前垂まえだれ)” の例文
この界隈の踊り場には、地つきの商店の子弟が前垂まえだれを外して踊りに来る。すこし馴染なじみになった顔にたまたま小初は相手をしてやると
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ビジネスカットとかいうのに刈り込んで、えりの深い毛糸のシャツを着て、前垂まえだれがけで立ち働いている姿にすら、どことなく品があった。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
背後うしろからお才を呼んで、前垂まえだれの端はきりりとしながら、つまなまめく白い素足で、畳触たたみざわりを、ちと荒く、ふいと座をったものである。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お紙幣のときはこれ見よがしに、青竹を細く削ってひとつに合わせた割箸みたいなものへ挟んで、赤前垂まえだれのお茶子が高座へ運んで持ってきた。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「なんですか、どうも気味の悪い話なんでござんすよ」と内儀さんは細いまゆしかめると、赤い裏のついた前垂まえだれを両手で顔の上へ持っていった。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
自分は子供ながら、この爺さんの年はいくつなんだろうと思った。ところへ裏のかけひから手桶ておけに水をんで来たかみさんが、前垂まえだれで手をきながら
夢十夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それでは働くのに不便なので、すそを少しばかり割り裂いて、足の働きの自由なようにしたのを前掛まえかけまはた前垂まえだれと謂った。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
胸当むねあてにつづけたる白前垂まえだれ掛けたる下女はしため麦酒ビールの泡だてるを、ゆり越すばかり盛りたる例の大杯おおさかずきを、四つ五つづつ、とり手を寄せてもろ手に握りもち
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
もう羽織はなしで、つむぎだか銘仙だか、夫とももッい物だか、其も薩張さっぱり分らなかったが、なにしても半襟の掛った柔か物で、前垂まえだれを締めて居たようだった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
渡瀬が注意せずにいられなかったのは立ち上った奥さんの節長ふしながに延びた腰から下に垂れ下っている前垂まえだれの、いうにいわれないなまめかしい感じだけだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ジョンジョンと言って呼ばれると犬は喜んで横飛びに飛んで行って彼女の前垂まえだれに飛びついていたのである。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
また『春告鳥』に「御納戸と媚茶と鼠色の染分けにせし、五分ほどの手綱染たづなぞめ前垂まえだれ」その他のことを叙した後に「意気なこしらへで御座いませう」といってある。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
五十恰好の禿頭はげあたまのデップリした親爺おやじで、しまの羽織に前垂まえだれ雪駄せったという、おまりの町家まちやの旦那風だったが、帽子を冠らないで懐手ふところでをしたまま、自分のうちの材木置場から
近眼芸妓と迷宮事件 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
仏蘭西フランス風のしま前垂まえだれを掛けた下女が部屋のを開けて、岸本のところへ昼食の時を知らせに来た。下宿でも主婦かみさんめいはリモオジュへ帰って、田舎出いなかでの下女がやとわれて来ていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
稚児ちごまげにっていて、寸の短い着物に前垂まえだれをかけていた。上唇うわくちびるがきもちむくれていて、いつもかすかに口をあけているような感じであったが、気になるというほどではなかった。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
その龕子がんす一つでも二百円以上三百円位するそうです。で右の腕には小さな法螺貝ほらがいから腕環うでわ、左の腕には銀の彫物ほりもののしてある腕環を掛けて居る。それから前垂まえだれは誰でも掛けて居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
この脇差の柄を縛った前垂まえだれをどこへ隠した。先刻さっきまで、少し血が付いているのに気が付かずに、そこへ放っておいたろう、——俺はそれを隠させるつもりでここを明けてやったんだ。
為吉はうつむいて前垂まえだれひもをいじっていてしばらく答えませんでした。何か心の中で当てにして来たことが、ぴったり父の心に入らないで、話の気勢をくじかれたような気がしたのでした。
少年と海 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
お村の姿なりは南部の藍の乱竪縞らんたつじま座敷着ざしきぎ平常着ふだんぎおろした小袖こそでに、翁格子おきなごうし紺繻子こんじゅすの腹合せの帯をしめ、髪は達摩返しに結い、散斑ばらふくし珊瑚珠さんごじゅ五分玉ごぶだまのついた銀笄ぎんかんし、前垂まえだれがけで
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
けれどもしきいまたときに、片方かたほう上沓うわぐつげたので、片足かたあしには、上沓うわぐつ穿き、片足かたあしは、沓下くつしただけで、前垂まえだれけ、片手かたてには、黄金きんくさり片手かたてには、ヤットコをって、まちなか跳出とびだしました。
その途端とたんに扉のきしる音がして入った者があった。それは白い前垂まえだれをしたわかい女が盆の上に瓢箪ひょうたんの形をした陶品せともののビンを載せ、それに小さなあしの長いコップをえて持って来たところであった。
港の妖婦 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
目の鋭い腰の細い、あぶらぎったぼうしと着物を着て、黒い前垂まえだれをしていたが、その破れは所どころ白い布でつぎはぎしてあった。若い男は手を額のあたりで組みあわして、どこから来たかと訊いた。
田七郎 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
善六が着物をがれて追い出される時、ちょっと別れのおかしみがあって、「善六さん、さらばでござんす。」とうたになり、前垂まえだれで顔をおさえながら奥へはいる姿、これもわたしの眼に残っている。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「あれが三はば前垂まえだれといって、昔からこの地方特有のものだそうです」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
粗き前垂まえだれ掛け、太き紐を腰にまとへり。5870
一番年上の悪太郎が、前垂まえだれで、覆面をして
