手近てぢか)” の例文
今わたくしの手近てぢかにある系図には、一豊の弟は織田信長おだのぶながに仕えた修理亮しゅりのすけ康豊やすとよと、武田信玄たけだしんげんに仕えた法眼ほうげん日泰にったいとの二人しか載せてない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
気のどくなのは、手近てぢかの小さな広場をたよって、坂本さかもと、浅草、両国りょうごくなぞのような千坪二千坪ばかりの小公園なぞへにげこんだ人たちです。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
手近てぢか即興詩人そくきようしじんには、あきらかにヱズヰオとるが、これをそのまゝにはもちゐられぬ。いさゝか不確ふたしかなところを、丁度ちやうどい。
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
此教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据ゑて、事実の発展によつて証明せらるべき手近てぢかまことを、眼中がんちうに置かない無理なものであつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
どうしてまたあのように手近てぢかに豊富に産出し、且つあれほどまで美しく、変化の奇をきわめているといってよい宝の貝を、わざと避けたかと思うばかり
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今歳ことしのなつの避暑へきしよには伊香保いかほかんか磯部いそべにせんか、ひとおほからんはわびしかるべし、うしながら引入ひきいれる中川なかゞはのやどり手近てぢかくして心安こゝろやすところなからずやと
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
なるほど外観がいかんからいえば、このしゅまちや、工場こうじょうや、農園のうえんは、としてても、手近てぢかなものであるにちがいない。問題もんだいは、そのまちや、むらはたらいているひとたちのことだ。
兄の声 (新字新仮名) / 小川未明(著)
俯向き加減に首をチヨコ/\振りながら歩く今日此の頃のリヽーを見ると、諸行無常しょぎょうむじょうことわり手近てぢかに示された心地がして、云ふに云はれず悲しくなつて来るのであつた。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と書いてくれた納経帖をうけとつて、いとまを告げ、われ/\は、手近てぢかの裏門から外へでた。
にはかへんろ記 (新字旧仮名) / 久保田万太郎(著)
揚物あげものあぶらなべなかにて發火はつかした場合ばあひは、手近てぢかにあるうどん菜葉なつぱなどをなべむこと。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
何処にもゐるとは云へぬかも知れぬ、が、何処かにゐさうだ位の心もちを含んだ言葉である。人々はその主人公が、手近てぢかに住んで居らぬ所に、惝怳しやうけいの意味を見出みいだすのであらう。
点心 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
椿岳は着物ばかりでなく、そこらで売ってる仕入物しいれものが何でも嫌いで皆手細工てざいくであった。紙入かみいれや銭入も決して袋物屋の出来合できあいを使わないで、手近てぢかにあり合せた袋で間に合わしていた。
身体裝飾しんたいそうしよくとして用ゐられしならんとおもはるる土製品どせいひんは極めてまれにして、好例こうれいとして示すべき物は余の手近てぢかには唯一個有るのみなり。(圖中づちう下段げだん右のはしを見よ)此品は大森貝塚おほもりかいづかより發見されたり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
これは犬に出來るすべてだつた。——呼ばうにも手近てぢかに助けを頼むものは、私の他にないのだから。私は犬の後にいて、頻りと馬から身をふり離さうともがいてゐる旅人の處まで下りて行つた。
そこで継母ままははは、自分じぶん居室いまにある箪笥たんすのところにって、手近てぢか抽斗ひきだしから、しろ手巾はんけちしてて、あたまくび密着くっつけたうえを、ぐるぐるといて、きずわからないようにし、そして林檎りんごたせて
糟谷が上京以来じょうきょういらいたえず同情どうじょうせて、ねんごろまじわってきた、当区とうく畜産家ちくさんか西田にしだという人が、糟谷の現状げんじょうを見るにしのびないで、ついに自分の手近てぢかさしたのであるが、糟谷が十年んでおった
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
彼女は、手近てぢかに居たあおぶくれの看護婦にいた。
柿色の紙風船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
外崎さんはおおよそこれだけの事を語って、追って手近てぢかにある書籍の中から抽斎に関する記事を抄出して贈ろうと約した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その代わりお手近てぢかのご用は、わざとほかの者にお言いつけになって、それとなく二人をおこらしめになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
手近てぢかなのの、裂目さけめくちを、わたしあまりのことに、でふさいだ。ふさいでも、く。いてれると、したしたやうにえて、風呂敷包ふろしきづつみ甘澁あましぶくニヤリとわらつた。
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
俯向うつむき加減に首をチヨコ/\振りながら歩く今日此の頃のリヽーを見ると、諸行無常しょぎょうむじょうことわり手近てぢかに示された心地がして、云ふに云はれず悲しくなつて来るのであつた。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ともかくも土地に手近てぢかに見出さるる自然の産物に、限られていたろうことは疑いがない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
流石さすが信如しんによそでふりりてゆきすぎることもならず、さりとてひとおもはくいよ/\らければ、手近てぢかえだ引寄ひきよせて好惡よしあしかまはず申譯まうしわけばかりにりて、なげつけるやうにすたすたと行過ゆきすぎるを
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
詩人とは自分の屍骸しがいを、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近てぢかなのはなんでもでも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
化學藥品かがくやくひん油類ゆるい發火はつかたいしては、燃燒せんしようさまたげる藥品やくひんもつて、處理しよりする方法ほう/\もあるけれども、普通ふつう場合ばあひにはすなでよろしい。もし蒲團ふとん茣蓙ござ手近てぢかにあつたならば、それをもつおほふことも一法いちほうである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
俯向うつむき加減に首をチョコチョコ振りながら歩く今日この頃のリリーを見ると、諸行無常しょぎょうむじょうことわり手近てぢかに示された心地がして、云うに云われず悲しくなって来るのであった。
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
むかしは加州山中かしうさんちう温泉宿をんせんやどに、住居すまひ大圍爐裡おほゐろりに、はひなかから、かさのかこみ一尺いつしやくばかりの眞黒まつくろきのこ三本さんぼんづゝ、つゞけて五日いつかえた、とふのが、手近てぢか三州奇談さんしうきだんる。
くさびら (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
まんなかなる一まいとてもかぞふればまへなるを、ねがひのたか相應さうおう員數いんず手近てぢかところになくなりしとあらば、れにしてもうたがひは何處いづこくべき、調しらべられなばなにとせん、なにといはん、けんは罪深つみふか
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
遠く離れた太平洋上の島々にまで、もしも比較をし進めて行こうとすれば、やはり手近てぢかの数多い事実に拠って、かつてそのニルヤが如何いかなる処だと、考えられていたかをたしかめてかかるほかはない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
手近てぢかところ引較ひきくらべる……一寸ちよつと伊豆いづ大仁おほひとつたがしたのである。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ことにかわらで屋根を葺いた家が、何軒でも新築せられるようになると、萱野などはなにかもっとよい利用のみちがありそうなものだという考えが起こりやすく、以前の手近てぢかなところの萱野はなくなって
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
如何いかに、ところひとはわたりさふらふか。——番頭ばんとうよびだすもどくだ。手近てぢかなのは——閑靜期かんせいきとかできやくがないので、わたしどもが一番いちばん座敷ざしきだから——一番いちばんさん、受持うけもち女中ぢよちうだが、……そも/\これにはよわつた。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)