からす)” の例文
一羽のからすが、彼と母とのすすく声に交えて花園の上でき始めた。すると、彼の妻は、親しげな愛撫の微笑を洩らしながらつぶやいた。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
おれは佐々木小次郎だと、頻りに見得を切っていたが、もう相手はひとりもいないし、暮れてきた夜空には、からすも啼いていなかった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お前は言った、「わたしが、君たちより先に死んだら、死体はからすに食わせてくれ」と。間もなく、お前は言った、「死者を尊べ」と。
少なくとも昔話によくいうからすの真似をさせようとする類の新技術の輸入が、永くその効果を挙げ得なかったことは明らかである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
やがて何処よりともなく八十八羽のからすが集まって来て犬の腹ともいわず顔ともいわず喰いに喰う事は実にすさましい有様であったので
(新字新仮名) / 正岡子規(著)
細い喉で、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、からすの啼くような声が、あえぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
羅生門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
マリーナ ぶちのめんどりが、ひよっ子を連れて、どこかへ行ってしまったんですよ。……からすにさらわれなけりゃいいが……(退場)
「なあに、髑髏しゃれこうべでごぜえますよ。——誰か木の上に自分の頭を置いて行ったんで、からすがその肉をみんなくらってしまったんでがす」
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
また、からすはその年の風水を知り、巣を樹木の高き枝に作るときは洪水あるの兆しとし、低き枝に作るときは大風あるの兆しとすという。
妖怪学 (新字新仮名) / 井上円了(著)
そこへて、くらまぬで、わしするあるかほとローザラインのとをお見比みくらべあったら、白鳥はくてうおもうてござったのがからすのやうにもえうぞ。
さぎからすぐらいの見分けは誰にだってつくさ、これでも念流と小野派を少しばかりかじっているからね、名を聞かせてもらえないか」
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
長くは海もながめていられなくて、寛斎は逃げ帰るように自分の旅籠屋はたごやもどった。二階の窓で聞くからすの声も港に近い空を思わせる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
殊にがんからすとはちがって、いかにそれが江戸時代であっても、仮りにも鷲と名のつくほどのものが毎日ぞろぞろとつながって来る筈がない。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それは遠くのほうで板が落ち重なるような響きだった。からすの鳴き声が梢越しに聞こえて来る。しわがれて、わびしく、頼りなく。
また冬の雨降りそそぐ夕暮なぞには破れた障子しょうじにうつる燈火の影、からす鳴く墓場の枯木と共に遺憾なく色あせた冬の景色を造り出す。
もつとそれは、或機會あるきつかけ五位鷺ごゐさぎ闇夜やみさけぶ、からすく、とおな意味いみで、くものは、其處そこ自分じぶん一人ひとりでも、とりたれむかつてぶのかわからない。
三人の盲の話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
竹むらにからまる烏瓜からすうりをつつきに来るからす、縁側の上まで寄って来る雀、庭木の細かい枝をくぐるひわ四十雀しじゅうからの姿も目に止った。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
からすかないはあれど、草葉くさばかげで……」ばあさんが自分じぶんこゑつてとき勘次かんじはぼろ/\となみだこぼした。おつぎもそつとなみだぬぐつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
特にからすのごときは、多数相近きところに巣を営んでいる場合には、同僚の所有権を尊重すべしという規約が自然に成立して
動物の私有財産 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
あたしはそのからす鳴く四谷の秋たそがれ、橘之助自身からそのかみの伊藤博文と彼女にまつわる、あやしい挿話を聞かせてもらったことがある。
随筆 寄席囃子 (新字新仮名) / 正岡容(著)
『ラランいふのはおまへか。ヱヴェレストはそんなからすようはないぞ。おまへなんぞにられるとやまけがれだ。かへれ、かへれ。』
火を喰つた鴉 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
ソーンフィールドも好きです、その古風こふう閑寂かんじやくさ、古い、からすの木や枳殼からたちの木、灰色の建物たてものの正面、また鋼鐵色の空をうつす暗い窓の線などもね。
小賢こざかしいからすはそれをよくつてゐました。それだから、そのあたまかたうへで、ちよつとはねやすめたり。あるひは一宿やどをたのまうとでもすると、まづ
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
もしくは火車等と称する妖異現象は、狐猫こびょうの類族、又はからすふくろう等の怪禽妖獣の族の所業なるが如く信ぜられおる傾向あり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
麓の方で晩鐘いりあいが鳴り出した。其鐘のうながさるゝかの如く、からす唖〻〻あああと鳴いて、山の暮から野の黄昏たそがれへと飛んで行く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
おまけに二抱ふたかかえから三抱みかかえぐらいの天然の松林の中にあって、ろくろく日の目を見ることも出来ず、からすふくろうの巣であった。
