おのれ)” の例文
人をあざむくか、おのれをあざむくか、どこかでうそをつかなければ、とうていああおおげさには、おいおい泣けるわけのものじゃない。
樗牛の事 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と小声に教えて、おのれは大音に、「赤城様、得三様。」いうかと思えば姿はし。すでに幕のうしろへ飛込みたるその早さ消ゆるに似たり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
うむを見て男魚をなおのれ白䱊しらこ弾着ひりつけすぐ女魚めな男魚をなほりのけたる沙石しやせきを左右より尾鰭をひれにてすくひかけてうづむ。一つぶながさるゝ事をせず。
寺で聞けば宜しいに、おのれが殺した女の墓所はかしょ、事によったら、とがめられはしないか、と脚疵すねきずで、手桶をげて墓場でまご/\して居る。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
美和子は、真面目な表情で、鏡の中のおのれに、ジッと見入りながら、反り返っているまつ毛の一本一本に、メーヴェリンを塗っている。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
しかもその修養のうちには、自制とか克己こっきとかいういわゆる漢学者から受けいで、いておのれめた痕迹こんせきがないと云う事を発見した。
長谷川君と余 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おそかなおのれより三歳みつわか山田やまだすで竪琴草子たてごとざうしなる一篇いつぺんつゞつて、とうからあたへつ者であつたのは奈何どうです、さうふ物を書いたから
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思っていたのだが、今、ふとおのれが生きていることと、その意味が、はっと私をはじいた。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
大なる自己の実現である(ヘーゲルのいったように、凡ての学問の目的は、精神が天地間の万物においておのれ自身を知るにあるのである)
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
それは、新しい未知の環境の中におのれを投出して、おのれの中にあつてだ己の知らないでゐる力を存分に試みることだつたのではないのか。
彼はおのれの責任を忘れて、きょろきょろと四辺あたりを見廻したのちに、解きかけていた帯をそこそこに締直しめなおして、枕橋の方へ曲って往った。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
邦強く敵無くんば、まさに長策をふるうて四方を鞭撻べんたつせんとす、則ち人をしておのれに備うるにいとまあらざらしむ、何ぞ区々防禦のみを言わんや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
かれはおのれの身に引き当ててしみじみと感じたのである。これほどの活手段はあの『無門関』などにもちょっとなかったようである。
「そういう訳なら師を取らずにおのれ一人工夫を凝らし、東軍流にて秘すところの微塵みじんの構えを打ち破り清左衛門めを打ち据えてくれよう」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
なぜなら彼女にしてみればおのれを欺き世を欺くのが不愉快であるばかりでなく、阿曽の感情をも考えなければならないからだった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
おのれえりがみをつかんでいるのは、二十七、八の小男であった。若い侍のくせに、髪を総髪そうはつにして後ろへ垂れ、イヤにもったいぶった風采ふうさい
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうわさを聞き伝えた奴国の宮の娘を持った母親たちは、おのれの娘にはなやかなよそおいをこらさせ、髪を飾らせて戸の外に立たせ始めた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
ソレ書生タルモノ平時互ニ相誇ルニアルイハ博覧考証ヲ以テシアルイハ詩若シクハ文章ヲ以テシ皆自ラいえラク天下おのれクモノハシト。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人をうらみ、怒り、おのれの生涯に不平不満を持つことは常住となる。けれどもそれは、それまでの仏法の教にしたがえばすべて堕獄の因である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
と堀尾君はおのれを制することを忘れた。書き潰しの悪いことは分っているけれど、十五枚丁寧にズラリと並べられたのが癪に障ったのである。
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
支那人は何としても国家的に団結して、共同の利益のために、いわゆる政治的に国家的におのれを捨て、国に尽すという精神が一番欠乏している。
軽薄な細工物は云はばすたり易い流行物はやりもの、一流のみさをを立てゝおのれの分を守るのが名人気質だと云ふのが分らぬか、この不了簡者。
名工出世譚 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
あいするところ((ノ人))をろんずればすなはもつ(七五)るとせられ、にくところ((ノ人))をろんずれば、すなはもつおのれこころむとせらる。
「なんという迂濶うかつなことだ。なんという愚かな眼だ。自分のすぐそばにいる妻がどんな人間であるかさえおのれは知らずにいた」
日本婦道記:松の花 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それはおのれ自身の不明を暴露するものであって、俳句の如き短詩型にあっては殊につつしむべき事である。(『玉藻』、二九、八)
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
この方が多分一つ前の俗信で、つまりはおのれの心に欲せざるところを、人に向かって逆用しようとしたものであるらしいのだ。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
