法橋ほつけう)” の例文
玄川先祖より次第にはかう記してある。「法眼はふげん紹巴、おなじく玄仍げんじよう、同玄陳、同玄俊、玄心、紹尹せうゐん、玄立、玄立、法橋ほつけう玄川寛政六年六月二十日法橋」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
人々は一二七木村常陸介きむらひたちのすけ雀部ささべ淡路、白江備後、熊谷くまがへ大膳、粟野杢あはのもく日比野下野ひびの(しもつけ)、山口少雲せううん丸毛不心まるもふしん隆西りうさい入道、山本主殿とのも、山田三十郎、不破ふは万作、かく云ふは紹巴ぜうは一二八法橋ほつけうなり。