)” の例文
からだがしびれるほどに、わば、私は、ばんざいであった。大歓喜。そんな言葉が、あたっている。くるしいほどの、歓喜である。
新樹の言葉 (新字新仮名) / 太宰治(著)
是等これらわば従であり人が主であるから、必要に迫らるれば、随分無理をして、といっても、たくみに自然を利用することを忘れないで
(新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
おまけに散々な目にわされて、最後には命までも落すようなことになった相手は、侍従じじゅうきみ、———世にう本院の侍従であった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
紺屋こうやじゃあねえから明後日あさってとはわせねえよ。うち妓衆おいらんたちから三ちょうばかり来てるはずだ、もうとっくに出来てるだろう、大急ぎだ。」
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大番頭の佐兵衛さへえは六十を越した老人で、忠実一点張りの男、本店からの付け人で、わば主人の又左衛門の後見役でもあったのです。
昔の美しさからえば、生地の美しさの見すかされるのではいけない。今の仁左衛門なども、あの素顔のよさがいけないのだと思う。
役者の一生 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
幾ら人數にんずが少ないとツて、書生もゐる下婢げぢよもゐる、それで滅多めつたと笑聲さへ聞えぬといふのだから、まるで冬のぱらのやうな光景だ。
青い顔 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
ロレ いや、そのことば鋭鋒きっさきふせ甲胄よろひおまさう。逆境ぎゃくきゃうあまちゝぢゃと哲學てつがくこそはひとこゝろなぐさぐさぢゃ、よしや追放つゐはうとならうと。
「兄を弄んで間接に、殺して置きながら、まだ二月と経たない今、この俺を! 箱根まで誘ひ出して、はれのない恥辱を与へる!」
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
……ということは古く存在した料理店「松田」のあとにカフェエ・アメリカ(いま改めてオリエント)の出来たばかりのいではない。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
児童ばかりではなく、その父兄たちわば山間で警備や、教職についている人たちにとっても、最も楽しい年中行事の一つである。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
稲田家は当時士族になっていたが、明治以前は香川という家老の家来で、わゆる復家来またげらいであったから、私のうちより家柄は低かった。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
舌の戦ぎというのは、ロオマンチック時代のある小説家の云った事で、女中が主人の出たあとで、近所をしゃべり廻るのをうのである。
あそび (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それでわば矢鱈やたらに読んで見た方であるが、それとて矢張り一定の時期が来なければ、幾ら何と思っても解らぬものは解る道理がない。
私の経過した学生時代 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様がしょうだけを御吹きにならないと云う、そのわれに縁のある事なのでございます。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
う心は、両足を地面じべたに喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。
弓町より (新字新仮名) / 石川啄木(著)
つまりなかばねたみ心から、若者の一挙一動を、ラッパを吹きながら正面を切った、その眼界の及ぶ限り、わば見張っていたのである。
木馬は廻る (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
舌をもって草をめ、その味によって種別した、とあり、齊の桓公の料理人易牙は、形の美をわずして味の漿しょうたしなんだ、という。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
己はこれまではば総ての人の同意を得て生きてゐた。己の周囲には己を援助して生をいささかせしめてくれようと云ふ合意が成立してゐた。
復讐 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
是故に汝もしさきにわがいへることゝ此事とを思ひみなば、わがふところの比類たぐひなき智とは王者の深慮ふかきおもんばかりを指すをみむ 一〇三—一〇五
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
今の言葉でう「宣伝」も大いに心がけているようで、格式の高い法隆寺や東大寺に比べて、所謂いわゆる経営の心労のほどが察せられる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
うのは、この島に行けば、亡くなった人の顔を見ることができるそうなという言い伝えが、この時代にあったことを暗示している。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「およそ人心じんしんうちえてきのこと、夢寐むびあらわれず、昔人せきじんう、おとこむをゆめみず、おんなさいめとるをゆめみず、このげんまことしかり」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
これぞくむしらせとでもいふものであらうかと、のちおもあたつたが、此時このときはたゞ離別りべつじやうさこそとおもるばかりで、わたくし打點頭うちうなづ
うところの芸術家のみが創造をつかさどり、他はこれにあずからないものだとするなら、どうして芸術品が一般の人に訴えることが出来よう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
