はた)” の例文
はたと、これに空想の前途ゆくてさえぎられて、驚いて心付こころづくと、赤楝蛇やまかがしのあとを過ぎて、はたを織る婦人おんな小家こいえも通り越していたのであった。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
翌朝よくあさきると、すでにづかれたとさとったものか、はたは、のこしのままになって、おんな姿すがたはどこへかえてえなかったのでした。
はまねこ (新字新仮名) / 小川未明(著)
はたを離れて、彼はひとり、裏の桃林を逍遥していた。はや晩春なので、桃の花はみな散り尽して黒い花のしべを梢に見るだけであった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その夜、庄兵衛とひょろ松が、尼寺のその巣を突きとめ、踏みこんで見ると、どこからかはたを織る筬の音と低い機織唄がきこえて来る。
顎十郎捕物帳:03 都鳥 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
女将、君の企んだその二役には、微妙なこと、まさに人間わざとも思われない……まるで、はたにある梭糸おさいとのような計画があったね。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
はたを織るおさの音が、この乱世に太平の響きをさせる。知らず知らず綾小路あやこうじを廻って見れば、田圃の中には島原のもやを赤く焼いている。
「オバコ」という草なぞを採って、その葉の繊維に糸を通して、はたを織る子供らしい真似まねをした隣の家の娘の側へ帰って行った。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
暗いうちから起きて糸を繰ったりはたを織ったり、また山之助さんは牛馬ぎゅうばいて姉弟で斯う稼ぐ人は余り見た事がない、実に感心の事じゃ
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
桃太郎の桃でも瓜子姫うりこひめの瓜でも、ともに川上から流れ下り、滝壺たきつぼふちには竜宮の乙媛おとひめはたを織っておられるようにも伝えている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
其の静ななかに、長屋の隅ツこの方から、トントン、カラリ……秋晴の空氣を顫はせて、はたを織る音かさも田舎びて聞えて來る。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そのまた鬼の妻や娘もはたを織ったり、酒をかもしたり、らんの花束をこしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。
桃太郎 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
 貴重尊用きちようそんようちゞみをさらすはこれらとはおなじくせず、別にさらし場をもうけ、よろづに心を用ひてさらす事御はたをおるに同じ。
荒廃した境内の風情ふぜいもおもしろかった。鐘楼には納屋がわりにわらが積んであり、本堂のうしろの木陰にはむしろを敷いてはたが出してあった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
こういう手機てばたものが他に少い時とて、仕事ははっきりした存在を示しました。もとより絹でも織り、好んで太織風ふとおりふうなものをはたにかけました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
瓜子姫子うりこひめこはあとに一人ひとり、おとなしくお留守番るすばんをして、あいかわらず、とんからりこ、とんからりこ、ぎいぎいばったん、はたっていました。
瓜子姫子 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
お姫さまがはたを織っていると、あまのじゃくがそっと戸をあけてくれと言う。いやいやと言うと、指一本はいるだけと言う。
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
與吉よきちひとんだおしなそば熟睡じゆくすゐしてた。卯平うへいあへずおしなむねあはせてやつた。さうしてはた道具だうぐひとつである蒲團ふとんせた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ちょうどそのときは、孟母ははたを織っていた。母は孟子の姿を見ると、一瞬はうれしそうであったが、すぐに容子を変えて、優しくこう訊ねた。
孟母断機 (新字新仮名) / 上村松園(著)
タルターロびとまたはトルコ人の作れるきぬ浮織うきおり裏文表文うらあやおてあやにだにかく多くの色あるはなく、アラーニエのはたにだに 一六—
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
来るべき神のためにはたを構えて、布を織っていた。神御服カムミソはすなわち、神の身とも考えられていたからだ。この悠遠な古代の印象が、今に残った。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
はたが行きかふ樣になつた時、義雄はその意味を取り違へたり、ただやかましい噪音が聽えたりする瞬間もあつた。
路のかどはたを織っている女の前に立って村の若者が何かしゃべっていると、女は知らん顔でせっせとおさを運んでいる。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
その綱は有合せの短かいなはを三本も結び合せたもので、結び目が一寸見ると男結びに似たはた結びだつたことなどが、咄嗟とつさの間に平次の注意をひきます。
女子 黒い糸もまた切れた! (と決心せる如くはたより立ち離れ、場の中央に立ちて下手の口の堅き鉄の扉を見詰む。——扉の外にて軽き足音聞こゆ)
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その家じゃはたもどんどん織るし、飯田いいだあたりから反物を売りに来れば、小姑たちにそれを買って着せもしたが、わしには一枚だって拵えてくれやしない。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
裁縫をやりはたを織るとかいう、一つの独立自営の道、あるいは一家の主婦たる務めを十分に満たすことが出来るように、銘々にその素養を修めておって
