かえり)” の例文
でも、良吉が傍で洗濯物や乾魚を小さい行李こうりに収めて明日の出立の用意をしかけると、辰男も書物をいてしばしばその方をかえりみた。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
「やあ、こんなはながここにいているのはめずらしい。このとこなつは、たかやまにあるとこなつです。」と、ほかの人々ひとびとかえりみていった。
公園の花と毒蛾 (新字新仮名) / 小川未明(著)
……殿には、御縁あってかく御厚遇をうけましたが、かえりみるに、何の御奉公も仕らず、ただそれのみが、臨終いまわの心のこりにござります
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はそう云いながら、手に持った雨外套レインコートと双眼鏡を置くためにうしろの縁をかえりみた。そばに立った千代子は高木の動かない前に手を出した。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
よわい人生の六分ろくぶに達し、今にして過ぎかたかえりみれば、行いし事として罪悪ならぬはなく、謀慮おもんばかりし事として誤謬ごびゅうならぬはなきぞかし。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
これも明るい近代的の俳句であり、万葉集あたりの歌を聯想れんそうされる。万葉の歌に「東の野に陽炎かげろうの立つ見えてかえりみすれば月傾きぬ」
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
高坂はもと来たかたかえりみたが、草のほかには何もない、一歩ひとあしさき花売はなうりの女、如何いかにも身にみて聞くように、俯向うつむいてくのであった。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして彼は進んで「汝もし神に求め全能者に祈り、清くかつ正しうしてあらば、必ず今汝をかえりみ汝のただしき家を栄えしめ給わん……」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
「いえ、滑り行く——なんてどうして、彼奴は蹌踉き行ったのですよ。ハハハハハ」と法水は爆笑を上げながら、レヴェズ氏をかえりみて
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
たとえば仁義じんぎのために死するとか、国家の責任を双肩そうけんになって立つとか、邦家ほうかのためには一身をかえりみず、知遇ちぐうのためにはいのちおとすとか
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
たえずつとめて自分の平凡な才をみがくべき年ごろに、彼はずるずると坂を滑り落ちてかえりみなかった。そして他人に地位を奪われていった。
いったい裏飛騨の漁師は、岩魚を釣っても売り場がないからかてに代えるわけにいかぬ。そこで岩魚や山女魚はかえりみないのである。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
続く幾つかの室内楽や美しい歌曲リードの数々は、友人達に励まされてとにもかくにも世に送り出されたが、当時は誰もかえりみるものはなかった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
ガラガラと、引き戸になっている、陥穽おとしあなへの入口が、あいたらしく、やがて、かえりみられぬ女のやけ腹な、おこりッぽい調子で
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
われは珈琲代の白銅貨を、帳場の石板の上にげ、外套がいとう取りて出でて見しに、花売の子は、ひとりさめさめと泣きてゆくを、呼べどもかえりみず。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
今まで黙っていた廉州先生は、王氏のほうをかえりみると、いちいち画の佳所かしょを指さしながら、さかんに感歎の声をげ始めました。
秋山図 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と弁護するのか悪く言うのかイヤに笑って我が妻をかえりみる。妻君も苦笑いして下を向くは折々二度の髪を結うたちと見えたり。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
帆村は慄然りつぜんとして、隣席の牧山大佐をかえりみた。しかし大佐の姿は、もうそこにはなかった。その代り受話器の中から儼然げんぜんたる号令が聞えてきた。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼は大鳥家の人に不二子さんを渡してしまうと、波越警部とエベール氏をかえりみて、ちょっと恥かし相な微笑を浮べながら、こんなことを云った。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
これらのことをかえりみると、どうしたら手仕事を安全に持続させまた発達させるかということは、国家にとって大きな課題だといわねばなりません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それではなはだ迷惑であるからご免をこうむりたいといって再三辞退を申したけれども、是非ぜひ何か述べる様にというので不肖ふしょうかえりみず一言述べようと思います。
国民教育の複本位 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
ややもすれば湧き立とうとする人の情と人の心を、荒々しい言葉でおさえつけるように手きびしく叱っておくと、かたわらをかえりみて対馬守はふいっと言った。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
フランシスを弁護する人がありでもすると、嫉妬しっとを感じないではいられないほど好意を持ち出した。その時からクララは凡ての縁談をかえりみなくなった。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そう考えるに付けても、彼はの三年以来自分に振りかゝって来た夢のような華やかな幸運が、振りかえりみられた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
つまりここでもまた、本人同志の意志が少しもかえりみられず、ただ、親達の都合のために結婚させられたのである。