一世の崇仰すうぎょうを得たことは勿論であって、後にはあめが下を殆どおのが心のままにしたようにわれ、おのれも寛仁の二年の冬には
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ふんう餓鬼 ともうべきもので、まあ私の見た人種、私の聞いておる人種の中ではあれくらい汚穢おわいな人間はないと思うです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
鼻のあたり薄痘痕うすいもありて、口を引窄ひきすぼむる癖あり。歯性悪ければとて常にくろめたるが、かかるをや烏羽玉ぬばたまともふべくほとん耀かがやくばかりにうるはし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
また上下の文ありて「入りては則ち髪を乱し形をやぶり、出でては則ち窈窕ようちょうして態をす……これ心を専らにし色を正すことあたわずとう」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
是等これらはおなじく、神経の雋鋭しゆんえいになつたための一つの証候であるが、これは気稟きひんに本づく方嚮はうかうの違ひであるとつていいだらう。
結核症 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
余かつてう、外国技芸、採用すべからざるものなし。ただに唱歌の法、外国のまま用うべからず。新曲の製の止むべからざるゆえんなり。
国楽を振興すべきの説 (新字新仮名) / 神田孝平(著)
景気といい景曲といい見様体という、皆わがうところの客観的なり。もって芭蕉が客観的叙述をかたしとしたること見るべし。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
作者の思想観念が顕著に出ている小説でなければ価値がないという点から出発している小説のいであったのであろうと思う。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
与八こそは、全く世のうところの教育せられない民でありました。彼は棄児すてごですから、家庭の教育というものがありません。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私が今日までのはゆる第一の牢で何にを苦しんだのでせう。同じ苦しみをした同じ処にはいつて行くほどの、私は馬鹿ではないと信じます。
絵巻物のような単独鑑賞の絵画にしても「源氏物語絵巻」の如きは「つくり絵」とわれる胡粉ごふんぬり重ねによる色彩の諧和かいわ豊麗を志している。
美の日本的源泉 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
それだけにわば筑前の無二の股肱ここう。いや官兵衛、御辺ごへんとならば、きっと肝胆かんたん相照らすものがあろうぞ。刎頸ふんけいを誓ったがよい
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実際の失恋でもない、いはんや得恋でもない、はゞ無恋の心もちが、一番悲惨な心持なんだ。此の落寞らくばくたる心持が、俺にはたまらなかつたんだ。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
よつせいいへせり。の・老子らうしまなものすなは儒學じゆがくしりぞけ、儒學じゆがくまた老子らうししりぞく。『みちおなじからざれば、あひめにはからず』とは、あにこれ
だれ自分じぶんところたのではいか、自分じぶんたづねてゐるのではいかとおもつて、かほにはふべからざる不安ふあんいろあらはれる。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
情人いろでも何でもないものなら、お前が自腹を切るわれはないじゃないか。家だってお前の親類の人から、勘定を取ろうとは言やしまいし。」
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
この坑の中はこの通り四通八達の市街になっていまして、丁度京都全体ぐらいの大きさです。太い線になっているのがわば目貫めぬきの往来で石炭を
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
汽車に乗せたらとって、荻窪おぎくぼから汽車で吉祥寺きちじょうじに送って、林の中につないで置いたら、くびに縄きれをぶらさげながら、一週間ぶりにもどった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あの市は本街道を離れて、はば非常な所にあるのだから、読者諸君のうちであそこへ往つたことのある人は少からう。
十三時 (新字旧仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
マカロンの、いささか濃厚な味は、然しフランスの乾菓(キャンディーではない。いまでうクッキー)の王者だった。
甘話休題 (新字新仮名) / 古川緑波(著)
子賤しせんう。君子なるかな、かくのごときの人。魯に君子者無くんば、いずくんぞこれを取らんと。——公冶長篇——
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
うのは、ドイツでヴュルツブルグ大学の教授レンチェンがわゆるエックス線を発見して学界を驚かしたからです。
キュリー夫人 (新字新仮名) / 石原純(著)
すなわち、第二に彼は、一種の「船上出張商人ヴェンデドゥル・デ・アポルド」——英語でう—— ship-chandler「しっぷ・ちゃん」——を開業していたのだ。
信の尖鋭照著なるもの、即て見なりともいふべし。されど、こゝには唯だ普通ふ所の信の一義を取つて言説せるなり。
予が見神の実験 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
つて見れば一種人間的な、本然的な優しい真実な思ひ遣り、さういつたやうなものが、お信さんの胸から、ぢかに熱々あつ/\と感ぜられたのであつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)