雲霧閻魔帳 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは湯宿の込合う折は、いつでも手伝いにならい。給仕に出た座敷の客の心づけたものであろう、その上に、白金巾しろかなきんの西洋前垂まえだれ
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
暗室の内では、なまり前垂まえだれをしめた赤星探偵が、大きな石盤のような形をした蛍光板けいこうばんを目の高さにさしあげ、壁とすれすれにそれを上下に動かしています。
赤耀館事件の真相 (新字新仮名) / 海野十三(著)
女は白足袋たびの儘すなだらけの縁側へがつた。あるくと細い足の痕が出来る。たもとから白い前垂まえだれを出して帯の上からめた。其前垂のふちがレースの様にかゞつてある。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しなくなした前垂まえだれがけの鶴さんや、蝋細工ろうざいくのように唯美しいだけの浜屋の若主人に物足りなかったお島の心が、小野田のそうした風采ふうさいに段々惹着ひきつけられて行った。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それから前垂まえだれのようなものを着けていたような気もするがこれはいっそう覚束ない。
高浜さんと私 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
婆やはぴょこぴょこと幾度いくども頭をさげて、前垂まえだれで、顔をふきふき立って行った。
碁石を呑んだ八っちゃん (新字新仮名) / 有島武郎(著)
紫色の唐縮緬とうちりめんの帯を幅広にぐるぐると巻付けた男、大きなまげにさした髪の飾りも重そうに見える女の連れ、男の洋傘こうもりがさをさした娘もあれば、綿フランネルの前垂まえだれをして尻端しりはしを折った児もある。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
十九か二十歳はたちぐらいの見るからに初々ういういしい銀杏髷いちょうまげの小柄な女であった。所謂いわゆる丸ボチャの愛嬌顔で、派手な紺飛白こんがすりあわせに、花模様の赤前垂まえだれ、素足に赤い鼻緒のげチョケた塗下駄ぬりげたを穿いていた。
骸骨の黒穂 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と眉にも頬にもしわを寄せたが、のぞめば段もの端唄はうたといわず、前垂まえだれ掛けで、ほがらかに、またしめやかに、唄って聞かせるお妻なのであった。
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お志万は下俯向したうつむき、前垂まえだれをぎりぎりと噛んで、二三度うなずいてみせる。その白い襟元の美しさに烏啼は目をやって、貫一の奴はどこかに欠陥があるのかなと思った。
と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂まえだれの下から格子縞こうしじまか何かの御召おめしが出ているので、敬太郎はますます変に思った。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
するうちに、奥の暗い部屋でしで弄花はなが始まった。主婦は小肥りに肥った体に、繻子しゅすの半衿のかかった軟かいあわせを着て、年にしては派手な風通ふうつう前垂まえだれなどをかけていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その横に下町風の大桃割ももわれに結った娘が、用足しに出た途中であろう。前垂まえだれをかけたまま腰をかけて、世にも悩ましく、なまめかしく、燃え立つような頬と眼を輝かせながら、男にもたれかかっている。
芝居狂冒険 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その後方うしろに当時流行の襟巻えりまきを首に巻きつけ目を光らせながら立つ正己、髪を五刈りにして前垂まえだれ掛けの森夫、すこし首をかしげ物に驚いたような目つきをして寿平次の隣に腰掛ける和助——皆
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
撫子なでしこ円髷まるまげ前垂まえだれがけ、床の間の花籠はなかごに、黄の小菊と白菊の大輪なるをつぼみまじり投入れにしたるをながめ、手に三本みもとばかり常夏とこなつの花を持つ。
錦染滝白糸:――其一幕―― (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
時々酒問屋さかどんやの前などを御通りになると、目暗縞めくらじまの着物で唐桟とうざん前垂まえだれを三角に、小倉こくらの帯へはさんだ番頭さんが、菰被こもかぶりの飲口のみぐちをゆるめて、たるの中からわずかばかりの酒を
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「おお、あの何か江戸ッ子の、いつも前垂まえだれ掛けでおいでなさる、活溌な、ふァふァふァ、」と笑って、鯉がを呑んだような口附をする。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
所が此小坊主がどうしたとか、こうしたとか云うよりも祇園ぎおんの茶屋で歌をうたったり、酒を飲んだり、仲居なかい前垂まえだれを掛けて居たり、舞子が京都風に帯を結んで居たりするのが眼につく。
高浜虚子著『鶏頭』序 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
手を懐中ふところに暖めたとあっては、蕎麦屋そばやの、もり二杯の小婢の、ぼろ前垂まえだれの下に手首を突込むのと軌を一にする、と云ってしりぞけた。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そういえば裁縫おはりの師匠の内の小女こおんなが、たったいま一軒隣の芋屋から前垂まえだれで盆を包んで、裏へ入ったきり、日和のおもてに人通りがほとんどない。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二人の衣服きものにも、手拭てぬぐいにも、たすきにも、前垂まえだれにも、織っていたそのはたの色にも、いささかもこの色のなかっただけ、一入ひとしお鮮麗あざやかに明瞭に、脳中にえがいだされた。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
……当時の久松といったのが、前垂まえだれがけで、何か急用と見えて、逢いに来てからの狼藉ろうぜきが、まったく目に余ったんだ。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女中も、服装みなり木綿もめんだが、前垂まえだれがけのさっぱりした、年紀としわかい色白なのが、窓、欄干を覗く、松の中を、じ上るように三階へ案内した。——十畳敷。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
木格子きごうしの中に硝子戸がらすどを入れた店の、仕事の道具は見透みえすいたが、弟子の前垂まえだれも見えず、主人あるじの平吉が半纏はんてんも見えぬ。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)