“法眼”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ほうげん81.8%
はふげん18.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
今わたくしの手近てぢかにある系図には、一豊の弟は織田信長おだのぶながに仕えた修理亮しゅりのすけ康豊やすとよと、武田信玄たけだしんげんに仕えた法眼ほうげん日泰にったいとの二人しか載せてない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
保胤の兄保憲は十歳ばかりの童児の時、法眼ほうげん既に明らかにして鬼神を見て父に注意したと語り伝えられた其道の天才であり
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
玄川先祖より次第にはかう記してある。「法眼はふげん紹巴、おなじく玄仍げんじよう、同玄陳、同玄俊、玄心、紹尹せうゐん、玄立、玄立、法橋ほつけう玄川寛政六年六月二十日法橋」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
文化の末より法眼はふげんとしてあつて、持高と住所とは旧に依つてゐる。武田氏は由緒ある家とおぼしく、家に後水尾天皇の宸翰二通、後小松天皇の宸翰一通を蔵してゐたさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)