物でもさわれば、すぐ泣き出しそうに、一層大きくこちらを見張って、露が一ぱいたまっている。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
「ほほ、ほほほほほ。お酒が毒になッて、おたま小法師こぼしがあるもんか。ねえ此糸さん。じゃア小万さん、久しぶりでお前さんのお酌で……」
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
しかし塵埃あかたまるから、始終いつもそれを綺麗に掃除しておかねばならない、ということばは、たいへん意味ふかいものです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
その日私たちは完全かんぜんなくるみのも二つ見附みつけたのです。火山礫の層の上には前の水増みずましの時の水が、ぬまのようになって処々たまっていました。
イギリス海岸 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
樹と樹のあいだにこもを張った即席の屋根から、たまった雨水がごぼりと落ちた。灰かぐらを立て、ひとかたまりのおきを黒くした。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
「今の通りで結構です。けれども後悔しているなんて書かないで下さいよ。う何本もあやまり証文しょうもんを取られちゃたまらない」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
短い糸はつなぎ合せて玉にしてあり、それも木綿と絹とが別にしてあって、幾つかたまると蒲団ふとんおおいなどに織ってもらいます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
たちまち天にはびこって、あの湖の薬研の銀も真黒になったかと思うと、村人も、往来ゆききも、いつまたたく間か、どッとたまった。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
胸が押し付けられるように切ないのに、微笑ほほえんでいても好い。息が詰まってたまらないのに、手にキスをして遣っても好い。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
祖母は広い廊下を通って、おさい銭ばこの横の一角の、参詣人が「お蝋燭ろうそく」と階下から怒鳴ると、おーと返事をする坊さんたちのたまりの方へいった。
「水は海にき、河はれて乾く」とは砂漠地にて常に目撃する現象である(海とは真の海ではない、池の如くすべて水のたまれる処をいうのである)
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
先刻せんこくたきのやうに降注ふりそゝいだ雨水あめみづは、艇底ていてい一面いちめんたまつてる、隨分ずいぶん生温なまぬるい、いやあぢだが、其樣事そんなことは云つてられぬ。兩手りようてすくつて、うしのやうにんだ。
女房にようばう横臥わうぐわすることも苦痛くつうへないで、んだ蒲團ふとんかゝつてわづかせつない呼吸いきをついてた。胎兒たいじかしめたみづ餘計よけいたまつたのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
やがてガラガラと竹刀しないを引くと、たまりへ行って道具を脱ぎ、左右の破目板を背後うしろに負い、ズラリと二列に居流れた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
直前すぐまへのK法学士が、たまらなささうにわめいて眼をくと、皆は一度に眼をいて笑ひ出した。娘はとう/\居溜ゐたゝまらなくなつて次のに逃げ出したさうだ。
すこしやそつとの紛雜いざがあろうとも縁切ゑんきれになつてたまものか、おまへかた一つでうでもなるに、ちつとはせいして取止とりとめるやうにこゝろがけたらかろ
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
伸太郎 そうかな、ここんとこちょっとたまっていた仕事を一遍にしたものだから疲れが出ているのだよ。……栄二の子供達はまだ来ていなかったのだね。
女の一生 (新字新仮名) / 森本薫(著)
鉋屑かんなくづたまればそれを目籠めかごに押し込んで外へ捨てに行つたり、職工達が墨をいた大小の木材を鋸切のこぎへ持つて行つて、いて貰つたり、昼飯時が来ると
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
文明人の思及しきゅうだも許されない怖愕テロリズムの極点に達して、犯人が手を使用して引き出したらしい腹部の内部諸器官が、鮮血のたまりと一緒に極彩色ごくさいしきの画面のように
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
雪の降ってる中ですから殊更ことさらに池のような深みたまりの間に入ってそうして雪をはらい込んでその中へ寝たんです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
クリストフは蕭条しょうじょうたる野の中で、国境から数歩の所に立ち止まった。彼の前にはごく小さな沼があった。いと清らかな水たまりで、陰鬱いんうつな空が反映していた。
順に廻り今日はよき天氣てんきとか又はわるい風とか御寒おさむいとか御暑おあついとか云てまだくづはたまりませんかと一けんづつ聞て歩行あるくが宜しからん其の中には心安くなり人にもかほ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
弱い朝日の光が霧を透すので青青あをあをとした水が、紫を帯び、其れに前の家家いへいへの柱や欄干や旗やゴンドラを繋ぐくひなどが様様さま/″\の色を映してるのがたまらなく美しい。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
されば流れざるに水のたまごとく、わざるにおもいは積りていよいよなつかしく、我は薄暗き部屋のうちすすびたれども天井の下、赤くはなりてもまだれぬ畳の上に
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼の頬被りした海水帽かいすいぼうから四方に小さな瀑が落ちた。糸経いとだてを被った甲斐もなく総身濡れひたりポケットにも靴にも一ぱい水がたまった。彼は水中を泳ぐ様に歩いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
二月半ほど留守にした間に、置捨てて行った荷物でも書籍でも下手へたさわられないほどの塵埃ほこりたまっていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
成る程其処そこには、三尺四方くらいの機械油のたまりが、一度水に浸されたらしくなかばぼやけて残っている。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
薬味付きのパンを食ったのが腹にたまっていたので、悪い夢を見たのだろうと思いながら、自分の部屋へ引っ返したが、からだが痛むので、歩くのが容易でなかった。
「宗匠、いよいよられましたぜ。鳶の者が櫂で叩落されたと同じ様に、御前も川へドブンですぜ。肱鉄砲ひじでっぽうだけなら好いが、水鉄砲まで食わされてはたまりませんな」
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
「はい、金峰山颪きんぽうざんおろしが吹きます時なぞは、わたしの故郷八幡やわた村あたりは二尺もたまることがありまする」
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
昇の横柄な言葉を思ふと、癪にさはつてたまらない。あんな奴の爲めに原稿を書いてやつたり、身の上のことを頼みに行つたりしたことが、また癪にさはつて溜らない。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
ちょっとした水たまりの中に、何か知ら不思議な奴が充満しているといっていい位い右往左往しているのだ、目に見える奴だけがこれだから、もし細菌といった奴なら
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)