“法橋”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ほっきょう75.0%
ほつけう25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
信近はまだ法橋ほっきょうにはなっていなかったが、すでに狩野派の長老であり、御殿絵師としても東西を圧する威勢をもっていた。
おれの女房 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「昨夜じゅう、今か今かと待っていたが、住吉からは、何の連絡も来なかったな。——ついに切目きりめ法橋ほっきょうの舟軍は、いまだに影を見せぬものか」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄川先祖より次第にはかう記してある。「法眼はふげん紹巴、おなじく玄仍げんじよう、同玄陳、同玄俊、玄心、紹尹せうゐん、玄立、玄立、法橋ほつけう玄川寛政六年六月二十日法橋」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
人々は一二七木村常陸介きむらひたちのすけ雀部ささべ淡路、白江備後、熊谷くまがへ大膳、粟野杢あはのもく日比野下野ひびの(しもつけ)、山口少雲せううん丸毛不心まるもふしん隆西りうさい入道、山本主殿とのも、山田三十郎、不破ふは万作、かく云ふは紹巴ぜうは一二八法橋ほつけうなり。