女子教育の目的 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
彼女ははたからとびおりて、泥とあかにまみれたわが子を抱き緊め、おろおろしながら、どうして帰って来たのか、もしやはぐれでもしたのかと問いただした。
似而非物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
うしないまだも無りしが其後をつとを持ず姑につかへて孝行を盡くしけるに元より其いへまづしければあさをうみはたを織て朝夕姑女しうとめ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まだこの道は壺坂寺から遠くもなんだ、それに壺坂寺の深い印象は私に、あのおさとというローマンチックな女は、こんなはたを織る女では無かったろうか
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
ひと春妹の縁談がおこり帰省すると、家に三台のはたがのこされてゐるばかりであつた。三台といへば、わずかに一人の女工によつて動かすだけの数である。
狼園 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
私の村では、又、日中所々の家にはたを織る音が聞える。町に行つて買う布よりも、糸を仕入れて、染めて織る方が安価で丈夫な布が得られるといふのである。
諏訪湖畔冬の生活 (新字旧仮名) / 島木赤彦(著)
暗い土間を通り越して、奥をのぞいて見たら、窓のそばはたえて、白い疎髯そぜんを生やしたじいさんが、せっせと梭をげていた。織っていたものはあら白布しろぬのである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それからはたを織る意味の「織」は「於瑠」、「淤呂須」というのは織るということを敬語にしたのであります。それから「弟」は「乙登」、「淤登」、「於止」。
古代国語の音韻に就いて (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
織り物をするところでは、輸出向きのタフタのようなものを、動力をつかった沢山のはたで織っているのですが、ここは千紫万紅せんしばんこう色とりどりに美しい布の洪水こうずいです。
城下町の名残りをとどめている古い家が、いたるところにあり、武者窓のついた部屋の内側から、パタン、パタン、と、伊予絣を織っているはたの音が聞えて来た。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
低い砂丘のその松原は予想外に閑寂かんじゃくであった。松ヶ根のはぎむら、孟宗もうそうの影の映った萱家かややの黄いろい荒壁、はたの音、いかにも昔噺むかしばなしの中のひなびた村の日ざかりであった。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
方々のはたの音が遠くの虫を聞くようである。自分は足もとのわが宿を見下す。宿は小鳥の逃げた空籠のようである。離れの屋根には木の葉が一面に積ってちている。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
その時メトリの王ははたにいて織物を織つておいでになりました。天皇のお歌いになりました御歌は
今多く結つて居るまげは毛をちひさく分けて指の先でふうわりと一寸程の高さの輪に巻いてピンを横に差して押さへた、はたを織るの中の管糸巻くだいとまきの様なのを、多いのは二十程
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
村の人達は、たいてい漁をしたりはたを織つたりして、その日その日を平和に暮して居りました。
虹の橋 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
特にはたを織りてありしとき、偶然その糸が断絶せしことのごときは、かの女子の織りてありし機にして、彼が「今、わが機にしかじかの怪事ありたり」と告げしによりて
あの、母狐が秋の夕ぐれに障子しょうじの中ではたを織っている、とんからり、とんからりと云うおさの音。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それよりいよいよその日のえきにつきて、あるいは赤き着物をい、あるいははたを織り糸をつむぐ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
親が子供の目の前ではたを織ったり米をいたりして、それがすぐと自分たちをやしなっているのと、間接に供給されるのとでは、情味においてはだいぶちがってくるのです。
親子の愛の完成 (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
童子の母さまは、一生けん命はたって、塾料じゅくりょう小遣こづかいやらをこしらえておおくりなさいました。
雁の童子 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
向うのへやはたを織つておいでになつた楠さんの母様かあさんも出て来て私をいたはつて下さいました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
第二、人にはおのおの智恵あり。智恵はもって物の道理を発明し、事を成すの目途を誤ることなし。譬えば米を作るにこやしの法を考え、木綿を織るにはたの工夫をするがごとし。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
むしなかでもばつたはかしこむしでした。このごろは、がな一にちつきのよいばんなどは、そのつきほしのひかりをたよりに夜露よつゆのとつぷりをりる夜闌よふけまで、母娘おやこでせつせとはたつてゐました。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
……遠く近くで打出す半鐘はんしょうの音……自動車ポンプのうなり……子供の泣き声、はたを織るひびき……どこかの工場で吹出す汽笛の音……と次から次へ無意識のうちに耳にしながら、右に曲り
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「君がため手力たぢから疲れ織りたるきぬぞ、春さらばいかなる色にりてばけむ」(巻七・一二八一)なども、女の気持であるが、やはり労働歌で、はた織りながらうたう女の歌の気持である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)