“思(おもい)” の例文
他(ひと)の手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? その思(おもい)はどうだろう。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
七曲(ななまが)りの険を冒(おか)して、やっとの思(おもい)で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下(おろ)されては、飄然(ひょうぜん)と家を出た甲斐(かい)がない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
写生の点において広重の技巧はしばしば北斎より更に綿密なるにかかはらず一見して常に北斎の草画(そうが)よりも更に清楚(せいそ)軽快の思(おもい)あらしむ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「国歌の人を鼓舞して忠誠を貫かしめ人を劇奨(げきしょう)して孝貞(こうてい)を竭(つ)くさしめ」云々「豈(あに)翅(ただ)に花を賞し月を愛(め)で春霞に思(おもい)を遣(や)り風鳥に心を傾くる」
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
人間の手よりも紙の辷りの迅さは、それこそ彼らを同所に同一点に、幾廻転をさせるか、思(おもい)半ばに過ぎよう。それどころでない。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
誰か死ぬというような思(おもい)が、ひらめくように起りました。胸が何物かに引きしめられて、息苦しいような気さえして来ました。
少年と海 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
そとから涼しい、そして林檎(りんご)のようにおいしい(と感じた)空気がソヨソヨと入ってきて、乗客たちに生き返った思(おもい)をさせた。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
僕の血液は刻一刻減って行く。頭脳がはっきりして来た。暫らく、ペンを休めて、彼女の心臓を観察し、懐旧の思(おもい)に耽(ふけ)ろう。
恋愛曲線 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ほんに旦那のようなお客ばかりだと私たちの商売ほど楽なものはございません、男振りがようて若うて静かで優しくて思(おもい)やりがあって上品で
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「さもこそあらめ、よくぞいひし。其方がいはずば此方(こなた)より、強(しい)ても勧めんと思ひしなり。思(おもい)のままに武者修行して、天晴れ父の仇敵(かたき)を討ちね」
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
本田さんのようなあんな方でさえ御免になってはならないと思(おもい)なさるもんだから、手間暇かいで課長さんに取り入ろうとなさるんじゃアないか
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
かく「誠に何うもマアおかみさん、思(おもい)がけない処でお目に懸りました、あなたは何ういう訳で此方(こっち)にいらっしゃいますか」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
武蔵野の特色なる雑木山を無惨〻〻(むざむざ)拓かるゝのは、儂にとっては肉を削(そ)がるゝ思(おもい)だが、生活がさすわざだ、詮方(せんかた)は無い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
心に悲しい思(おもい)があって、柳の根株(ねっこ)に腰かけてつくづくと眺めて居ると、お光の眼には山が段々近うなって、微笑んで小手招(こてまね)ぎするように思われる。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
何でこれ程の思(おもい)を己はせねばならぬのか。何で死が現われて来て、こうまざまざと世の様(さま)を見せてくれねばならぬのか。
お吉(きち)様と呼ばせらるゝ秘蔵の嬢様にやさしげな濡(ぬれ)を仕掛け、鉋屑(かんなくず)に墨さし思(おもい)を云(い)わせでもしたるか、とう/\そゝのかしてとんでもなき穴掘り仕事
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
神には一層近きを覚えたり、余の愛するものの肉体は失せて彼の心は余の心と合(がっ)せり、何ぞ思(おもい)きや真正の配合はかえって彼が失せし後にありしとは。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ずるそうな青年は、ああ手帳を持って来ればよかったという思(おもい)入れ、すぐに老人のあとに付いてゆく。同じ鳴物にて道具まわる。——と、向島土手の場。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
重ねて女は声懸けけるが、応答はおろか、見も返らざるに思(おもい)絶ちけん、そのまま口を噤(つぐ)みて、男の後ろに従いぬ。
片男波 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
「官員様のお父様としては、よくお揃(そろ)えになりましたね」といわれたので恥しい思(おもい)をした、と話されたそうです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
予は唯(ただ)一箇人(いっこじん)として四十余年、先生との交際(こうさい)及び先生より受けたる親愛(しんあい)恩情(おんじょう)の一斑(いっぱん)を記(しる)し、いささか老後(ろうご)の思(おもい)を慰(なぐさ)め、またこれを子孫に示(しめ)さんとするのみ。
抽斎が平生(へいぜい)の学術上研鑽(けんさん)の外に最も多く思(おもい)を労したのは何事かと問うたなら、恐らくはその五十二歳にして提起した国勝手(くにがって)の議だといわなくてはなるまい。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お互にしばらく黙している内にも、予は我に返って考えるとなく考えた、この問題については最(も)少(すこ)し聞いておかねばならぬ、こう思(おもい)ついたので様子を測って
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
かく思(おもい)来りて、われは遂に堪えず、われは死することを好まず、死することを好まずと、いきまきて心の中に叫びたり。叫ぶやがて、涙は雨の如くあふれ出でぬ。
一夜のうれい (新字新仮名) / 田山花袋(著)
掛引(かけひき)の妙(みょう)を得たるものなれども、政府にてはかかる企(たくら)みと知るや知らずや、財政窮迫(きゅうはく)の折柄(おりから)、この申出(もうしいで)に逢うて恰(あたか)も渡(わた)りに舟(ふね)の思(おもい)をなし、直(ただち)にこれを承諾(しょうだく)したるに
小屋を出て見ると此処は思(おもい)の外広い平な土地で畑なども作られてある。瑞々しい青葉に霜の置かれた菜畑を蹈み蹂った草鞋の跡は、三人が残したものに相違あるまい。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
人の智恵は、善悪にかかわらず、思(おもい)のほかに成長するものなり。油断大敵、用心せざるべからず。