ソコデ私の見る所で、新政府人の挙動はすべて儒教の糟粕そうはくめ、古学の固陋ころう主義より割出して空威張からいばりするのみ。かえりみて外国人の評論を聞けば右の通り。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
越しかたかえりみれば、眼下がんかに展開する十勝の大平野だいへいやは、蒼茫そうぼうとして唯くもの如くまた海の如く、かえって北東の方を望めば、黛色たいしょく連山れんざん波濤はとうの如く起伏して居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
かえりみてれば、一国の独立は国民の独立にもといし、国民の独立はその精神の独立に根ざす(謹聴々々、拍手)。
祝東京専門学校之開校 (新字新仮名) / 小野梓(著)
父親は云う事を聴かないと、うちを追出して古井戸の柳へ縛りつけるぞと怒鳴どなって、爛熳らんまんたる児童の天真てんしんを損う事をばかえりみなかった。ああ、恐しい幼少の記念。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
あとになって、父の性格をいろいろ考えてみたあげく、わたしの達した結論は、父としては私や家庭生活なんぞを、かえりみるひまがなかったということである。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
と能登守はお松をかえりみてこう言ってくれました。その言葉があったために、さっきから一生懸命で、言い出そう言い出そうとしていたお松は一時に力を得て
余は此町のうるわしさに殆ど不平の念を起し藻西が何故身の程をもかえりみず此町を撰びたるやとまで恨み初めぬ
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
従容しょうようとして去る。庸の諸将あいかえりみておどろるも、天子の詔、朕をして叔父しゅくふを殺すの名を負わしむるなかれの語あるを以て、矢をはなつをあえてせず。このまた戦う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
大迫玄蕃、決して臆病おくびょうな男ではない。が、思わず、声をんで、白けた眼が、うしろざまに床の間をかえりみた。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
然るに隣家の若主人が相続すると、先代の初七日も済まぬうちに、半分は俺のものだといって、お寺への通行人の迷惑をもかえりみず、自分の持分だけを崩し始めた。
青バスの女 (新字新仮名) / 辰野九紫(著)
おしつまって来るほどに匆忙そうぼうとして日は暮れる、とこけてある水仙——もしくは鉢に植えてある水仙——も、その多忙のために余りかえりみる人がなくって
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
先方ではそれを一年作って、さらにその大きさを増さしめ、そして次年じねんいきおいよく花を咲かせてその花を賞翫しょうがんする。花が咲いた後、弱った球根は捨ててかえりみない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
後代にこれをかえりみて神々の隠れたる意図、神のよざしと解しなかったら、むしろ不自然であったろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
校長さんは清三をかえりみて、「君はいりませんか、やすけりゃ少し買って甘露煮かんろににしておくといいがね」
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
これは女にむかって恋情を打明けたのちに、老体をかえりみた趣の歌だが、初句に、「あぢきなく」とあるから、遂げられない恋の苦痛が一番強く来ていることが分かる。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
その感じから想像に生れて来る、端的で速力的な世界は、彼女に自分のして来た生涯をかえりみさせた。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
松山さんをかえりみてはニヤニヤ笑い、「こら、大坂ダイハン、これでもか。これでもか」 といくつも撲った。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
慾望 は先にいったように小利を見ることに急であるからして他をかえりみるにいとまがない。しかしその利益を得るために自分が自立してやるかというに決してそうでない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
しかしともかくも三十年の学究生活の霞を透してかえりみた昔の学生生活の想い出の中には、あるいは一九三四年の学生諸君にも多少の参考になるものがないとも限らない。
科学に志す人へ (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは無論、永田という人間の商略から出た事であろうが、今日それ位の事をした所で、誰もかえりみる人はないであろうのに、絵双紙屋も平気でそれを並べれば、人々も
四谷、赤坂 (新字新仮名) / 宮島資夫(著)
帰舟かえりは客なかりき。醍醐だいごの入江の口をいずる時彦岳嵐ひこだけあらしみ、かえりみれば大白たいはくの光さざなみくだけ、こなたには大入島おおにゅうじまの火影はやきらめきそめぬ。静かに櫓こぐ翁の影黒く水に映れり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
作曲家でもあり作詞家でもあった孔子は、次第に遠離とおざかり行く都城をかえりみながら、歌う。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
良人おっとはしきりにうま鼻面はなづらでてやりながら『おまえもとうとう出世しゅっせして鈴懸すずかけになったか。イヤ結構けっこう結構けっこう! わしはもう呼名よびなについて反対はんたいはせんぞ……。』そうって、わたくしほうかえりみて
水に臨んだ広い楼上ろうじょうに登って、私は下りに下って来た鉄橋のはるかかえりみた。蘇川峡の奇勝、岩壁のたか、白帝城、雨と朱の夕焼けと花火と、今はただ眼にるものは雲である、江陵である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
もしそうだとしたら今後も流行するおそれがある。特に大戦争下などにはその虞れが濃厚であるとも思われるので、予防医学的な意味で、当時の世相をかえりみておくことも無用ではなかろう。
千里眼その他 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)