青年エリフまたヨブに説く所ありしも効果すくなく、ここにおのれの力も他人ひとの力もヨブを救うあたわざるに至って、エホバの声ついに大風の中に聞える。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
そして水から上がるとただちに天が裂けて御霊みたまおのれに、原語どおりに言えば「己の中に」——マタイ伝、ルカ伝には「上」にとなっていますが
おのれはとてもかくてもなむ、女のかく若き程に、かくてあるなむいといとほしき、京にのぼりてよき宮仕をもせよ。よろしきやにもならば、我を
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
羨しくのしもには存を添へて読むべきである。茶山はつねおのれに子の無いことを歎いてゐた。それゆゑ棭斎が懐之を連れてゐたのを羨ましく思つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
まづおのれからその道にそむきて、君をほろぼし、国を奪へるものにしあれば、みな虚偽いつわりにて、まことはよき人にあらず、いとも/\しき人なりけり。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は自分では気がつかないが、怠け者のせいか、それともまた役に立たないせいか、とにかく運動をがえんじないで、分に安じおのれを守る人らしく見えた。
端午節 (新字新仮名) / 魯迅(著)
塚田巡査は職務上これを捨置すておく訳には行かぬ。取敢とりあえその屍体を町へ運ばせて、おのれその報告書を作る準備にとりかかった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
頃者このごろ年穀ねんこく豊かならず、疫癘やくらいしきりに至り、慙懼ざんくこもごも集りて、ひとりらうしておのれを罪す。これを以て広く蒼生さうせいためあまね景福けいふくを求む。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
例えば、という字とおのれという字との違い、これなどは紛れやすいから、きっとこんなのを試験に出すのだろう、よく覚えて置こう、と思うのである。
入学試験前後 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
あらため見るに我が居間ゐまえんの下より怪きはこさがし出しふたあけけるにおのれのろ人形ひとがたなれば大いに怒り夫より呪咀しゆそ始末しまつ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しかし結局これがおのれの今やらなければならないことなんだと思い諦めてまたその努力を続けてゆくほかなかった。
のんきな患者 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
「そんな時は、おのれたなくては。」兄は唐突なやうにかう云つて、手に持つてゐた杖を敷石の上に衝き立てた。
(新字旧仮名) / グスターフ・ウィード(著)
北方の狐のたたりは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江蘇浙江こうそせつこう地方の五通に至っては、民家に美しいおんながあるときっとおのれの所有として
五通 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
それから立居振舞も気が利いていて、風采も都人士めいている。「それに第一流の大家と来ている」と、オオビュルナンは口の内で詞に出しておのれあざけった。
田舎 (新字新仮名) / マルセル・プレヴォー(著)
さはらぬ人にたゝりはない、おのれの気持を清浄に保ち、怪我けがのないやうにするには、孤独をえらぶよりないと考へた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
……まして、いわんや、上様お手飼のお鶴。上の御仁慈ごじんじをうけつがぬことはないはず。おのれのために、尊い人間の一命を失わせるようなことはいたしますまい。
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その一例として「おのれの欲するところを、人に施せ」という格言を取り上げて、その内容を吟味してみよう。
無知 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
武士はおのれを知る者のために死すだ。考えてみると吾輩というこの人間の廃物を拾い上げてくれた奴は、次から次に、吾輩のために非業ひごうの死を遂げて行くようだ。
超人鬚野博士 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それで彼様あんな風に為つたのだと言ふけれど、単に愛情の過度といふのみで、それで人間が、おのれの故郷の家屋を焼くといふ程の烈しい暗黒のきやうに陥るであらうか。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
女はおのれを省みると、不似合いという晴がましさを感ぜずにいられない源氏からどんなに熱情的に思われても、これをうれしいこととすることができないのである。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
やり入れたるが水は馬の太腹にも及び車の臺へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着きかねてあへぐに流石さすが我武者馬丁がむしやべつたうすべなくておのれ川中へ下り立ち四人を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
また獲物ある時これを藪中に匿しさもなきていで藪外を巡りおのれより強きもの来らざるを確かめて後初めて食う、もし人来るを見れば椰子殻やしがらなどをくわえて疾走し去る
論語にある「おのれの欲するところに従えどものりえず」の一句こそ実に自由の定義をく述べて尽したものであると前号に説明し、しからば矩とは何なるかと反問し
自由の真髄 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
私心のあかを洗った愛念もなく、人々おのれ一個のわたくしをのみ思ッて、おの自恣じしに物を言い、己が自恣に挙動たちふるまう※あざむいたり、欺かれたり、戯言ぎげんに託して人のこころを測ッてみたり
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)