学者安心論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
思(おもい)は同じ十六人である。神風偵察隊は、梯陣(ていじん)をくんで、まっしぐらに荒鷲爆撃機に向って行った。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
彼れは余の如く細君の言葉には感服せざるか思(おもい)屈(くっ)する体(てい)更に無く、却(かえっ)て顔色も昨夜より晴渡れり
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
彼女は、照っている月が、忽(たちま)ち暗くなってしまったような思(おもい)がした。青年と並んで歩くことが堪らなかった。彼女の幸福の夢は、忽ちにして恐ろしい悪夢と変じていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
私はいつか、西洋人に対してさえ恥かしい思(おもい)をした事があった。その西洋人は日本の国語と、そのアクセントを丁寧に習得した人であったから、美しい東京弁なのである。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
女の呻(うめ)くような悲しげな声や、長い紙を静かに引裂(ひきさ)くような物音が、絶えては聞え絶えては聞えして来るので、妙に苛々(いらいら)と寝苦しい思(おもい)をしながら一夜を明かしたのであった。
亡霊ホテル (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
恐ろしさとに堪(た)えかねて、跳起(はねお)きようとしたが、躯(からだ)一躰(いったい)が嘛痺(しび)れたようになって、起きる力も出ない、丁度(ちょうど)十五分ばかりの間(あいだ)というものは、この苦しい切無(せつな)い思(おもい)をつづけて
女の膝 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
必定(きっと)七屋(ななつや)からでも持て来たお金でしょう。そんな思(おもい)のとッ着いた金なんか借りたくないよ。何だね人面白(ひとおもしろ)くも無い。可いよ今蔵が帰って来るの待っているから。今蔵に言うから
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
時計(とけい)が鳴(な)る。アンドレイ、エヒミチは椅子(いす)の倚掛(よりかかり)に身(み)を投(な)げて、眼(め)を閉(と)じて考(かんが)える。そうして今(いま)読(よ)んだ書物(しょもつ)の中(うち)の面白(おもしろ)い影響(えいきょう)で、自分(じぶん)の過去(かこ)と、現在(げんざい)とに思(おもい)を及(およぼ)すのであった。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
出来た結果は思(おもい)の半分にも及ばないが、毎日懐(ふところ)に入れて持って歩いた。飯屋でもそれを出して見ながら飯をくった。まだ健康だった頃の智恵子が私にも持たせてくれとせがんだ。
木彫ウソを作った時 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
厚化粧までしてもらったので、妾(わたし)は益々(ますます)この世に思(おもい)が残って、参るところへ参られぬ始末なので御座(ござ)います、何卒(なにとぞ)方丈様の御功徳(ごくどく)で、つゆも心残りなく、あの世に参れますよう
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
ああ彼は今明日の試験準備に余念ないのであろう。彼は吾(われ)が今ここに立っているということは夢想しないのであろう。彼と吾とただ二重(ふたえ)の壁に隔たれて万里の外の思(おもい)をするのである。
愛か (新字新仮名) / 李光洙(著)
子供は泣き歇(や)み、舟中ではことに美しく栄(は)える人形を抱きよせた。この女らしい優しい思いつきは舟中の客の胸に、いしくも温かい思(おもい)をかもさせ、牛を乗せた船頭は感動していった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
その時、プラスビイユはニイスのオペラの女優を愛しておりましたが、メルジイとドーブレクとは私(わたくし)に思(おもい)をかけていました。その間に色々な経緯(いきさつ)がございますが、簡単に申上げましょう。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
ほんとうに命懸(いのちがけ)の土壇場です。私は長い間、そうして寿命の縮む思(おもい)をしながらも、どうしても押入が開けられないで立ちつくしていましたが、遂に意を決して風呂敷包を検べて見たのです。
二癈人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
おせんも年頃(としごろ)、好(す)きなお客(きゃく)の一人(ひとり)くらいはあろうかと、折節(おりふし)のお母(っか)さんの心配(しんぱい)も、あたしの耳(みみ)には上(うわ)の空(そら)。火(ひ)あぶりで死(し)んだお七が羨(うらや)ましいと、あたしゃいつも、思(おもい)い続(つづ)けてまいりました。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
神々の詞(ことば)だとお思(おもい)。わたしはきっとお前を好(す)いている。3185
さはいへあやしき襟(えり)かけし少女をくちをしと見る思(おもい)に候。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
... お粥か重湯の外にないと思(おもい)ましたが色々ございますか」お登和嬢「ありますとも、西洋料理ではお米の料理が何百種とあります。その中で病人の食物にちょうどいい物も沢山あるがブランライスプデンなんぞはどんな病人にも食べられるね」下女「それはどう致します」お登和嬢
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
可懐(なつか)しい、恋しい、いとおしい、嬉しい情を支配された、従姉妹(いとこ)や姉に対するすべての思(おもい)を、境遇の斉(ひと)しい一個蝶吉の上に綜合して
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
町の木戸が厳重に閉されていて番太郎(ばんたろう)の半鐘(はんしょう)が叩(たた)く人もいないのに独(ひとり)で勝手に鳴響いている。種彦は唯ただ不審の思(おもい)をなすばかり。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
後(うし)ろを顧みる必要なく、前を気遣(きづか)う必要もなく、ただ自我を思(おもい)のままに発展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極(きわ)むるものである
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
旗男は、思いがけなく親友のお父さんに会って、それこそ地獄で仏さまに会った思(おもい)だった。鉄造は横に座席をあけてくれた。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
古(いにしえ)より今に至るまで、成敗(せいばい)の跡、禍福の運、人をして思(おもい)を潜(ひそ)めしめ歎(たん)を発せしむるに足(た)るもの固(もと)より多し。されども人の奇を好むや、猶(なお)以(もっ)て足れりとせず。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)