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神樣
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かみさま
神樣、どうかお
聽きになつてください。
私はあなたもよく
御承知ののんべえ です。
私がのんべえ なために
家の
生計は
火の
車です。
さうして、
神樣の
言葉すらも、やはり、
歌で
現されることになりました。それは
大方、
三つの
句の
形になつたものらしく
考へられます。
ヂュリ
誓言には
及びませぬ。
若し
又、
誓言なさるなら、わたしが
神樣とも
思ふお
前の
身をお
懸けなされ、すればお
言葉を
信じませう。
父さんのお
家の
裏にも、
斯のお
百姓の
神樣が
祀つてありました。
赤い
鳥居の
奧にある
小さな
社がそれです。
人の
言ふなり
温順しう
嫁入つて
來た
私を、
自然と
此樣な
運に
拵へて
置いて、
盲者を
谷へ
擠すやうな
事を
遊ばす、
神樣といふのですか
何ですか、
其方が
實に
恨めしい
『
神樣、
佛樣、
奧樣と
日出雄樣の
御身をお
助け
下さい。』と
叫んだ
儘、
狂氣の
如くに
走り
去つた。
中にも
有名なのは、
今から
百年ばかり
前に、
近江に
木内石亭といふ
人で、これらの
人達も
多く
集めてゐる
間に、これは
天狗の
使つたものだとか
神樣のものとかではなくて
洋々たるナイル
河、
荒漠たるサハラの
沙漠、
是等は
大に
化物思想の
發達を
促した。
埃及の
神樣には
化物が
澤山ある。
併し
之が
希臘へ
行くと
餘程異り、
却つて
日本と
似て
來る。
僕は
批評家の
御注文に
應ずべく
神樣が
僕及び
人類を
造つて
呉れなかつたことを
感謝する。
けれども、
其の
茶店の
婆さんは
正のものです。
現に、
私が
通り
掛りに
沼の
汀の
祠をさして、(あれは
何樣の
社でせう。)と
尋ねた
時に、(
賽の
神樣だ。)と
云つて
教へたものです。
『
此の
世には
皆人が
病氣になります、
入用なものがありません、
何となれば、
是皆親切な
神樣に
不熱心でありますから。』
診察の
時に
院長はもう
疾うより
手術を
爲る
事は
止めてゐた。
そしてそこへ
飛び
込んでしまふんです。
神樣、どうしてこんなに
嚥みたいんでせう。どうかして
此の
呑みたい
酒をやめることは
出來ないもんでせうか
知ってゐやる
通りの、
執拗れた、
此罪深い
心を、
神樣に
赦して
貰ふため、いろ/\とお
祷をせねばならぬ。
そして、
低い
神樣、
或は
位置の
高い
人間から、
神樣に
申し
上げる
言葉が、
次第に、
人間どうしのいひかけいひあはせる、かけあひの
言葉に、
利用せられて
來ました。
私は
神樣に
誓つて
申しますよ、
貴方はまだ
御存じはありますまいが、
大變な
事があります。
石の
斧を
見て
雷神が
落したものであるとか、あるひは
石の
矢の
根を
見ては
神樣が
戰爭した
時の
矢であると
考へたり、あるひは
自然に
出來たものであると
信じたりしてゐました。
彼の
人達の
不奉公を
私の
心の
反射だと
悟つたからの
事、
世間に
當てもなく
人を
苦しめる
惡黨もなければ、
神樣だとて
徹頭徹尾惡い
事の
無い
人に
歎きを
見せるといふ
事は
遊ばすまい、
何故ならば
ながらく
旱が
續いたので、
沼の
水が
涸れさうになつてきました。
雜魚どもは
心配して
山の
神樣に、
雨のふるまでの
斷食をちかつて、
熱心に
祈りました。
柿本人麿は、
平安朝の
末になると、
神樣として
祀られる
程の
尊敬をうけるようになりました。
ヂュリ (傍を向き)
惡黨と
彼の
人では
大きな
相違ぢゃ!……
神樣、あの
者を
赦させられませ! わたしは
眞實赦してゐます。とは
言へ、
思ひ
出すと、
悲しうてなりませぬ。
朝日島の
海の
神樣も、
定めて
膽を
潰した
事であらう。