青い絨毯 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
いろんな奇抜な方法で雀やからすを捕る話も面白かった。一例を挙げると、庭へ一面に柿の葉を並べておいて、その上に焼酎しょうちゅうに浸した米粒をのせておく。
重兵衛さんの一家 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そしてねぐらに急ぐらしい数羽のからすが夕焼けのした空を飛んで行った後には、森の奥の方で何も知らぬ鳥がキキキヽヽヽヽヽとけたたましくいていた。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
その中にたった二つの黒い点、オニエギンとレンスキイが、真黒な二羽のからすのように、不吉なくちばしを向き合せていた。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
今泣いたからすがもう笑うた。泣こうが笑おうが、どうでもいいような気持になり始めた。私は盃を続けて飲みほした。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
「大気は澄みきって、一ばん高い鐘楼しょうろうにとまっているからすくちばしが見えるほどだった。」(『晩花おそばな』第二章。同年)
チェーホフの短篇に就いて (新字新仮名) / 神西清(著)
七八つの時分じぶんから、からすんだつるだといわれたくらい、いろしろいが自慢じまんれていたものの、半年はんとしないと、こうもかわるものかとおどろくばかりのいろっぽさは
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
こんな話をして酒を飲み合い、微醺びくんを帯びてこの茶屋を出ると、醍醐だいごから宇治の方面へ夕暮のからすが飛んで行く。
瑞泉寺山から継鹿尾つがのおからすみね重畳ちょうじょうして、その背後から白い巨大な積雲の層がむくりむくりと噴き出ていた。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
まだ芽をふかない道ばたのはぜの木から一羽の大きなからすが、溜池の向こうの麦畑に舞いおりて、首をかしげながらこちらを見ているのが、妙に彼の心をひいた。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
このあたりは一面の荒涼たる枯葦原。遠くには夕陽に燃えあがるペエ・ドオトの山の斜面、風におののくものは枯草と野薔薇の枝、鳴くものはくちばしの赤いからすばかり。
そこはある寮の裏手に当っていて、ゴミ捨場の上の空間を、からすが風のまにまに気持よさそうに舞っていた。
夕張の宿 (新字新仮名) / 小山清(著)
「私共の赤ん坊はよくねかせてある。誰も知らない、日もささない、風もあたらない、あのからす共の目もとどかない處に、泣いたら泣き聲が大きかつたさうだ。」
計画 (旧字旧仮名) / 平出修(著)
われ主家を出でしより、到る処の犬とあらそいしが、かつてもののかずともせざりしに。うえてふ敵には勝ちがたく、かくてはこの原の露ときえて、からすえじきとなりなんも知られず。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人がからすが五羽いたでしょうと云う。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
直截ちょくせつにいえば、どの政党も皆官僚の変形であって、官僚が政党をののしり、政党が官僚を罵るのはからすが互に色の黒いのを罵るのに等しく、笑うべきことであるのです。
選挙に対する婦人の希望 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
その中で沼南夫人は百舌もずからすの中のインコのように美しく飾り立てて脂粉と色彩の空気を漂わしていた。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
わたしは毎日、夕方になると、鉄砲てっぽうを持ってうちの庭をぶらついて、からすの番人をするのが習慣だった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
さう思つて見ると、皆の黒い頭がからすのやうにあんぐり口をけて、一度に笑ひ出しさうにも思はれた。
芭蕉の名句「何にこの師走しわすの町へ行くからす」には遠く及ばず、同じ蕪村の句「麦秋むぎあきや何に驚く屋根のとり
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「今のはかごの中でのうぐいすですが、今度は谷わたり」けきょ、けきょ、けきょ、ほうほけきょう! それから引き続いて松虫、鈴虫、轡虫くつわむしの声。また、からす、ひばり、うずら。
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
群衆といふことは一体鰯だの椋鳥むくどりだのからすだのにしんだのの如きものの好んで為すところで、群衆につて自族を支へるが、個体となつては余りに弱小なものの取る道である。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
紫縮緬むらさきちりめん錏頭巾しころずきんをかぶり、右の顳顬こめかみにあたる所に小きじょうを附け、紫縮緬に大いなるからす数羽飛びちがひたる模様ある綿入に、黒手八丈くろではちじょうの下着、白博多の帯、梅華皮かいらぎざめの一本差
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
その時、ぼくたちは後衛中隊の最後尾の分隊だったから、岡田の死体は中国人たちが埋めてくれぬ限り、道端で腐り、野良犬やからすうじなどに食われていったことであろう。
さようなら (新字新仮名) / 田中英光(著)
但し是等はくらうべからず即ちわし黄鷹くまたかとびはやぶさたか、黒鷹のたぐい各種もろもろからすたぐい鴕鳥だちょうふくろかもめ雀鷹すずめたかたぐいこうさぎ、白鳥、鸅鸆おすめどり、大鷹、つる鸚鵡おうむたぐいしぎおよび蝙蝠こうもり
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)